英国人アーティスト、東京のアートシーンの現在に生きる

 日本に来て20年以上。イギリス生まれのイラストレーターで、人気独立系アートギャラリー「WISH LESS(ウィッシュ・レス)」のオーナーであるロブ・キドニー氏は、東京を自分のホームとして素晴らしい活躍を見せている。
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クリエイティブな活動とギャラリーの運営を通じて、キドニー氏は東京のアートシーンのコミュニティに溶け込んでいった。

 自身のギャラリーでは国内外のオルタナティブアーティストの展覧会を次々に成功させ、彼自身の作品も世界の舞台に羽ばたかせている。クリエイティブな活動をさらに広げるキドニー氏に、これまでの日本での日々と、これからの活動について聞いた。

--日本に来る前、この国との関わりはどのようなものでしたか?

 10代の頃に東京に魅了されたのです。とくにアンダーグラウンドな音楽、ファッション、アートシーンに夢中になりました。当時の1980年代の東京は、私が過ごしていたイギリスとはまったく異なる魅力を持っていました。信じてもらえないかもしれませんが、私は日本の食品のパッケージにまで夢中になったのです。大学ではイラストレーションを学び、卒業論文のタイトルは「カワイイ」。日本の「カワイイ」という概念に関する研究でした。

--人生の半分近くを日本で過ごされています。長い年月ですね。

 日本を拠点にして今年で21年になります。今では、日本を故郷のように思っています。

 日本のポップカルチャーには深い興味がありましたが、なかなか日本を訪れる機会がありませんでした。遠いし、行くのにもお金がかかるしと、思ってしまっていたのです。しかし大学を卒業した後、もうそろそろ日本へ行くべきだと思いました。そのころ私はイギリスのエレクトロニック・ダンスユニット、ベースメント・ジャックスのCDのカバーイラストなどを制作していました。偶然にも私が計画していた日本への旅と、彼らの日本でのライブの日程が重なったのです。ベースメント・ジャックスからは東京公演のドキュメンタリー映像の制作を依頼され、そこで初めて来日しましたが、私は実に3カ月を東京で過ごしたのです。

 私は東京という街の規模と雰囲気に、圧倒されました。イギリスに帰ったものの、心は日本に残してきたという感じでした。そして1年後、私は東京に戻りました。2002年、私が32歳のときでした。

--日本に長く住んでいることを、ご自分ではどのように感じていますか?

 日本での生活は感情のジェットコースターのようでしたが、ひとつ確かなのは全く退屈しなかったということです。ただ、独立系ギャラリーを10年前から運営しているので、東京での生活もすっかり落ち着いてきました。悪くない気分ですね。

--ギャラリー「WISH LESS」は、どのようにして生まれたのですか?

 東京で10年間、音楽やファッションの業界でフリーランスのイラストレーターやアーティストとして働いていました。仕事は面白かったものの、収入は安定していませんでしたし、スタジオにひとりでいる時間が長いために孤独感がありました。

 そんなとき、2011年の東日本大震災が起こりました。それをきっかけに、私は日本での生活を考え直すことにしました。もっと多くの人たちとつながる必要があると思い、クリエイティブパートナーとともに小さなギャラリーをオープンする決断をしました。

 私たちが選んだのは、東京都北区の田端。意外に思えるかもしれませんが、明治後期から大正時代には芸術家、作家、詩人といったクリエイターのコミュニティが存在し、「日本のモンマルトル(芸術家の集うパリの丘)」と称されました。現在はその面影はありませんが、私たちは彼らの精神とクリエイティブなエネルギーを尊重し、心から愛する国内外のアーティストの作品の展覧会をキュレーションすることで、田端の伝統を受け継ぎたいと考えています。

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キドニー氏の個展「FROZEN CHILLED & DRY」、ギャラリー「WISH LESS」にて。

--ご自身の作品についてはいかがですか?カラフルで遊び心があり、楽しく、とてもユニークですね。

 ありがとうございます。10代で創作を始めたころの好奇心と遊び心を失わないように心がけています。私はスタジオでは毎日、基本的にA4の紙にマーカーペンや柔らかい鉛筆を使って描いています。これは私にとっては大事なことで、新しいキャラクターやモチーフをつくり出すのに役立ちます。

 新しい仕事の準備をするときは、いつも自分の持っているストックを探っていき、キャラクターに命を吹き込みます。スタジオでは素早く直感的に仕事をするので、作品に楽しさと情熱が生まれるのだと思います。明るくて、互いにぶつかり合うような色の組み合わせは、私の作品の核となっており、私自身の赤緑の色覚異常の特性をいかしています。

--東京のアートシーンの現状については、どう感じていますか?

 私たちがギャラリーをオープンしたころ、東京にはアーティストが運営するアートスペースはほとんどなかったのですが、状況は大きく変わりました。いま都心はアートバブルの真っただ中で、小さなギャラリーが次々とオープンしています。しかしその多くは独立しているように見えて、実際は大手スポンサーが支援し、有名なキュレーターがトレンドを追ったキュレーションをしています。この動きは私たちのギャラリーのように本当にアーティストが運営しているアートスペースへの一種の挑戦です。

--ご自身にとってクリエイティビティとは何ですか?また、クリエイティビティの理解に、東京はどのような影響を与えたのでしょう。

 どんな状況であっても、私は「今」を生きたいと考えています。インスピレーションが浮かぶまで待つようなことはありません。あれもこれもと望むだけの人にはなりたくないと思っています。願ってばかりいる人生は送りたくないのです。

 もし何かが起こるのを待っているだけだったら、2023年9〜10月に香港で初めて開いた個展や、台湾のイベント限定で(代表作であるキャラクターの)「フライデーベア」を制作したりはしなかったかもしれません。東京は私に大きな影響を与えたのでしょうね。この街には視覚的なデータが洪水のようにあふれており、それが私の創造性を育んでいると言えるかもしれません。よく言われるように、人は「環境の産物」なのでしょう。

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キドニー氏が作った人気キャラクター「フライデーベア」。

--東京で直面した最大の困難は何ですか。それをどのように乗り越えましたか?

 日本に来て間もないころ、カルチャーショックにあって、イギリスへ帰ろうかと考えたこともありました。その主な原因は、孤独感とコミュニティへの帰属感の欠如でした。しかし、今ではクリエイティブな仕事やギャラリーの運営を通じて、バックグラウンドは異なっていても同じ志を持つ友人たちがいて、大いにコミュニティの感覚を得ることができています。

--東京で個人で挑戦したいという人たちにアドバイスはありますか?

 その質問は、これから東京へ来ようとする人によく聞かれます。みなさん、自分の夢を追い求めるための励ましの言葉を聞きたいのでしょうね。しかし、私の経験から言うと、フリーランスとして働く人々への第一のアドバイスは「ビザの申請を進めること」です。官庁の手続きは何かと時間がかかるものです。東京で自分の情熱を形にしたいと思うなら、まずは東京に来られないことには始まりませんから。

取材・文/スレイマン・アジジ
写真提供/ロブ・キドニー
翻訳/森田浩之

*本記事は、「Metropolis(メトロポリス)」(2023年5月16日公開)の提供記事です。