日本映画の字幕翻訳―削ぎ落とす技術

ニュージーランドから世界のスクリーンへ
ブラウン氏は幼い頃から映画に夢中で、オークランドにほど近いワイヘキ島にある小さなホールで、その時々の話題の作品を見ていた。幸運なことに、高校時代に通っていた学校には、ニュージーランド・フィルム・ソサエティの会長を務めている先生がおり、アートシアター系の映画や、国内各地で開催されるニュージーランド映画祭をはじめとするさまざまな映画祭で上映される作品を定期的に上映してくれた。
ブラウン氏が初めて日本と出会ったのは、大きなスクリーンを通してだった。「上映される作品のうち必ず1本は日本映画で、それにとても影響を受けました。日本の領事館がオークランド大学で開く上映会も大好きで、そこで初めて寅さんの映画を見ました」と彼は話す。
「ピーター・ジャクソン監督が出てくる前のことですから、当時のニュージーランドの映画産業はまだ比較的小規模で、映画界に仕事を求めるのは現実的ではありませんでした」と言うブラウン氏は、語学指導等を行う外国青年招致事業(JETプログラム)を通じて来日し、大阪府河内長野市で国際交流員(CIR)を務めた。山形国際ドキュメンタリー映画祭のための翻訳に携わったことで初めて日本の映画界と関わりを持ったが、その後は広報担当として東京のニュージーランド大使館に勤務していた。
「何年か経った時、残りの人生をどう生きようかと自問し、自分の日本語力と翻訳の経験を、映画への愛と結び付けようと決心しました。そして、とにかくやってみることにしたのです」とブラウン氏は振り返る。最初に字幕の仕事の依頼があったのは、英国ウェールズ出身の映画監督ジョン・ウィリアムズ氏が設立した百米映画社からで、『さよならみどりちゃん』、次いで東京国際映画祭で上映された『レディ・ジョーカー』を担当することになった。「エンドロールに自分の名前が出てきたところを写真に撮ろうとして、映画祭のスタッフに怒られた」と彼は笑う。

『Cloud クラウド』9月27日(金)より全国公開 ©2024 「Cloud」 製作委員会 配給:東京テアトル、日活
字幕に求められる絶妙なバランス
日本語のニュアンスを捉え、自然で出しゃばらず「消える」ような字幕を仕上げるには巧みな技が必要だ。「ユーモアを伝えるのは特に難しいです。漢字の言葉遊びも同じです。当たり前ですが、英語には漢字がありませんからね」とブラウン氏は言う。「でも、一番難しいのは、実はごく基本的な日本語のコミュニケーションなんです。例えば、『お疲れ様』のような決まり文句の訳語は、毎回同じではありません。場面とか映画や登場人物の雰囲気を念頭に置いて訳さないといけないわけです」
「お疲れ様」という言葉は、「ご苦労様」のように相手を労う表現として使われることもあれば、単に軽い挨拶がわりとして使われることもあるなどさまざまな意味があり、彼が日々翻訳の難しさに直面している様子がうかがえる。
「字幕のもう一つの難しさは、文学作品の翻訳と違って文字数に制限があることです。そのため、文化的背景が分かるように訳すのも大切ですが、私の仕事は、明快さと趣旨はそのままに、どの部分を削ることができるかという引き算の要素が多いのです」とブラウン氏は話す。

映画を通して東京を発見
東京は、多くの名作日本映画の舞台であり、時にその映画における重要な役割を果たしている。ブラウン氏は昔の映画に特別な思い入れがあるという。現代の作品よりも、舞台となる場所の描写を重視しているものが多いからだ。「昔の映画は、急速な変化や発展によって失われてしまった東京の姿、あるいは現代からは想像もできないような姿を見せてくれます。まるでタイムマシンのようです」
ただし例外もある。東京を訪れる人たちは、映画『男はつらいよ』シリーズを見ると、旅の支度が楽しくなるかもしれないという。陽気な流れ者で恋愛下手な主人公にちなんで「寅さん」シリーズとしても知られている作品だ。「作品は東京の葛飾柴又が主な舞台となっていますが、ここは今でも劇中の風景とほとんど変わっておらず、訪れた人は映画の中にいるような気分を味わうことができます。東京のすべてが威圧的で近代的というわけではなく、風変わりで古風な一面もあることを知ってもらうのにもうってつけです」とブラウン氏は話す。また、2007年のロードムービー『転々』も彼のおすすめだ。映画を通して東京をのんびりと気楽に巡ることができる作品である。

キャリアの円熟期を迎えて
現在、ブラウン氏は翻訳者としてひっぱりだこだ。最近では、多くの人に影響を与えた黒澤明監督の名作で、カンヌ映画祭でも上映された『七人の侍』の4Kリマスター版に新たに字幕を付けた。「若い頃に非常に大きな影響を受けたこの作品に携わるなんて、信じられないような気持ちでした。人々に愛されている有名な映画ですから、もちろんプレッシャーもありました」と彼は言う。ブラウン氏によれば、この作品が世界的に人気なのは、その本質が普遍的なアクション映画であるからだそうだ。「時代設定は古いですが、登場人物が実に親しみやすく、愛すべき人たちなので、この作品をきっかけに日本映画を見るようになる人がたくさんいます」
ブラウン氏は、宮崎駿監督の最新作『君たちはどう生きるか』の字幕も手がけたが、これは彼のような経験豊富な翻訳者にとっても手強い作品だった。「本作は、宮崎監督の自伝的要素を含んでおり、さまざまな意味が込められているので、そのニュアンスを伝えるのにいつも以上に慎重にならなければなりませんでした」とブラウン氏は語る。
日本映画界で20年近く働いてきた彼は、今では日本の新進気鋭の監督らの世界進出を後押しする立場にある。「才能があり、前途有望な若い映画の作り手たちとプロジェクトの最初の段階から一緒に仕事ができること、また、私の翻訳を通して彼らが海外に飛び出し、海外の観客に向けてメッセージを伝えるお手伝いができることにとてもやりがいを感じています」とブラウン氏は言う。