「富士山」受け継ぐ最年少職人     

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 湯煙の向こうにそびえ立つ富士山。銭湯で見掛ける見事なペンキ絵を描く職人は、今や全国に3人しかいない。学生時代に一念発起して「銭湯ペンキ絵師」の世界に飛び込み、最年少の絵師として活躍する田中みずきさんを訪ね、ペンキ絵との出会いや修行時代を聞いた。
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銭湯ペンキ絵師の田中みずきさん

迷いなく動くローラー

 東京都江戸川区の住宅街を進むと昔ながらの宮造りの建物と煙突が見えてきた。「竹の湯」は1963年創業で、天井が高く開放感のある脱衣所や風呂場にはレトロな雰囲気が漂う。

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1963年創業で、3代目のご主人が営む「竹の湯」。神社のような宮造りが特徴的だ

 9月下旬の午前8時、大きなバンで竹の湯に到着した田中さんは、夫の駒村佳和さんに手伝ってもらいながら、手際よく浴室にペンキ道具やはしごを運び込む。男湯には富士山と海辺が、女湯には、名もなき山と川の風景が描かれているが、いずれも田中さんが2016年に描いたものだ。
 今回受けたのは、「男湯と女湯それぞれに富士山を描いてほしい」というオーダー。なんと1日で仕上げるという。女湯から取りかかった田中さんは、おおまかな下書きをすると、ローラーにペンキを付け、勢いよく元絵を塗りつぶした。壁面は縦約3メートル、横約5メートル。台やはしごの上から、元の絵を生かしながら雲の陰影を付け、山の稜線(りょうせん)を形づくっていく。流れるような動きに迷いは感じられない。

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女湯の壁面をはけで塗る田中さん

色のグラデーション、陰影で立体的な富士山に

 富士山本体のパートになると、淡い黄色を塗り始めた。思いがけない色選びに、見守る「竹の湯」主人・竹内徳生さんは「あの黄色をどう生かすのだろう」と首をかしげた。上から薄いピンク色が重ねられ、オレンジがかった色のグラデーションができる。山頂付近に陰影や積雪が描かれ、立体的な富士山が姿を現した。
 海に浮かぶ島の上に、緑のペンキを付けた大きいはけがぽんぽんと押し当てられると、こんもりと茂った木々が出現した。田中さんは葉に当たる光や波しぶきなどを描き加えていく。黙々と作業すること約3時間。女湯が完成したと思ったら、休む間もなく男湯に移動した。

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はしごに上り、女湯の富士山を描く田中さん

 男湯の壁に元絵と異なる角度から見た富士山と滝の風景が浮かび、すべての作業が終わった時には午後6時半を回っていた。竹内さんは「女湯は穏やかで明るい富士に、男湯は躍動感のある富士になった。お客さんの反応が楽しみです」と満足げ。田中さんは「女湯は明るい光の中の富士山をイメージし、初めての色味に挑戦した。やれることをやりきった」とうなずいた。

「技術が絶えるかも」大学生で絵師の世界へ

 田中さんは、幼い頃から絵が好きだったという。高校時代に絵を学び、美術史を学べる大学へ進学。卒業論文のテーマに悩んでいた時、好きな現代美術家が銭湯を題材にした作品をつくっていることに気付いた。「そういえば銭湯にも絵があったな」
 初めてのれんをくぐり、湯気が立ちこめる中、湯船から絵を眺めていると、描かれている水辺と現実の湯が混じり合い、「まるで絵の中に入ったかのような不思議な感覚になった」。田中さんにとって、それまで絵は「美術館で鑑賞するもの」だったが、「ペンキ絵が人々の日常生活の中で鑑賞されていたことがおもしろく、100年近く描き続けられてきたことに衝撃を受けた」という。

 銭湯ペンキ絵を卒論のテーマに決め、大学3年生の時、当時全国に3人しかいなかった銭湯絵師の一人、中島盛夫さんの制作現場を見学した。
「ローラーを操る無駄のない動きや、1秒でも目を離すとすぐに絵が変わる速さ。圧倒されると同時に、『誰かがこの技術を継がないと先がなくなってしまう』という焦りを覚えた」と田中さん。自分で描きたいという思いも募り、在学中の2004年、中島さんに弟子入りする。当初は「生活していけるか分からないから弟子は採らない」と断られたが、「他の仕事もするので技術だけでも教えてほしい」と頼み込み、ようやく認められたという。

「見て盗む」を学んだ修行期間

 荷物運びや準備の手伝いに始まり、大学院修了後は、師匠との約束通り、会社勤めやアルバイトをしながら現場に通った。そんな修業が続いたある日、田中さんは、職人の世界で聞く「見て盗む」ができていなかったことを痛感する。「師匠から突然、『ここを描いてみなさい』と言われたとき、うまく描けなかった。そばで見ていながら師匠がどう描いていたかを覚えていなかった」
 島に生えた松の葉を直してもらう時、師匠はどう筆を持ち、どういう動きをしたか。自分の筆の置き方と何が違ったのか。その後の田中さんは、師匠のやることなすことを必死で覚え、再現することを繰り返した。「画面の広さも普通のキャンバスとは全然違う。全身を使って描く感覚は体で覚えていった」と振り返る。

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元の絵(上段)と完成した新しい絵(下段)。いずれも左が男湯、右が女湯

 修行中、初めて準備から片付けまで師匠不在で臨んだ現場は忘れられないという。「男湯と女湯の両方を任された。『本当に描き終わるのだろうか』と途方に暮れ、絶望的な状況から描き上げた達成感。波瀾(はらん)万丈だったあの日は忘れられない。あの経験のおかげで、どんな現場もきっとできると思って今まで続けられている」

現実にはない風景も魅力

 田中さんによると、銭湯絵は富士山と青空、雲、水辺の風景が一つのパターン。オーダーの8~9割は富士山で、周囲の風景は「お任せ」が多いそうだ。「富士山は銭湯一軒に一つ」が基本だが、先に紹介した「竹の湯」のように、依頼によって、男湯と女湯にそれぞれ富士山を配置することもある。そういう場合は、「朝焼け」と「昼間」のように時間帯や色味を変えて違いを出している。

 「四季を表現するため、桜と紅葉を一枚の絵に入れてほしい」「富士山とモンサンミシェル=フランスの世界遺産=を描いてほしい」などの注文もあり、現実にはあり得ない風景を描けるのも魅力という。これまでに映画「シン・ゴジラ」や自動車メーカー、アパレルブランドを宣伝するPR銭湯絵も手掛け、 最近では、銭湯を舞台にした映画「アンダーカレント」のペンキ絵を制作。「初めての人が銭湯に行くきっかけになればいいし、エンターテインメントとして純粋に楽しんでほしい」と語る。

 銭湯に限らず、シャッター扉や遠洋漁業船の浴室、イベントでのライブペインティングなどの依頼もあるという。「描いてほしい絵を具体的に指定する銭湯のご主人もいれば、イメージで伝えてくるケースもある。どんな絵を求められているのかを考え、デザインに落とし込むのも銭湯ペンキ絵師の仕事」と表情を引き締めた。

変化するペンキ絵楽しんで

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道具を持ち、完成したペンキ絵の前に座る田中さん

 これまで幾多の富士山を描いてきた田中さん。旅行ガイドや絵はがきを見て「富士山らしい姿」を研究し、デザインの参考にしているという。「富士山という基本の型をどうアレンジするか。大きさや配置、青い色なのか、オレンジ色なのかでもまったく違った印象になる」と語る。
 湯船からの見え方を確かめるため、後日、絵を請け負った銭湯に入りに行くこともあるそうだ。「同じ銭湯の絵は同じ絵師が数年ごとに描き替えるのが慣例。ただ、実は、常連さんほど絵の変化に気付かないことがあるとか。中にはじっくり見ている人がいて、どんな表情で見ているのか、感想を言ってくれるか、気になりますね」と笑った。

*本記事は、「時事ドットコム」(2023年10月15日)の提供記事です。

取材・文/川村碧
画像提供/時事通信社