一歩先を行く食の楽しみ 三笠会館の100年の志

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 赤御影石の歩道に、ハート形の木の葉のリンデンが連なる銀座並木通り。シャネルやルイ・ヴィトンなど海外の高級ブランドが集まるシックで落ち着いた街並みに、真っ赤な日よけテントが目を引く三笠会館がある。手軽な洋食から、本格フレンチやイタリアン、日本料理に中国料理と多彩に展開する老舗レストランは、歌舞伎座前のかき氷店として1925年に創業し、間もなく100周年を迎える。「鶏の唐揚げ」などの伝統の味を守りながら、一歩先を行く食の楽しみを提案し続けている。

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真っ赤な日よけテントが目を引く三笠会館

並木通りの「社交場」

 仕事の合間や買い物帰りにちょっと立ち寄って、コーヒーを1杯。並木通りに面した店頭にしゃれた立ち飲みスペースがある三笠会館の「La Viola(ラ・ヴィオラ)」は、イタリアンバールをイメージしている。イタリアを旅すると街角で見かける地域の人々のよりどころのような店。20年ほど前、当時は社長室長だった谷辰哉社長がイタリア各地を視察して、1階のティールームに代わる新店舗のスタイルとして取り入れた。

 昼はカフェ、夜はワインも楽しめる「銀座並木通りの社交場」がコンセプト。「銀座にはそういうところがなかったので、やってみようと思いました」。フィレンツェの老舗バールをモデルにした。

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谷辰哉社長が手掛けた1階の「La Viola」は、イタリアンバールをイメージしたおしゃれな店構え

 当初はスタンディング形式に慣れないお客に、「立って食べさせるのか」と叱られることもあったという。ところが、並木通りにイタリアのファッションブランド「ヴァレンティノ」がオープンした時、本国から来たスタッフらが連日訪れては、エスプレッソを飲み、さっと仕事に戻っていった。「1日に6回ぐらい。こういうふうに使うんだと分かりました」

 イタリアの食文化は三笠会館が力を入れてきたテーマの一つだ。バブル期の1986年に西銀座デパートに出店した「Buono Buono(ブォーノ・ブォーノ)」でデザートに出した「ティラミス」は、雑誌「Hanako」に取り上げられて大ヒット。88年から首都圏で店舗展開している「AGIO(アジオ)」では、イタリアから導入した薪窯(まきがま)で焼いたピザが看板メニューになっている。

始まりは歌舞伎座前のかき氷店

 三笠会館の名は創業者、谷善之丞さん(1899~1976年)の故郷である奈良の三笠山に由来し、食器や紙ナプキンには鹿のロゴがあしらわれている。

 善之丞さんは桜の名所、杉の産地として知られる奈良県吉野村で林業を営む旧家の長男として生まれた。ところが、関東大震災後、材木の相場で失敗。身寄りを頼って上京した。貿易会社の小間使いなどをしていた時、新聞広告で間口二間の店舗物件を見つけ、25年にかき氷店「氷水屋三笠」を始めた。冬に漆塗りの器でお汁粉を出すと、歌舞伎座の見物客らの評判に。軽食などに手を広げ、店を大きくしていった。

 「銀座に来たら、三笠会館の唐揚げ」とまで言われた名物「骨付き鶏の唐揚げ」が生まれたきっかけは、32年に銀座1丁目に出した支店の経営不振だった。料理人の一人が鶏肉を揚げるオリジナル料理を提案し、店で出すと大ヒットした。日本唐揚協会は、外食メニューに初めて登場した鶏の唐揚げとして認定している。

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薄口しょうゆを味付けに使う「三笠会館伝統の味 骨付き鶏の唐揚げ」はきれいなきつね色。マスタードやごま塩を付けて味の変化を楽しむ

 元総料理長で、現在は料理顧問を務めている河原敏彦さんは伝統の味を守り続けてきた1人だ。「入社して一番初めに教えられる料理です。何回も練習させられ、なかなかお客さんに出せませんでした」

 丸鶏を朝さばいて揚げる。味付けのポイントは、薄口しょうゆだ。濃い口しょうゆより塩分が多いが、さらに塩を足し、風味付けに酒と焼酎を加える。調味液に長く漬け込まず、かたくり粉の衣を付けてすぐに揚げ、「肉はしっとりジューシー、皮はパリパリ」に仕上げる。「鶏の状態に合わせて肌感覚で揚げ方を調整します。食感や色合いは、ほかではまず、まねできないと思います」と河原さんは胸を張った。

バーもある総合レストラン

 三笠会館が並木通りに店舗を構えたのは戦後間もなくだった。それを66年に現在の地上9階、地下2階のビルに建て替え、2階のフランス料理「榛名」のほか、各階に和食や中華の店舗がある総合レストランになった。

 地下1階に三笠会館の番地を店名にした「Bar 5517」ができたのは87年。銀座の名物バーテンダーだった稲田春夫さん(1928~2013年)をチーフに迎えてオープンした。緩くカーブしたカウンターのある広々とした店内は、ドラマの撮影に使われることもある。

 開店に合わせて稲田さんが考案したオリジナルカクテルは、奈良の三笠山の春の芽吹きをイメージした「5517」。ドライジンをベースに、メロンリキュールとフレッシュライムジュースを加えてシェークし、ミントの葉を浮かべる。一口飲むと甘酸っぱく、さわやかな後味が広がった。

 謙虚な姿勢でカウンターに立ち続けた「稲田イズム」は、現在チーフバーテンダーを務めている湯浅和希さんに受け継がれている。「見て覚えろという感じで、技術的なことは教えてもらった記憶はありませんが、掃除については厳しく言われました。おかげで細かいところに気が付くようになりました。お客さんの表情を見て、どうしてほしいかを察する。掃除とは関係なさそうですが、つながっていると思います」

 バーテンダーの仕事の面白さは、「自分で作ったものをお客さんが飲んで、反応がダイレクトに来るところ」と湯浅さん。「稲田を見ていて、健康な体があれば一生やっていけると思いました。奇をてらわず、『バーって、いいものだな』と思ってもらえるよう心掛けたい」と静かに話した。

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春の三笠山をイメージした若草色のオリジナルカクテル「5517」

銀座で100年 

 3年に及んだコロナ禍は、空襲で複数の店舗を失った「第2次世界大戦以来の危機」(谷社長)だったが、試練の中から新たな商機も生まれた。その一つがオンラインショップだ。創業者がインド独立運動の志士を支援したお礼に教わったレシピで作っている「インド風チキンカレー」などを家庭で味わえるレトルトや冷凍食品の開発が一気に進んだという。「Bar 5517」では湯浅さんがフルーツジュースにハーバルウオーターを加えて奥深さを出したノンアルコールカクテルを考案。「お酒を飲めない人も来られるようになりました」

 谷社長は「今回のコロナ禍は予測していないリスクによって、価値観が大きく変わることを経験しました。ただ、経営環境にいつ何が起きてもいいように、常にさまざまな準備をしておきたいし、今後もさまざまなことに挑戦していきたい」と強調する。

 2年後の100周年に向けて、長野県塩尻市のワイナリーで記念の赤ワインが熟成中だ。「10年単位で長く楽しめる品質のいいものに」と期待する谷社長。銀座らしいイメージを守りながら、気軽に入れる店づくりを今後も目指していく。

*本記事は、「時事ドットコム」(2023年9月10日掲載)の提供記事です。
記事の内容、所属、肩書などは取材当時のものです。

取材・文/中村正子
カメラ/入江明廣
画像提供/時事通信社