新宿ゴールデン街のバーで紡がれる物語
時代の変遷とともに
新宿ゴールデン街で尊敬を集める前理事長の外波山文明氏は、この活気あふれる街の精神を体現する存在だ。彼はこの街が、反体制文化のアーティストが集う隠れ家から、有名な文化的ランドマークになるまでの変遷を間近に見てきた。「ここは昔、アーティストや反体制的な人々の聖域でした」と言い、三島由紀夫のような文豪が癒やしを求めてやって来た時代を振り返った。「どのバーにも個性的な店主がいて、会話がはずみ創作意欲がわくような独特の雰囲気がありました」
1947年に美しい風景と文化遺産で知られる長野県木曽郡南木曽町で生まれた外波山氏にとって、東京のアートシーンへの旅は運命だった。現在の本業は俳優だが、最初は医薬品販売会社で働き、20歳のときに新宿に移り住んで、時代の最先端を行く東京のエネルギーに魅せられた。「ゴールデン街は戦後の歓楽街として始まり、そこから現在知られているような活気に満ちた雰囲気が生まれました。当時、こうした場所はアウトサイダーやクリエイターの隠れ家で、型破りな人たちがほの暗い灯りの下に集まって、自由に意見を出し合っていました」。芸術と反体制活動が密接な関係にあった時代の話だが、今でもこの狭い路地には当時のような気運が満ちている。
ゴールデン街を守る活動は苦難の連続だった。開発業者からは、新宿のごみごみした景観を一新すると迫られていた。「ゴールデン街が完全に消滅するかもしれないと思ったこともありました」と話す外波山氏は、この街がなくなれば、新宿の精神の一部が失われることをはっきりと理解していた。これらの路地には、思い出だけでなく東京の創造的精神の本質があるとわかっていたため、バーのオーナーや支援者とともに、この街ならではの魅力を守るために奮闘した。
1972年にバー・クラクラを受け継ぐと、クリエイターたちの拠点になった。「クラクラはただのバーではありません。映画評論家からフリーの役者まで、あらゆる人を迎え入れ、深夜に会話するための居場所を提供しました」と外波山氏は言う。クラクラはすぐに創造性と友情をはぐくむ場所として有名になった。店内には意見を戦わせる声や情熱が満ちあふれ、無数のアーティストの夢を刺激した。
特にミシュランガイドに名前が載ってから、ゴールデン街は国際的にも評判を呼ぶようになった。外波山氏は新しい訪問者も歓迎し、この街の精神を理解してもらいたいと考えている。「ゴールデン街は会話と尊重で成り立っています。人の話に耳を傾け、自分の話を共有する場所なのです」と強調する。また、ミュージシャンの坂本龍一氏が亡くなる少し前に彼と深い会話をしたことを懐かしく思い出し、この街の壁の中では強い絆が生まれるのだと話した。
新しい時代
現理事長の関根圭氏は、ゴールデン街に新たな風を吹き込んでいる。関根氏が経営するバー・プラスチック・モデルは、1980年代から90年代の鮮烈なポップカルチャーに敬意を表している。自分好みの体験を作るという決意が表れたこのバーは、郷愁をかき立てるアイテムや音楽に囲まれた安らぎの場所となっている。「プラモデルを作るみたいに、自分の好きなものでいっぱいの場所を作りたかったんです。皆さんがタイムスリップしたような感覚になる空間です」。関根氏はそう言って、店内を埋め尽くすレトロな装飾を見せた。
関根氏がバーのオーナーになるまでの道のりは風変わりなものだった。最初は映画業界で働いていたが、初めてゴールデン街を紹介され、忘れられない夜を過ごしたことで情熱に火が付いた。2003年頃、この街のバーに若いオーナーが急増し、エネルギーと創造性が一段と高まっていることに気づいた。「新しい人が増えるのは素晴らしいことです」と認めつつも、ゴールデン街の歴史と精神を尊重することの大切さは強調している。
関根氏は街の風景の変化について、ゴールデン街の魅力は変わらないが、客層は次第にグローバルになっていると見ている。「ソーシャルメディアで私たちの知名度が上がり、世界中の観光客を引きつけています。パンデミック中にTwitchでストリーミング配信を開始したら、ライブストリームに参加したお客様が店を訪れるようになりました」という。一方で変わらず1980年代の魅力も人々を引きつけており、訪れる客のユニークな視点に舌を巻いている。
ゴールデン街の本質について話しているとき、関根氏は「大切なのはつながりとコミュニティです。バーは小規模ながらもそれぞれ独特の雰囲気を持っており、様々な体験ができます」と語った。彼は、この場所の変わらぬ特徴である創造性と友情という本質的な価値を守っていきたいと考えている。
受容のコミュニティ
バーBuzzのオーナーになって22年以上の沢野和子氏は、自発性と勇気をもって行動したことを話してくれた。スイス系企業の安定した仕事を辞めて店を開いて以来、そこはマリリン・モンローなどの著名人のモノクロ写真で飾られた居心地のよい場所になっている。沢野氏は、友人に連れられてゴールデン街にやって来て、とりこになった。
沢野氏にとって、ゴールデン街の魅力は多様性にある。「気分によってふらりと店に入ったり出たりできます」と言い、この街には約300軒のバーがあるため、いつも何か新しい発見があると強調した。特に、コミュニティの受容性と個性に価値があるという。記憶に残っている出会いの一つは、和服を着た美しい人が、自分は女装した男性だと明かしたことだ。翌日、同じ男性が妻と思われる女性と手をつないでいるのを見かけた。「ここでは誰も、何も決めつけたりしません。皆が余裕をもってお互いを受け入れています」と沢野氏は話す。
話の途中で、甥と一緒に来ていたスウェーデン人の男性が会話に加わり、東京に10年以上住んでいること、長年にわたりゴールデン街を頻繁に訪れていることを話してくれた。男性は、「ゴールデン街には、また来たくなる何かがあります」と言った。初めてゴールデン街を訪れた甥は、さまざまなバーがあることに驚き、ぜひまた来たいと話した。
3人でそれぞれの体験を話すうちに、ゴールデン街は単なるナイトスポットではないことがわかってきた。ここは歴史、創造性、絆に包まれたコミュニティである。一軒一軒のバーにストーリーがあり、訪れる客一人ひとりが生き生きとした物語を加え、それらがゴールデン街を東京の大切な文化的風景の一部にしているのだ。