ダイバーシティの先駆け 前編:
築地外国人居留地から始まった女子教育

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 いま東京では性別や年齢、国籍を超えて、多様な人々が社会活動において活躍している。首都・東京が誕生した明治の歴史をひもとくと、そこには現在のダイバーシティの萌芽が発見できる。
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米国聖公会ウィリアムズ主教により1877年に創立された立教女学校(現・立教女学院は、1879年から1923年まで築地で発展したが、1923年の関東大震災により、杉並区久我山に移転した。この礼拝堂は、1932年に建てられたもの。Photo: courtesy of 学校法人 立教女学院

 日本近代文明の幕開けとなった明治維新後、築地に外国人のための居留地があったことをご存じだろうか。明治元年(1869年)から明治32年(1899年)まで存在した「築地居留地」では外国人宣教師によって教会が建てられ、女子教育を中心としたミッションスクールが多数設立された。

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当時の居留地周辺を描いた錦絵。右奥には各国の旗が、その左手にはまだ更地だった居留地が見える。『東京築地鉄砲洲景』(歌川国輝(二代)画、1869年)Image: courtesy ofミズノプリンティングミュージアム

 築地居留地は大正12年(1923年)の関東大震災で壊滅したためほとんど資料が残されておらず、その全容は謎に包まれていた。居留地を研究し歴史・文化の再発見に努めているNPO法人・築地居留地研究会理事長、水野雅生さんに話を聞いた。

 「安政5年(1858年)の日米修好通商条約により、横浜は外国と盛んに商売を行なっていました。そこで明治政府は東京にも世界に開かれた街をつくるべく、居留地を整備したのです」と水野さん。最初に築地に進出したのはイギリスやオランダ、アメリカなど9カ国の領事館と公使館だった。明治6年(1873年)にはキリスト教禁制の高札が取り除かれ、多くの宣教師が日本へやってきた。

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1893年、立教学校(立教大学や立教中学校の前身)の校長であり建築家だったジェームズ・M・ガーデナーが描いた居留地の俯瞰図。Image: courtesy of 学校法人 立教学院

現代にまで受け継がれる女子教育の原点

 「彼らは日本の女子教育が遅れているのを目の当たりにし、女子のための学校を多く設立しました」。サンフランシスコからやってきた宣教師カロゾルス夫妻が明治3年(1870年)、居留地6番地で英語塾を開いたのが始まりだ。「開国当時は日本人の語学熱が非常に盛んでした。(宣教師が開いた)学校に集まった多くの男子生徒の中に男装の女子がいて、ある日黒板に『I'm a girl』と書いた。これを見た妻のジュリア・カロゾルスが女子のための私塾を開いたというエピソードが残っています」。この私塾はその後現在の女子学院へと発展し、横浜のフェリス女学院とともに日本最古の女学校として現在に至る。

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夫とともに最初に築地居留地に入居した宣教師、ジュリア・カロゾルス。彼女が設立したA六番女学校は日本初の女学校となった女子学院の前身である。Photo: courtesy of 学校法人 女子学院

 明治7年(1874年)には女性宣教師ケイト・ヤングマンがB六番女学校(のちの新栄女学校)を開設。新栄女学校と海岸女学校(のちの青山学院)、立教女学校は"築地の花"と呼ばれ、良妻賢母といった従来の型にはまらない自由で自立した女性を目指し、その精神は各学院の教えとして現在まで受け継がれている。整然と区画された街並みにレンガ造りの立派な教会やミッションスクールが立ち並ぶ様子は、先進的な雰囲気で型にはまりたくないと願う少女や女性を歓迎するものだった。

 当時の女子教育のレベルの高さを示す資料として、居留地時代に立教女学校を卒業した女性の小論文が研究会に残されている。「授業はほぼ英語で行われ、レポートや論文も英語で提出していた。女性は満6歳から4年間の義務教育を受ける尋常小学校卒が主流だった時代ですから、いかに高度な教育を受けていたかがわかります」

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1893年、立教女学校を卒業した松枝すま氏による小論文『女性の責務』。Photo: 藤本賢一
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「私たち女性は男性がそうであるように、自尊心を持たねばなりません。なぜなら私たちは全員、同じ人間だからです」と松枝氏は英語で書いている。Photo: 藤本賢一

 築地居留地に校舎を構えた学校で、現存しているのは13校を数える。伝道事業を柱に女子教育、貧困者の救済などさまざまな福祉事業を行った宣教師の教えは、日本女性が社会へ羽ばたく礎を築いたのである。

水野雅生

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NPO法人 築地居留地研究会理事長。中央区入船にある老舗印刷会社ミズノプリテックの会長でもあり、この地にゆかりが深い。会社に併設されているミズノプリンティングミュージアムで、日本の近代印刷の歴史を物語る貴重な書籍や印刷機を展示している。
※参考文献:『東京 築地居留地百話』清水正雄著(冬青舎)

取材・文/久保寺潤子