東京のデザインシーンを形づくる国際派建築家
東京で2人の冒険が始まる
イタリア出身のクライン氏と英国出身のダイサム氏が知り合ったのは、ロンドンの名高いロイヤル・カレッジ・オブ・アートで建築の勉強をしていたときだった。学生時代に出会った多くの優れた指導者の中でも、2人が特に影響を受けた人物として挙げるのは、スコットランドの建築家、ジェームズ・ゴーワン氏である。
「『君たちは卒業後にコンペで勝つかもしれないし、大きな仕事を請け負うかもしれない。そのとき、私を訪ねたり電話をかけたりして、アドバイスを求めるつもりかね。物事は自分で決めるしかないのだよ』と言われました」とダイサム氏は振り返る。自らの直観を信じ、常に新たな可能性を受け入れる姿勢が、数十年にわたり2人を支えてきた。
卒業後、両氏は東京で活動したいと考えた。「保守的なロンドンに暮らす若手建築家にとって、雑誌で見る東京の建物は驚くようなものばかりで、実際に行ってこの目で見たいと思いました」とクライン氏は言う。
2人は1988年に来日し、東京を拠点とする建築家、伊東豊雄氏の下で働いた後、1991年にKDaを共同設立した。若手外国人建築家が東京で開業するのは異例中の異例だったが、挑戦することにためらいはなかった。
開業とほぼ同時に、日本のバブル経済が崩壊した。多くのプロジェクトが中止になる中で、2人は意外な分野で初期の成功をものにした。大規模工事現場の目隠しフェンスをデザインしたのだ。
当時の作品の一つが、表参道沿いの広大な建設工事現場を覆う全長274メートルの仮囲いである。クライン氏は「フェンスを緑の植物で覆い、公園の中を散歩している気分になれるようにしました。さらに、ミストディスペンサーによる植物の水やりシステムを開発したのは、私たちが最初です」と語る。
東京の建築物で頭角を現す
その後もKDaは順調に力をつけてきた。スタイルの特徴について尋ねると、ダイサム氏は笑った。「決まったスタイルはありません。ただ、常に新鮮さを求め、挑戦的でありたいと思っています。他社と違うのは、インテリアと建築デザインの両方を得意としている点です。肝心なのはフルパッケージを提供することだと考えています」
最近の作品に、原宿のFENDER FLAGSHIP TOKYOがある。伝説のギターブランド約80年の歴史上初めての旗艦店として、2023年にオープンした。ダイサム氏が「楽器をぎっしり詰め込んだ」と表現する一般的なギター店と異なり、4フロアで構成される洗練された空間で、これまでにない没入型の音楽体験ができる。
クライン氏は、東京で手がけてきた多数のプロジェクトからお気に入りを一つ選ぶことは「どの子どもが一番好きか選ぶようなもの」としながらも、代官山T-SITEには特別な思い入れがあると言う。2011年に蔦屋書店のために建設された大学キャンパスのような複合施設は、多様なアプローチで心地よい書店体験を提供する場所となっている。
一方ダイサム氏は、2016年に開業したGINZA PLACE(銀座プレイス)を挙げる。東京を代表するエリアの主要交差点でひときわ目を引く白いビルは、変わりゆく銀座の風景の新しいシンボルになっている。
東京は象徴的な建築物の宝庫だが、中でもダイサム氏が称賛するのは国立代々木競技場だ。当初は東京1964オリンピック・パラリンピック競技大会のために建設され、最近の東京2020大会でも使用された。クライン氏が選ぶのは東京カテドラル聖マリア大聖堂で、1964年に落成した、文京区にそびえるカトリック教会である。偶然にも、いずれの建物も日本の著名な建築家、丹下健三氏が設計したものである。
東京から世界へ
1996年に新卒でKDaに加わった久山幸成氏は、その後チームにとって欠かせない一員となった。「私たちは少しずつ確実に共に成長してきました。その過程でいろいろと楽しいことがありました」とクライン氏は言う。
KDaの看板にもなっている「PechaKucha(ペチャクチャ)」を命名したのは久山氏である。これは、各発表者が20秒ずつ20枚のスライドを使うというシンプルなルールでプレゼンを行うイベントである。PechaKuchaのルーツは、KDaでスタッフがお互いのプロジェクトの状況を知るために毎週行っているオフィスミーティングにある。2003年に1回限りのイベントのつもりで、東京近郊の建築家やデザイナーのPechaKucha集会を企画したのが始まりだったが、その底知れない可能性にすぐに気づいた。
現在、PechaKuchaは世界1,300以上の都市に広がっている。KDaはPechaKucha専用のプラットフォームを運用し、現在も全世界のオーガナイザーと密に連絡を取り合っている。日本語で「おしゃべり」を意味するPechaKuchaだが、東京で始まったこのコンセプトが大成功となったおかげで、英語では「20秒×20枚で話をする形式」の意味でケンブリッジ辞典に載るまでになった。
2人が35年前に東京にやって来てから、さまざまな変化があった。「おもしろいのは、東京には多くの屋外空間があって、とても暮らしやすく歩きやすい街だということです。今はグーグルマップがあるのでスマートフォンで何でも見つけることができますし、ソーシャルメディアも利用できるので、東京は人々にとってはるかに身近な街になっています」とダイサム氏は語る。また、テラスなど外で楽しむ飲食が流行し、東京で新しい食事や娯楽の楽しみ方が生まれているという。
プロジェクトの規模が大きくなる中でKDaにとって課題となっているのは、約20名のスタッフと共に現場主義を貫くことである。ダイサム氏は「私たちはすべてのプロジェクトに責任をもち、細部までこだわって丁寧に関わっていきたいです」と言う。
2人はどのクライアントのどのようなプロジェクトでも、「人」を中心とした仕事を続けていく。「建築物が心地よい空間であるためには何が必要だと思いますか。私たちはいつも人を基準とし、人々が心地よさを感じ、また戻ってきたいと思うような空間を作りたいと思っています」とクライン氏は言う。
クライン ダイサム アーキテクツ
クライン ダイサム アーキテクツ
https://www.klein-dytham.com/写真/穐吉洋子
翻訳/伊豆原弓