東京の静けさを、パステルカラーに染め上げて
ようこそ、エロラ・パウトラの世界へ。パステルカラーの魅惑的な風景をつくり出すこのアーティストは「みんながふだん目にすることのない東京を描きたい」と語る。「東京といえば、眠らない街というイメージ。ネオンと人混みの空間ですよね。でも、とてもリラックスできる場所でもあるんです」。
東京を穏やかで静かな場所と言う人はあまりいないだろう。けれどもパウトラ氏のアートは、穏やかな東京の日常風景に満ちている。渋谷のスクランブル交差点を疾走するビジネスマンもいなければ、浅草寺の境内に群がる観光客もいない。彼女が描くのは住宅街の裏通り、小さな神社、眠ったような深夜の雑居ビル。それらすべてに人影はない。
「私の作品に人は登場しません。混沌をもたらし、そちらに注目を集めてしまうから」と、彼女は言う。
インスタグラムで79,000人を超えるフォロワーを持つアカウント「owakita_」として知られるパウトラ氏。彼女が東京の路地裏を徘徊し、その体験をアートに注入する様子を取材すると、自らパステルカラーの白昼夢をつくるようになった経緯を話してくれた。
ジブリ映画がつないだ日本との縁
フレンチアルプスで育ったパウトラ氏にとって、日本との唯一の接点はスタジオジブリの映画だった。田園風景の中を駆け回るサツキとメイ、苔のむした神秘的な森にたたずむもののけ姫など、彼女はジブリの登場人物の多くと自然とのつながりに共感していた。
2016年に初めて来日したとき、彼女は東京がジブリ映画とは似ても似つかない場所であることを知ったが、それでも静寂と自分をとりまく環境に浸る感覚を追い求めた。また彼女は、日本にいる間に新たな感覚に出合った。
「今まで住んだことのない場所を懐かしむような不思議な感じでした」と、パウトラ氏は言う。これまで彼女はフランスのサヴォワ県とリヨン、イギリスのロンドンに住み、現在はスコットランドのエディンバラを拠点にしている。しかし、東京で味わったような感覚をほかの街で感じたことはなかった。
「日本は『時代の宝庫』みたいな場所」とパウトラ氏はジョーク交じりに言い、ファックスとロボットが共存する日本のユニークな状況を語った。過去・現在・未来が混ざり合ったノスタルジアの国......とでも言えばいいか。確かに日本全体が、時代を超越した空間に存在しているように感じられることがあるかもしれない。
パウトラ氏の作品は日本的なものに強い影響を受けている。その作品にはセーラームーンの世界も感じられる。ただ、彼女は子供の頃にアニメを見たことがなく、直接には影響されていない。
パウトラ氏が作品に猫を登場させるのが好きな理由は、猫がリラクゼーションの達人だからだ。「猫の鳴き声は癒やし効果もあり、それが私のアートと共鳴するのです」と、彼女は言う。
パウトラ氏は、自分の作品には浮世絵版画の影響のほうがはるかに大きいと指摘する。「浮世絵には美しい色彩が使われ、穏やかな風景が描かれています。ただ座って風景を眺めているような感覚が好きなんです」と、彼女は語る。浮世絵や昔話を題材にしたジブリ作品『もののけ姫』の画風にも影響を受けたという。
尽きることのないインスピレーションが、パウトラ氏を何度も日本へと引き戻した。彼女は頻繁に日本を訪れ、何カ月も滞在する。東京に友人もでき、コロナ禍で行き来ができなくなったときにはグループ展への参加も手伝ってくれた。
セラピーとしてのアートを追求
パウトラ氏は自分の作品を、「ローファイ」なオンラインアートのひとつと考えている。ローファイには「ヴェイパーウェイブ」と呼ばれるジャンルと色彩の面で重なる部分もあるが、ヴェイパーウェイブが意図的なカオスをつくることを目指すのに対し、ローファイは落ち着きとリラックスを求める。YouTubeの癒やし系ローファイミュージックのライブストリームは人気のジャンルで、チャンネル登録者数は合わせて数千万人にのぼる。
こうした静けさの追求は、キャラクターが平穏な生活を送る姿を描く癒やし系スタイルのアニメをはじめ、多くのアートジャンルで増えている。現実の世界が死や破滅、大災害に悩まされているなかで、人々がそうした逃避を求めても誰も批判はできないだろう。
ストレスや不安から逃れたいというパウトラ氏の欲求が、今やすっかり認知された彼女のスタイルの源なのだ。「美術学校の頃は、時に苦痛でした」と、彼女は言う。「いつもクリエイティブでいなくては駄目で、しかも厳しく評価されるんです」
その頃パウトラ氏は、たまたま「カラーセラピー」について学び、いくつかの色、とくに青と紫に人の心を落ち着かせる効果があることを知った。彼女はこれを自分のアートに応用しはじめたが、初めのうちそれらの作品は発表しなかった。美術学校の教師たちは、すぐに彼女のファンタジーアートを否定した。「私のアートはとても自由なもののはずなんですが」と、パウトラ氏は言う。
彼女のアートを、アニメ的すぎるとか、あまりに女の子っぽいとか、ピンクを使いすぎるなどと言って否定する者もいる。しかしパウトラ氏のもとには、彼女の作品が大好きだ(ただし自宅の壁に掲げるのはまだ気恥ずかしい)という男性たちからのメッセージが届く。ストレスだらけの一日を終えた後、彼女の作品を目にして心が落ち着いたという人も多い。
「自分のアートがそういうことを可能にするのは素晴らしいと感じた」と語るパウトラ氏。「時には立ち止まってアートを眺めてほしい。とくに注意力の持続時間が短い現代では、それが重要です」
SNSのマイナス面を乗り越える
パウトラ氏が描くパステルカラーの白昼夢は、この世界で自分の道を見つけようともがく中で、ゆっくりと進展していった。美術学校を卒業後、彼女はゲームデザインに転向した。そのほうが自分を表現できると思ったからだ。
卒業時の専門が3D環境アートだったパウトラ氏は、ゲーム業界で働きはじめる。彼女の勤務先が、日本のゲーム大手であるセガとコラボレーションしたこともあった。
この頃、パステル調のローファイアートはパウトラ氏にとってセラピーであり、クリエイティブなエクササイズであり、ピュアな楽しみでもあった。彼女は人脈もさほど持たず、SNSで目立つ存在でもなかったが、2019年にフリーランスになることを決めた。
パウトラ氏は、自分のアートがこれほど爆発的に売れるとは思っていなかった。だがSNSの大きな影響力には、大きなプレッシャーが伴う。「SNSのプレッシャーで、一日も休まず創作・発表しなくてはならないと思うことがストレスになっていました」と、彼女は言う。「アートの制作は私のセラピーであって、ストレスの源ではなかったはずなのですが」。
常に新しいコンテンツを作らなくてはならないという要求は、多くのオンラインクリエイターを燃え尽きさせる。また同時に、生計を立てる手段であるSNSの中に彼らを閉じ込めることになりがちだ。幸運なことにチャンスが増えるにつれて、パウトラ氏は心の平穏を保ちながらSNSのプラス面だけを見られるようになった。
「今親友と呼べる人たちの何人かは、SNSで出会いました」と、彼女は言う。「いくつかの大きなチャンスも、SNSから生まれました」。この言葉は、特にユニクロの「パリ オペラ店」での仕事について触れたものだ。Tシャツやトートバッグなどにパウトラ氏のデザインをプリントできるコラボレーションで、大好評のため期間を延長して開催されている。
成功を収めても、パウトラ氏は人生のささやかな喜びや人とのつながりを大切にする。Instagramで彼女をフォローしている年配の女性にユニクロ「パリ オペラ店」で実際に会ったことを話すとき、彼女の表情は和らぐ。こうした日常の瞬間がパウトラ氏の熱意に火をつけ、世界中の人々のためインターネット上に静かな一面をつくりつづける原動力になっている。