東京の伝統料理と世界の味のペアリング
東京に深く根差す佃煮の歴史
佃煮は、海藻や魚介類など海に囲まれた日本ならではの原材料を、醤油やみりんなどの基本調味料と合わせたもので、伝統的な日本料理に欠かせない食品である。人々はこの甘辛い珍味を、ご飯にのせたり、おにぎりの具にしたりする。
佃煮は東京の歴史と深い関係がある。江戸時代初期、戦で徳川家康を助けた大阪の漁民たちが、見返りとして新しく都となった江戸に呼び寄せられた。大阪の佃村出身の漁師たちは、江戸の新たな居住地を佃島と名付けた。最初は近くの川、干潟、湾で採れた小魚、貝類、海藻を塩で保存食にしていたが、江戸時代中期までには千葉で生産される醤油を使うようになった。江戸を訪れた大名たちが佃煮を地元に持ち帰り、日本全国に江戸土産として定着していった。
新橋玉木屋は1782年に江戸で商売を始めた。当初は黒豆を砂糖と醤油で煮た「座禅豆」を売っていたが、3代目が各種佃煮も作り始めた。店が江戸中で評判になると、砂糖も貴重で高価だった時代、近隣の花街の芸者たちが、黒豆の煮汁を飲むと声がよくなると言ってお座敷の前に煮汁をわけてもらいに玉木屋へやって来るようになった。また、明治時代になると、正月料理として座禅豆を買い求める客が行列を作るようになった。
新橋玉木屋の商品は、歴史が長いだけでなく、一つひとつ丁寧に作られた特別なものである。「佃煮は種類ごとにタレを分けており、えびのタレはえび専用、あさりのタレはあさり専用など、秘伝のタレを継ぎ足しながら使用しています」と田巻氏は説明する。「タレは熟成し続けて、通常の家庭の醤油では出せないようなうまみ、コク、ツヤが生まれます」
伝統と新しい発想のペアリング
新橋玉木屋のチームは、伝統に深い敬意を抱きながらも、決して伝統に縛られることはない。
「現状維持で満足することなく、常に新しいアイデアを検討し、どうしたら今のお客様に喜んでいただけるかを考えることが重要だと思っています」。そう話す田巻氏は、大学卒業後すぐに家業に加わった。新橋玉木屋の長い歴史によって顧客が緊張したり、かしこまったりすることがないよう心がけているという。
「母の教えを守るよう心がけています。どれほど経験を積んでも、謙虚さと優しさを忘れてはならないというものです」
田巻氏の母が社長だったとき、世界各国の代表的料理をもとに、ご飯にかける半生タイプの「世界のふりかけ」を開発した。これにはグリーンカレー味、イタリアントマト味、ベーコンエッグ味などがある。
田巻氏自身も、2021年に事業を受け継いでから、顧客に佃煮を楽しんでもらうための新しい方法を開拓してきた。チームと共に佃煮とワインのマリアージュコースを開発し、斬新な組み合わせで日本とヨーロッパの味をペアリングした。新型コロナウイルスが猛威を振るっていたとき、田巻氏は、人々が家で飲むためにワインを買い込んでいるという話を聞いた。そして「それほど多くの人が家でワインを楽しんでいるなら、何かペアリングができるのではないかと思ったのです」と言う。
マリアージュコースでは、9種類の佃煮とそれ以外のさまざまな材料を3種類のワインと組み合わせる。かつお節とカマンベールチーズの杏子ジャム添え、にしんの北欧風佃煮(薄くスライスしたりんごにザワークラウトとサワークリームと姫にしんを添えたもの)、うなぎ佃煮のアグロドルチェ、葡萄あさりのシチリア風カッペリーニ(ぶどう山椒の入ったあさりとレモンのパスタ)、ヨーグルトと黒豆のシャンティー(座禅豆入りヨーグルトのデザート)などの料理がある。
どの料理にも新しい発見があり、口の中で風味が広がって、一つひとつの素材を引き立たせつつ全体をまとめてくれる。軽めの夏メニューとして考案されたこれらの料理は、斬新な組み合わせとはいえシンプルなので、家庭でも作ることができる。真っ白な皿となめらかなワインが、さらに豊かな体験を演出する。
佃煮のクリエイティブな未来
日本人であれ外国人であれ、現代人にとって佃煮には多くの利点がある。
新橋玉木屋の取組は、東京の老舗の銘品や技術を国内外へ広く伝えるために東京都が推進する「江戸東京きらりプロジェクト」に選定されている。"Old meets New"をコンセプトとして、質の高い伝統の技を革新的な方法で未来の世代へ引き継いでいこうとしている東京のブランドを紹介するプロジェクトだ。
田巻氏は「佃煮にはカルシウムや体に良いミネラルが豊富に含まれ、人工保存料を使わずに長期保存がききます」と話す。佃煮は、環境にやさしい江戸時代の生産と消費の方法を今に伝えているのだ。「腐敗しやすい生鮮食品は大量の食品ロスを発生させますが、佃煮はほぼ何も無駄にしません」
皮肉なことに、日本では伝統的な佃煮への関心が薄れつつある。「古くさいと思われてしまうのです」と田巻氏は言う。佃煮とワインのマリアージュには、日本人客の間で再び関心を高めようという意図もある。「日本人には特に、佃煮はご飯、おにぎり、お茶漬けに合わせるものだという固定観念があります。そのため最初は、ワインには合いそうもないと考えます。ところが実際に試してみた人は、幅が広がった、家でもペアリングにトライすると言ってくださいます。それを聞くと本当にうれしい気持ちになります」
一方、外国人客で佃煮について先入観を持つ人は少なく、最初からワインとのマリアージュという発想を受け入れやすい。「例えば、あさりの佃煮とカッペリーニを組み合わせた冷製パスタをご紹介すると、心から楽しまれて、ご自分でも作ってみるとおっしゃいます」と田巻氏は言う。
外国人客には、新橋玉木屋の商品のうま味とコク感じてもらい、自分でその国々で手に入る素材とのペアリングを発見してほしいという。もちろん、田巻氏とチームも、今後ともこの東京の伝統食を尊重しつつ、現代の国際的な料理文化から得られる新しい発想を大切にしていきたいと考えている。