神楽坂、フランスの香り漂う都心のオアシス

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 春の東京。暖かな日差しが優雅に照らし出す神楽坂は、フレンチミュージックが似合う格式高い街だ。飲食店や雑貨店が並ぶ、緩やかな坂沿いの商店街を取り囲むこの街は、東京の中心で長い歴史を重ねてきた。
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神楽坂のメインストリート、神楽坂通り。モダンな店から老舗まで、居酒屋や食事処が両側に軒を連ねている。

花街

 この地域は、芸者小屋が集まる現役の花街でもある。また近年、フランス人街ともいえるほどフランス人が増え、神楽坂にはフランス人コミュニティを対象とした多くの企業が存在する。

 東京メトロ東西線と都営大江戸線が乗り入れる、新宿区に広がる癒やしのエリア。この地域の物語を形作ってきたのは、江戸城の牛込門近くという戦略的な立地だった。

 しかし、城がなくなった今も、神楽坂はその優位性を保っている。19世紀後半に芸者衆が集まったこの街では、今も数件の料亭で芸者が余興を披露する。近隣には大学のキャンパスや出版社もあり、溌剌とした知的な雰囲気が漂う。

 また、日本の伝統的な美意識が息づくこの地には、東京日仏学院をはじめフランス人向けの施設が多く存在しており、フランス人コミュニティが根づいている。そのため神楽坂は、ベーカリー、レストラン、ワイン・チーズ専門店など、フランスのグルメが集まる都内随一のエリアとなった。

観光客や文人を魅了する街

 文化と歴史が混在する謎めいた街は、ロマンチックな雰囲気やおいしい料理、昔ながらの飲食店を求め、日帰りで訪れる人々を惹きつけてやまない。メインストリートは、日曜・祝日の夜にかけては歩行者天国でカップルや家族連れが賑わいを見せる。

 1650年代に開かれた神楽坂通りは、江戸城と高級武士・酒井忠勝の屋敷を結ぶルートとして整備された。江戸時代の当時、この辺りは武家街として栄え、寺社が寄り集まっていた。1792年に神楽坂へ移転した善國寺の例大祭は、神楽坂を歓楽街へと変貌させた。劇場も開業したことで、神楽坂の名声はさらに高まりを見せた。

 明治時代になると、高級武士に代わって企業経営者や官僚が増え、この地は大きな発展を遂げる。1895年には旧飯田町駅が誕生し、東京が誇る一大歓楽街の地位を定着させた。エリートの遊び場として愛され、坂道には商店が立ち並び、夜市も営まれた。夜の街の賑やかさに誘われ、名だたる人物も足を運んだ。尾崎紅葉や夏目漱石といった文豪たちの姿もあったという。

 1923年には関東大震災が起きたが、神楽坂は幸いにも大きな罹災を免れ、損壊は他の街に比べ少なくとどまった。深刻な被害に見舞われた銀座から数々の企業が移転したことで、神楽坂は「山手銀座」と呼ばれるようになる。林芙美子や矢田津世子の小説にも登場し、次第に、文学を中心とした文化が盛んな街として有名になった。

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提灯が灯る夜の路地裏を散策できるのも、神楽坂の大きな魅力の一つだ。

戦後復興

 しかし、それから20年も経たないうちに再び災難が降り掛かる。第二次世界大戦の空襲により、東京の広範囲が数日のうちに壊滅的な被害を受けたのだ。神楽坂も例外ではなく、江戸時代の古い建物も崩壊した。戦後の復興に伴い大規模な都市開発が行われ、人波は神楽坂から新宿へと流れていった。それでも、娯楽産業は生き残り、1950年代から60年代にかけて見事な復活を遂げた。

 神楽坂の坂道には、長く多彩な歴史が刻まれている。17世紀に江戸城外郭門として築かれた牛込門の跡地がある「坂下」から、江戸の原風景をたどる旅に出てみよう。1996年に再建された、江戸時代の歴史的風格を残す牛込橋を渡り、きらめく街を目指して坂を上る。神楽坂のゴールデンタイムは、提灯が灯され食事客で賑わう、夕方から夜にかけての時間帯だ。しかし、メインストリートばかりに目を向けず、曲がりくねった路地裏を探検してみるのも一興だ。

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兵庫横丁の一角に敷かれた石畳の小道。

 神楽坂は、今なお現役の花街だ。現在、こぢんまりとした横丁で5軒ほどの料亭が営業しており、25人程度の芸者がいる。東京神楽坂組合に所属するこれらの高級料亭では、今でも三味線や舞、会話などの余興を楽しむことができる。黒塗りの伝統的な木塀に囲まれた建物から、小さな石畳が敷かれた横丁へと情緒があふれ出しているようだ。

 中でも特に有名なのが「兵庫横丁」。戦国時代に武器商人が住んでいたことから名付けられ、気品ある食事処が立ち並ぶ。熱海湯階段の石段沿いは「芸者小路」として知られ、隠れ家レストランや小作りな居酒屋が軒を連ねている。近隣には、芸者衆の事務所や三味線の稽古場が残る狭小な「見番横丁」や、迷路のような行き止まりだらけの道が特徴の「かくれんぼ横丁」がある。

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1300年創建の赤城神社は、2010年に建築家・隈研吾の設計により再建された。

 坂の途中に見えてくるのは、鮮やかに目を引く善國寺。1595年に建てられたこの日蓮宗の寺院は、この地域のアイデンティティであり、神楽坂の出発点ともいえる。ここから夜市や祭りが生まれ、多くの人々を魅了してきたのだ。そして、坂の上に鎮座するのが赤城神社だ。厳かな聖域を特徴づける、装いも新たなガラス張りの社殿には、マンションやカフェ、ショップが併設され、都会の真ん中にいながら自然を感じられる空間となっている。ここからは東京のきらびやかな夜景を一望でき、爽やかな涼しさが心地よい春の夜には、ひときわ美しい輝きを楽しめる。賑やかな路地に戻る前に、暖かな場所で食事に舌鼓を打とう。

 神楽坂の裏通りには名だたる高級料亭がひっそりとたたずみ、洗練された懐石料理や、芸者衆によるお座敷遊びを楽しむことができる。しかし、この界隈には手頃な価格で気軽に楽しめる店も多い。「神楽坂カド」は、伝統的な木造家屋を生かした古民家居酒屋。くつろぎの空間で、リーズナブルな値段の和食を提供している。

 「東京のモンマルトル(パリ有数の観光地)」とは言いすぎかもしれないが、華やかさと伝統、食と文化が融合したこの神楽坂には、フランス語で表すならば「je ne sais quoi("何だか分からないもの")」といった風流な居心地のよさがあり、まだ肌寒い日であっても散策にもうってつけだ。

文/レベッカ・サンダース
写真/ iStock

*本記事は、「Metropolis(メトロポリス)」(2022年1月27日公開)の提供記事です。