Chef's Thoughts on Tokyo:
英国食文化を東京に伝える「スワン&ライオン」

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 2011年に初めて東京を訪れたイアン・ギビンス氏にとって、この街は衝撃に満ちていた。「なにもかもが独特でした」とギビンス氏は目を輝かせる。東京で暮らすことを決意した彼は、そのわずか2年後に英国料理の店、スワン&ライオンを立ち上げた。
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ブリストル出身のイアン・ギビンス氏は国際色豊かな人生を歩んできた。祖国で法律を学んだ後、シドニーで映画産業に従事しながら世界各地を旅してまわり、そして東京に拠店を構えた。

イギリス料理に対する偏見を覆す

 イギリスの食文化を日本に紹介したいという夢を抱いて、イアン・ギビンス氏はスワン&ライオンを立ち上げたという。故郷デボンシャーで家族の営む酪農場でクロテッドクリームを作る祖母の姿を見ながら育ち、10代で料理を覚えた。伝統的な英国料理への郷愁が、ギビンス氏を支える原動力だ。

 英国料理は味気なく単純なものだと思い込んでいる人々が世界中にいることを、ギビンス氏はよく知っていた。そんな先入観を覆したかったという。「英国料理も進化しています。他のヨーロッパ各地の食文化に負けず劣らず、美味しくてモダンな食文化があるのです。もちろん、東京に暮らすイギリス人たちにとっては故郷の味ですから、みんなに懐かしんでもらえるような食を提供したいと考えました」と、ギビンス氏は語る。

 自家製のチャツネ(イギリスでよく作る保存食。野菜や果物に酢、砂糖、スパイスを加えて煮込んだジャムのようなもの)がすべての始まりだった。東京暮らしを始めた当時、ギビンス氏はよく自宅でパーティを開き、来客たちに自慢のチャツネを振る舞っていたという。チャツネとジャムに目がないギビンス氏が情熱を注いだのは、四季折々の青果の風味を最大限に引き出すことだった。ギビンス氏のチャツネは友人たちのあいだで大人気となり、2013年にはファーマーズ・マーケットでの販売を始めた。イギリス出身の食通たちが喜んだのは言うまでもない。

「そこからは雪だるま式に」ビジネスとして急成長を遂げ、同年12月にはクリスマスプディングとミンスパイもメニューに加えた。また、スーパーマーケットやデパートの催事などでもスワン&ライオンとして出店するようになり、東京近郊で催されるプライベートイベントへのケータリングも開始した。

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伝統的なブリティッシュ・ミートパイ。クリーミーなコールスローとキヌアサラダ付き。

 2014年に入り、ローストチキン、リーキ&マッシュルーム、そしてもちろん定番のビーフを中心にしたグルメ・ミートパイがスワン&ライオンのラインナップに加わった。このパイが大人気となり、東京でも本格的なイギリスのミートパイを味わえるという評判が広がった。

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スコーンには、デボンシャー産のランゲッジ・ファームのクロテッドクリームと、東京ではなかなか手に入らない伝統的な自家製ルバーブジャムをトッピング。

国際色豊かなフュージョン料理も追求

 スワン&ライオンが提供するのは正真正銘の英国料理だが、その背景にはオーストラリアの影響も見え隠れする。ギビンス氏によれば、自分で飲食業を興すことを思い立ったのは、シドニーにいた当時だと言う。シドニーの活気に満ちたカフェシーンや創造性豊かな食文化に興味を惹かれたのが発端だった。そんな彼が、今では自ら新たなフレーバーを試し、英王室の故フィリップ殿下の大好物だったというビーフ&ウィスキーパイといった英国の祝祭にちなんだレシピを考案するなど、独自のレシピ開発にいそしんでいる。料理の創作に加え、レシピと英国文化に関する記事を掲載したニュースレターの発行を、日本語と英語で行なってもいる。「美味しいものなら何でもパイの具になる」というのがギビンス氏のたどり着いた結論だ。

 スワン&ライオンのメニューには、日本の風味も隠されている。地産の(そしてサステナブルな)食材を用いることがギビンス氏のこだわりでありプライドだ。食材の大半を産地の市場から仕入れており、特にクオリティが高いものを厳選していると言う。日本国内の農家から入手困難な食材を調達することにも成功している。愛知県の農家と交渉し、ルバーブやパースニップの仕入れが実現したと、彼は嬉しそうに語る。また、季節の風味も彼にとっては重要だ。生産者たちと密に連絡を取り合いながら、ジャムやチャツネを最高の風味で提供できるよう、季節に合った食材の仕入れに気を配っている。

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いかにも英国風な情緒の漂うスワン&ライオンの店内。

東京での生活は?

 ギビンス氏は東京暮らしを満喫している。イギリスや、特に「まっとうなブリティッシュパブ」や故郷のユーモアが恋しくないわけはないものの、総じて見ればイギリスで暮らすよりもストレスは少ないと彼は話す。これほどの大都市でありながら東京での生活は驚くほど穏やかで、落ち着いていて、リラックスしているという実感があるという。

 特に東京の自転車文化をギビンス氏は高く評価している。「大都市であるにも関わらず、サイクリングするのに驚くほどストレスがありません」と彼は言う。仕事でもプライベートでも、ギビンスはほぼ毎日のように自転車に乗って出かける。大好きな交通手段であることに疑いの余地はない。コロナ禍以降、サイクリングは世代を問わぬ人気レジャーとなり、移動手段にもなっている。

 東京の食を求め、地域の小さな飲食店に足を運ぶこともギビンス氏の楽しみだ。焼き鳥やおせち料理と並んで、ギビンス氏が大好物として挙げるのが納豆だ。高円寺の阿波踊りなどの夏祭りや正月休みといった日本文化も、ここを離れたら恋しくなるだろうと彼は言う。

 ギビンス氏にとって、東京は起業するのにうってつけの街だった。東京には英国料理を愛する人々が多く暮らしており、公共の交通機関も便利なため店へのアクセスに困ることがない。さらに、発展を続ける東京では、人々は常に新しいものを探し求めてもいる。英国文化を広めるにはまさに最適の環境だ。ギビンス氏はこの先を見据え、日中営業のカフェや夜間営業のダイニングバーなど、新たな展開に向けた計画を温めている。

スワン&ライオン

https://www.swanandlion.com/
取材・文/マリア・ダヌコ
写真/倉谷清文
翻訳/飯島英治