東京から世界に広まった剣道の魅力とは
意外と新しい剣道の歴史
剣道の起源をどこまでさかのぼるかは、研究者の間で諸説ある。全剣連では、武士の時代ながら太平の世になった江戸中期、刀に代わって現在のような竹刀と防具が考案され、「打込み稽古」が普及しはじめた頃と考えている。その中心地は、やはり江戸だ。網代会長が説明する。
「剣道の発祥以前は剣術として300くらいの流派があったと言われていますが、幕末の頃に北辰一刀流・千葉周作の玄武館、神道無念流・齋藤弥九郎の練兵館、そして鏡新明智流・桃井春藏の士学館が江戸の三大道場として隆盛を誇りました。武士だけではなく町民や農民までこぞって入門し、玄武館では3,000人以上の門弟がいたといいます。そうやって剣術が大衆化したことが、今日の剣道の隆盛のスタートだと思います」
明治に入り廃刀令が出されたことで剣術はいったん下火になるが、1912(大正元)年、流派を越えた共通の形(かた)として「日本剣道形」が生まれ、この時はじめて「剣道」いう名称が誕生した。
「当時の文部省が全国の中等学校(旧制中学、現在の高校に相当)で剣道を正科目に加えると決定したことで、統一した形稽古を創設する必要もあったようです」
禁止、復活、そして世界に
その後、剣道は全国の青少年に教育の一環として普及していくが、1945年の敗戦による占領政策で禁止される。それが復活するのは1952年。サンフランシスコ平和条約締結による主権回復によって全剣連が設立され、体育・スポーツとしての剣道が再び全国でよみがえったのだ。専務理事の中谷行道氏が言う。
「復活の条件として、それまでの武術的な要素を取り払わねばなりませんでした。試合時は枠線で範囲を決め、技としては面、小手(こて)、胴、突きだけのポイント制になり、用語も、切るという言葉が使えなくなり、稽古の基本である切り返しも打ち返しに変えざるを得なかったのです」
以後、普及活動を一手に担ってきたのが全剣連だ。現在、全剣連が段位や級位の審査および授与を行って登録した人は約200万人。それ以外の、近くの町道場に通って親しみ、練習に励んでいるという愛好者や道場数、門下生なども含めた剣道人口は全剣連でも把握できていないというが、おそらく相当な数に及ぶのではないか。
全剣連ではそのほか、審判や指導者の育成、講習会、そして全日本選手権大会などを主催することで普及に努めてきたが、剣道が一躍世界に広まる契機となったのは、1964年の東京オリンピックで国技としてデモンストレーションを披露したことだった。
アニメ、マンガ、映画の影響
「剣道には礼儀作法や立ち居振る舞いのなかに人への思いやりの心も込められており、精神修養にもなり、それらが日本の伝統文化そのものでもある。そうした剣道の本質に海外からも関心が高まり、認知されるようになりました。全剣連としても積極的に海外に指導員を派遣するようになりました」
そう語るのは、国際部の高森毅部長だ。その流れで1970年には国際剣道連盟も発足。そして同年、第1回目の世界剣道選手権大会が東京の日本武道館で開催された。その際の参加国は17カ国・地域だったが、それが今大会では60カ国・地域にまで増えたことはすでに触れた。
その19回大会では、団体・個人・男女とも日本人選手が優勝した。だが、日本に次ぐ剣道人口の多さを誇る韓国も優勝経験のある強豪国として知られ、アメリカやフランス、イギリス、ドイツなど欧米諸国でも近年、剣道人気が高まっているという。
そうした世界での剣道人気沸騰には、アニメやマンガ、映画の影響も大きい。
「昔で言えば『六三四の剣』、最近では『鬼滅の刃』など、日本のアニメやコミックは世界的に大人気ですし、その影響で剣道をはじめたという外国人も多い。ハリウッド映画の『ラスト サムライ』が公開された後もかなり入門者が増えました」
実際、アメリカの剣道ナショナルチームで代表選手、主将、そしてコーチを務めてアメリカ剣道界の第一人者として知られるクリストファー・ヤング氏は、幼い頃に『六三四の剣』のテレビアニメを見て剣道をはじめたことを公言している。
2027年には、第20回の世界剣道選手権大会が12年ぶりに東京で開催される。
「私も海外の道場を視察に行きますが、外国人選手の多くが、やはり段級位の審査を本場である東京の全剣連で受けることがステータスなのだと言います。その意味でも、東京大会がさらなる海外普及につながるのではないかと期待しています」
全日本剣道連盟
全日本剣道連盟
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