Chef's Thoughts on Tokyo:
デンマーク流パン屋が東京にヒュッゲを届ける

日本への夢
ガネア氏は、昔から日本が大好きだった。大学で経済学と日本語・日本文化を学んだことをきっかけに、2004年には交換留学生として初めて日本を訪れ、京都と東京で学んだ。デンマークに戻り大学を卒業した後、日本の証券市場のアナリストとしての仕事を得て、時折日本を訪れる機会もあった。だがずっと実現したかった日本への移住が決まったのは、夫が東京で職を得た2018年になったときのことだった。

ガネア氏は、「地域の人たちがとてもフレンドリーで親切なので、引っ越しはとても順調でした」と語る。特に、娘が通う学校の保護者は、海外からの駐在員も日本人も、必需品をどこで買えばよいか、外国人にも参加しやすいアクティビティや医療などの地域で受けられるサービスなどについて家族にアドバイスをしてくれたため、比較的スムーズに生活を開始することができた。

こだわりを追求する勇気
彼女は元々、パン職人だったわけではない。試行錯誤を繰り返し、研究を重ねることは、アナリストとしての職歴を持つ彼女にとっては特に得意とすることだった。東京に引っ越してきた当初、市販のパンが娘の体に合わず、どうしたらいいかと考えているうちに、パン作りに目覚めた。ガネア氏は、自然発酵やオーガニック素材が健康に良いことを知った。市販のパンによく使われる包装されたイースト菌ではなく、自然発酵させたイースト菌を使ったサワードウブレッドの試作を始める。そして、故郷デンマークで親しまれてきた伝統的なサワードウブレッドの、デンマーク流オーガニックライ麦パンを作り始めた。かかる工程の日数は発酵を含めて3日ほどだ。
ガネア氏はパン作りに夢中になるうちに自分には素質があることが分かり、友人と一緒にビジネスプランの構想を練り始めた。1LDKのワンルームマンションを借りてキッチンとして使用し、まずはオンラインビジネスでオーダーメイドのパン作りを開始した。その後、ファーマーズマーケットに参加し、人気が出るにつれて注文が殺到するようになった。店舗を構えられると確信したガネア氏は、約半年かけて集中的にリサーチし、必要なものを全て揃え、広尾に最適な場所を見つけた。広尾は、自宅や学校から近く、また顧客も多く住んでいることから、理想的な場所だった。そして、2022年12月3日、「BRØD」が開店した。
コミュニティでの協力
ガネア氏は、東京の素晴らしいコミュニティがなければ、ここまでの成果を上げることはできなかったと率直に語る。ファーマーズマーケットでの繋がりや、友人、またベーカリーを支えるチームを通して、ガネア氏は目覚ましいネットワークを構築してきた。
「パン作りのコミュニティでは、人々はお互いにシェアし合い、共に成長することに喜びを見いだします」こういった繋がりがあるからこそ、BRØDの重要なミッションである、ローカルでオーガニックな食材の調達ができるのだ。たとえば、ファーマーズマーケットで有機レモンの生産者と出合い、自分達のミッションに沿ったレモンを商品作りに取り入れているそうだ。
当初は外国人の客層が大半を占めたが、今では地元の日本人と外国人とがほぼ半々になっているという。

事業立ち上げを成功させるために
ガネア氏は、事務処理に追われ、経営に困難を感じることもあるというが、国と東京都が共同で運営している「東京開業ワンストップセンター(TOSBEC)」が彼女を支える大きな役割を担っている。
同センターでは、英語と日本語で利用できる無料の開業支援セミナーや個別相談会が開催されている。また、会計士など特定の分野の専門家との相談会も行われるのが嬉しいとガネア氏は微笑む。全体として、そのサービスは「とても役に立っている」とのことだ。最近では、雇用関係の法律や正式な契約書の作り方をオンラインの資料で学んでいる。
独学でパン作りを学び起業したガネア氏は、夢を持つ人たちに、難しく考えずに挑戦することを勧める。自分の経験を振り返りながらこう語る。
「アイデアがあって、やりたいことがあるなら、それに向かって突き進めばいいんです。一生懸命に努力すれば、きっと成功します」
https://www.startup-support.metro.tokyo.lg.jp/onestop/jp/
写真/倉谷清文
翻訳/Transfluent