「鞄」の文字を生んだ進取の気風 日本のかばん文化と歩む銀座タニザワ
里帰りしたトランク
銀座タニザワの創業は1874年。栃木県のみそ製造業の四男に生まれた谷澤禎三(1863~1943年)が上京して日本橋で袋物などを扱う商店に入り、かばん作りを始めた時にさかのぼる。1877年に上野で開かれた内国勧業博覧会に出品した商品が表彰され、「革包(かくほう)」と命名。二文字の中国由来の言葉を一文字の「鞄」と表記して「かばん」と振り仮名を振った。
禎三の曽孫に当たるタニザワの谷澤信一社長は「博覧会に出品したかばんの写真は残っていませんが、横浜が開港して海外から入ってくるようになった物資を使って作ったのではないか」とみる。禎三は1887年に独立し、日本橋に「谷澤鞄店」を開業。復刻された古いカタログには、トランクや口枠型のボストンバッグ、ハットケースなどバラエティー豊かなラインアップが掲載されている。
現在のタニザワがある銀座の中央通りに店を移したのは1890年。谷澤良郎専務は「借金もしただろうし、今の僕からすると、すごい決意だと思う。銀座の中央通りがこの先、栄えていくと感じ、人々の服装が着物から変わっていくことも敏感に察知して、『次はかばんだ』と分かったんでしょうね」と高祖父への敬意を口にする。実際、禎三は1918年に日本で初めて店頭にネオンサインを掲げるなど進取の気風に富んだ人物だったようだ。
良郎さんは昨年末、同店が120年ほど前に販売したトランクをインターネットのオークションサイトで見つけ、約8,000円で落札した。そのトランクは出品した男性の祖父のもので、祖母が亡くなった後、遺品を整理していて出てきたものらしい。「100年の時を越えてタニザワに戻ってきたというのが運命的です。革自体も錠前も問題なく、使おうと思えばまだ使えます。当時の職人たちが、いいものを作って使ってもらおうと、しのぎを削っていた情景が目に浮かびます」
平和への願い込めたダレスバッグ
銀座タニザワの看板商品である「ダレスバッグ」は、開口部が長方形に大きく開く口枠型の鍵付きのビジネスかばんだ。ドクターズバッグとも呼ばれる。2代目店主の谷澤甲七(1892~1982年)が戦後、講和条約の交渉のために来日した米国の政治家ジョン・F・ダレス(後に国務長官になった)が手にしていたかばんをヒントに作り、「SYMBOL OF PEACE(平和の象徴)」のキャッチフレーズで1951年に売り出した。
「新聞に載った写真で見て、これを作ろうと思いつくところが鋭い」と、良郎さんは曽祖父である甲七への思いも語る。大卒の初任給が8,000円ぐらいだった時代に5,000円もする高価なものだったが、日本にはなかった目新しいかばんは人気を博し、ビジネスバッグの定番となった。
昨今はサラリーマンの通勤スタイルもカジュアル化し、トートバッグやリュックなどを持つ人が増えているが、重厚感のある端正な革のかばんの醸すイメージや機能性に価値を見いだす人は少なくない。「弁護士が法廷に入る時にトートバッグなどでは格好がつかないのではないでしょうか。重要書類を持ち歩くので鍵付きのかばんを使うように会社から言われたというお客さんもいらっしゃいました」と良郎さんは話す。
伝統技術を商品に
創業150周年の今年は、ダレスバッグの新シリーズや、レディース用のオリジナルかばんなどの新商品を続々と打ち出している。「お店に立っていると、お客さんの志向が本当に多種多様になってきていると感じます。一点物や、ほかの人とはかぶらないものをお探しになっている」と実感を込める良郎さん。別の老舗企業で勤務した後、昨年7月に銀座タニザワに入社し、自社製品のリブランディングを進めている。
太陽をイメージした絞り染めの大胆な柄のダレスバッグもその一つだ。皮革業者の展示会で見つけた奄美大島の泥染めの牛革を使って、若い職人に作ってもらった。ほかにも藍染めや墨染めのワニ革を使った小ぶりのダレスバッグや、牛革に漆を塗った姫路黒桟革(くろざんがわ)のボストンバッグなどダレスバッグのバリエーションを広げている。
黒桟革は戦国時代の甲冑(かっちゅう)に使われた革素材だ。「日本の伝統工芸や伝統技術のすばらしさをかばんで使っていきたい。そうしないと技術が失われてしまうと思うので」と良郎さんは力を込める。
銀座は今、海外のハイブランドが集まる一方で低価格商品を扱う店も増え、二極化が進む。「うちはサラリーマンの方にとっては高く、ぜいたくできる方には安過ぎると思われてしまう」と良郎さん。富裕層にも間口を広げるため、ドイツのシュランケンカーフやイタリアのブッテーロ革など高級革素材を使った新しいオリジナルかばんの製作も始めた。
上皇陛下が皇太子だった時代には旅行かばん一式を宮内庁に納めた実績から、品質にこだわり、修理も「絶対に怠ってはいけない事業」と位置付ける銀座タニザワ。良郎さんは「『タニザワさん、商売っ気ないね』と言われるけれど、長持ちするものを長く持ちませんかと提案したい」と言う。
「新時代へ」が150周年を迎えた同店のキャッチフレーズだ。「時代に挑んできたのが老舗だと思うので、僕もしっかり戦っていきたい」。創業以来のパイオニア精神は若き後継者にも引き継がれている。
記事の内容、所属、肩書などは取材当時のものです。
取材・文/中村正子
写真/入江明廣