イラン出身の俳優が語る、多様性が織り成す東京の魅力

東京の人情に触れたアパート暮らし
7歳までイランの孤児院で過ごし、養母と出会い日本に渡るも、最初に暮らした埼玉では路上生活を経験するなど、幼少期から苦難を乗り越えてきた。埼玉から移り住んだ東京暮らしの始まりは、下高井戸にある築70年の木造アパートだった。お風呂もない、トイレも共同のアパートの一室で、小学4年生だったサヘル氏と母の2人暮らしが始まった。
「風が吹くと家が揺れるんです。台所の蛇口からは冷たい水しか出ないので、母がガスコンロで湯を沸かして流し台に私を座らせ、体を洗ってくれました」
生活が苦しくて家賃を滞納することもあったサヘル氏親子を、年配の大家夫妻は温かく迎えてくれた。家賃の支払いが遅れてしまうことを謝りに行くと、「大丈夫だよ」とせっけんやタオルをくれたという。部屋の電球が切れてしまったときも、同じアパートに住む男子学生が手伝ってくれるなど、地域の人たちの優しさと人情に触れる体験を重ねた。
アンバランスが写し出す、万華鏡の景色
高層ビルと古い街並みが混在する東京のアンバランスな世界観は、他国には見られない独特の魅力があり、同じ場所でも時間の経過とともにその表情は大きく変わる。朝の明るい雰囲気から、夕陽が差し込むとノスタルジックな陰影が生まれ、きらびやかな明かりが輝く夜へと変化していく。
「東京の景色は万華鏡みたいです。それぞれの景色にまったく違う表情と魅力があり、二度とない景色だから感動します。目に見えるものだけではなく、そこに住む人たちの生活の音やにおいまで違う」
新旧さまざまモノ、多種多様な人々が密集しているからこそ、そのときその街でしか見られない景色が、万華鏡を回すように次々と生まれる。本来はミスマッチなグラデーションが絶妙な「だし」となり、どこかミステリアスな風情として受け入れることができるのだ。

昔ながらの商店街や、路地のある下町に好んで出かけることが多いサヘル氏。地図を見ずに初めての街を歩き回り、路地に入れば必ず新しい発見や出会いがある。長年住んでいる人たちが新しい挑戦を目指す若者を受け入れている下町は、「未来カプセルのような存在」で、新しいアイデアや刺激にあふれているという。
「八百屋さん、魚屋さん、豆腐屋さんのような、みんなにとっての台所のような存在がとても好き。下町のほっとする雰囲気は、祖国イランと重なります」
阿佐ヶ谷の中杉通りのケヤキ並木は、イランの首都テヘランにある思い出の大通りによく似ているという。高田馬場であればミャンマーの人々が多いように、集まる人々の国籍によってその街の雰囲気も変わっていく。エリアによって多国籍な雰囲気が味わえるのもまた、東京ならではの面白さだろう。また、渋谷なら渋谷、巣鴨なら巣鴨といったように、年齢層によって集まる街が大きく異なるのも東京の特徴だ。
コミュニティや年齢によって心地よさが変わっていく中で、どんな人にも受け皿になってくれる「帰れる場所」があるのだ。
「食べ物だったりファッションだったり、誰にでもお気に入りの場所があって、自分だけのガイドブックを作りたくなるのが東京。隠れ家や秘密基地のように、大人が子どもに戻れるような感覚を思い出させてくれるんです」
新しさと古さの共存、多国籍で多様な文化が入り混じる心地よい矛盾が、多くの外国人を魅了するのかもしれない。

東京に住む外国人の数は、2024年現在約70万人に上る。これだけ多種多様な人たちが密に共生している都市は、世界でもなかなかないだろう。
東京には、空港や駅の案内、公共施設にある多言語対応のサイネージ、災害時の多言語放送など、外国人が安心して生活できるシステムが整っている。一つのエリアに神社仏閣、教会やモスクがあるように、多様性を受け入れる文化も育っている。「こんなに安全で住みやすい国はない」とサヘル氏が自信を持って言えるのは、難民への支援活動などを通して自身がさまざまな国をその目で見てきたからだ。
今後もさらなる国際化と都市開発が進む東京。古き良き日本の人情やノスタルジックな温かさを、これからも大切に受け継いでいってほしい。
誰もが「ただいま」と言える場所、東京
東京を拠点として活動を続けるサヘル氏は、仕事や支援活動のため、国内外各地へ足を運ぶことも多い。「飛行機から東京タワーが見えた瞬間、『帰ってきた』とホッとするんです。ぽつんと光るロウソクみたいな明かりが愛おしくて、ともしびを心につけてくれる」
「目を閉じて、まぶたの裏に描く景色が『故郷』。『ただいま』と言えば『おかえり』と言ってもらえる。誰かが自分の帰りを待ってくれている場所。私にとって東京は、ホームです」

サヘル氏の新著『これから大人になるアナタに伝えたい10のこと 自分を愛し、困難を乗りこえる力』が2024年11月に出版された。本著では、これまであまり触れられてこなかった世界各国での支援活動についても詳しく紹介されている。
これから大人になる10代の若者だけでなく、「生きづらさや孤独を抱える幅広い世代に読んでもらいたい」「自分を振り返って、自分を愛してあげてほしい」と、著書に込めた思いを語った。
「これからも東京とイランの架け橋となり、私を育ててくれた東京に恩返しをしていきたいです」

サヘル・ローズ
写真/穐吉洋子