Chef's Thoughts on Tokyo:
モンゴルの伝統料理で東京の人々を魅了する元力士

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 元大相撲力士、白馬毅ことアリオンバャル・ウヌルジャルガル氏は、2011年に現役を引退した後も、国技館がある相撲の街、両国でモンゴル料理店「ULAAN BAATAR(ウランバートル)」のオーナーシェフとして、モンゴルの食文化を伝える日々だ。
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「白馬」というしこ名は、モンゴルの遊牧文化の象徴である馬にちなんで名付けられたもの。

大相撲での活躍ぶり

 モンゴルのトゥブ県出身の白馬氏が初めて東京に移り住んだのは、1998年のことだ。日本に住んでいた親戚との文通がきっかけで、陸奥(みちのく)部屋を紹介された。

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お店で大人気メニューの「骨付き塩茹で肉」。モンゴルの伝統料理で、塩茹でした柔らかい羊肉にピクルス、野菜、ニラダレを添えて食べる。

 親戚と文通をするまでは力士になることなど考えたこともなかったが、日本には幼い頃から憧れがあり、いよいよ日本に移り住むと決まったときは、期待に胸がふくらんだという。ホームシックになったことは一度もない。

 日本語学校で学んだことがないのに、日本語を流ちょうに話せるようになったのは、相撲部屋で兄弟弟子たちと寝食を共にしたおかげだと語る。同氏は、両国がまるで地元であるかのように、なじんでいった。両国は地域住民のつながりが強く、何かあれば親切で親身な地元の人たちが助けてくれる。また、東京の公共サービスがよく整備されていて「住みやすい環境が整っている」ことに感動した。

 大相撲の現役時代には平均体重155キロで、小結に昇進した。白馬氏は、後の横綱日馬富士と琴欧洲の2人の大関を破るという快挙を達成。こうした快進撃を見せる中、大相撲の相撲巡業で他のモンゴル人力士らと共にモンゴルに凱旋帰国も果たし、相撲を通じて母国と日本の交流を深めることもできた。

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ラム肉のジューシーな餡をモチモチの柔らかい皮で包んだボーズ(ラム肉の小籠包)。スイートチリソースを付けて食べる。

親子2代でつなぐモンゴルの味

 ウランバートルは、彼がまだ力士だった頃に日本に移り住んだ母親が、2008年に一人で立ち上げた店だ。2011年に28歳で力士を引退した当初、料理人になるつもりはなかったが、高齢で店を続けるのが難しくなっていた母の姿を見て、店を継ぐことを決めたのだった。

 ビジネス経験がほとんどないままのスタートだったが、相撲で培った忍耐力と決断力で挑戦し続けた。事業を経営する鍵は「忍耐力」だと彼は考えている。また、ビジネスを始めるには徹底的に下調べすることも重要だとする。

相撲の聖地、両国にて

 観光客と談笑するのが大好きな白馬氏。母国モンゴルのことをたくさん話してくれる。ウランバートルでは、店内の壁にモンゴルや彼の現役時代にまつわる品物が飾られているほか、入口でモンゴルのお菓子やモンゴル料理に欠かせない調味料(サワークリームなど)を販売している。

 同店の客にはモンゴルに興味がある人も多いが、相撲ファンも多い。彼は相撲の百科事典のような存在で、特に両国近辺の相撲事情によく通じている。力士仲間の多くと今でも親交があるため、地元の人同士の結び付きが強い両国にとどまっている。時折、有名力士を含む力士仲間が食事をしにこの店に集う。 

 両国界隈には、引退した力士のちゃんこ鍋店がたくさんある。力士の常食であるちゃんこ鍋は、栄養バランスのとれた料理だ。

 しかし、白馬氏にとっては、モンゴル料理を通じて東京の人たちにモンゴルの文化を伝えることが重要だった。客の99%は本場のモンゴル料理を食べたことがないという。実のところ、東京にはモンゴル料理店はほとんどない。モンゴル料理は味付けが薄めでシンプルなため、食材の自然な風味を生かせるのが特徴である。多くの場合、モンゴル料理の主役はジューシーな肉だ。特に羊肉は欠かせない。同氏は東京・豊島区の精肉店から風味豊かな肉を仕入れている。

 彼は食べ歩きが大好きで、時間ができると新しい店や味を求めて東京近郊をめぐっている。大好物はなんといっても米だ。炒飯でも白飯でも、米ならいくらでも食べられる。「日本の米が世界で一番美味しい」と語る。

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ウランバートルは2018年に、モンゴル料理連盟から三つ星レストランに認定された。

 将来的にはモンゴル料理店を増やし、事業を拡大していきたいと考えている。そして、いつか日本でのシェフ経験から学んだことを生かし独自のレシピを開発するつもりだ。

ウランバートル https://ulaanbaatar-ryogoku.com/
取材・文/宮坂ローラ
写真/倉谷清文
翻訳/アットグローバル