よみがえる江戸の伝統 東京都心で行う酒造り

 大都会の東京では、なんだってできる──酒造りでさえも。日本酒と言えば、緑豊かな山中に立つ荘厳な酒蔵が、渓流の清水を使って造るイメージだ。しかし、東京都港区にある小さな4階建てビルで酒造りを行う東京港醸造は、都市型マイクロブルワリー(小規模醸造所)の模範的存在であり、その看板商品である「江戸開城」は、東京における日本酒造りがたどってきた紆余曲折の歴史を体現している。
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醸造所ビルの前に立つ東京港醸造のスタッフ。一升瓶を手にしているのが、代表取締役の齊藤氏(左)と醸造責任者の寺澤氏(右)だ。

酒蔵の復活

 約1世紀にわたりのれんを下ろしていた東京港醸造から、米の香りをまとった蒸気が、再び東京都港区の空に立ち上る。醸造所内には、米が発酵する甘い香りが漂う。

 東京港醸造は2年の準備期間を経て、2011年に開業。当初は、原料を濾さずに造るアルコール度数の低い酒「どぶろく」の製造免許のみを取得していたが、2016年には清酒の製造免許も取得。都心でどぶろくを製造している会社は他にもあるが、清酒を製造しているのは現在では東京港醸造だけだ。

 東京港醸造を運営する株式会社若松は、「若松屋」の旧名で1812年から1909年まで東京で日本酒を製造していたが、新酒税法によって醸造所が閉鎖に追い込まれた後は、他の事業を営んでいた。

 若松屋は造り酒屋だったころ、幕府が置かれる「江戸」だった東京が今日の近代的な大都市としての歩みを始める様子を見守ったのみならず、明治維新の立役者となった西郷隆盛や勝海舟をもてなし、酒をふるまっていた。その奥座敷は、後に幕府を倒し、日本の鎖国を終わらせて文明開化への道を開いた西郷らの密談にも使われたとされる。東京港醸造の看板商品は、そうした若松屋の役割にちなんで「江戸開城」と名付けられた。

 「成功するには、おいしい酒を造るだけでなく、そこに物語があることも重要です」と、若松の齊藤俊一代表取締役は語る。

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東京港醸造の看板商品「江戸開城」には、味わいが微妙に異なるさまざまな種類がある。写真はそのうちの4種。

都心での酒造り

 東京港醸造は、風格ある木看板が掲げられ、酒蔵を象徴する杉玉がつるされたこの4階建てビルで、床面積わずか171平方メートルの狭小スペースを活用し、酒造りを行っている。

 作業は早朝に始まる。「杜氏(とうじ)」と呼ばれる醸造責任者である寺澤喜美実氏は、少人数のチームを率い、4階のバルコニーにある大きな甑(こしき)で、70分間かけて米を蒸す。蒸しの工程には空気が澄んだ朝が最適なのだという。屋内には、たんすの上に布団と毛布がそれとなく積み重ねられている。スタッフが泊りがけで酒造りに励む場合もあるためだ。

 熱々の蒸し米は、床に埋め込まれた投下口から、3階に落とされる。マイクロブルワリーの難点である限られたスペースと人手を補うための工夫だ。米がストンと下の桶に入ると、スタッフはすかさずそれを布張りの箱に広げ、周囲に設置された数台の扇風機を使いながら冷ましていく。

 発酵はもう一つ下の2階で、室温が10度前後に保たれた部屋で行われる。徹底した温度管理により、通年での酒造りが可能だ。大きな金属容器の中では、日本酒になる乳白色の液体(もろみ)が盛んに泡を立てている。寺澤氏によれば、今は近代的な設備や電気があるものの、酒造りの工程自体は江戸時代からほとんど変わっていない。東京港醸造は年間タンク約50本を仕込んでおり、その味は醸造ごとに微妙に変化する。

 日本酒の原料は、米、麹、水の三つだけだ。東京港醸造では、自信を持って都の水道水を使用している。東京都水道局の朝霞浄水場が供給する港区の水道水は、オゾンと生物活性炭を使った高度浄水処理により、臭いや微量有機物、アンモニア態窒素が除去されている。

 「同浄水場は都の大部分に水を供給しているため、東京都水道局が水の安全性を綿密に確認しています」と寺澤氏。東京港醸造では、水の風味を良くする追加処理は一切行っていない。

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醸造所4階のバルコニーで、酒の原料となる米を蒸し器から移す寺澤氏

次世代への継承

 1900年ごろ国内に約11,000件あった酒蔵は、現在は約1,200件にまで減った。その多くは大企業に買収されており、齊藤氏によると東京港醸造の元にもさまざまな企業から買収のオファーが舞い込んでいる。独立している酒蔵でも、黒字化に苦労しているところもある。こうした厳しい経営環境に直面している齊藤氏と寺澤氏は、東京港醸造を今後数十年にわたって存続させようと目指している。

 そのための方法の一つは、マイクロブルワリーの形態にこだわることだ。寺澤氏は、自給自足が重要であり、小規模な事業の方が長期的に持続可能だと考えている。ノウハウの共有を重視し、マイクロブルワリーの起業を支援するコンサルティング事業も始めた。

 「江戸開城」のうち、「All Edo」と「All Tokyo」のラベルがついているものは、原材料がすべて地元産で、東京多摩地区産の米と、2種類の東京産酵母を使用。他のプレミアムボトルは、兵庫県産の有機米を使用している。

 若松は最近、東京港醸造が造った酒をふるまう店として、齊藤氏の娘が経営するラウンジを醸造所の隣にオープンし、従業員も4人から11人に増やした。しかし現在70歳の齊藤氏は、最も優先すべきなのは事業のさらなる拡大ではなく、会社と東京港醸造を次の世代に引き継ぐことだと強調する。

 「金持ちでない方が冒険しやすいこともあります」。齊藤氏は、家業を維持するための努力と醸造所再開の決断をそう振り返ると、笑顔を見せた。

 東京の秘められた過去に裏打ちされ、未来に向けた革新的ビジョンを持つ東京港醸造の冒険は、今後も続く。

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日本酒「江戸開城」の樽を背に、自社の醸造の歴史を語る齊藤氏

齊藤俊一

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株式会社若松(旧若松屋)の7代目代表取締役。1954年、東京生まれ。大学卒業後、家業の雑貨店を経営し、不動産業界でも経験を積んだ。2006年、杜氏の寺澤善実氏と出会い、若松の旧醸造所を東京港醸造として復活させることを決めた。醸造は寺澤氏に任せ、自らは経営面を担当している。

寺澤喜美実

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京都出身。1979年に京都伏見の日本酒メーカー、黄桜株式会社に入社。2000年、同社が東京で設立した台場醸造所の醸造責任者に就任。2011年、株式会社若松の東京港醸造に参画し、2015年から同社の取締役と醸造責任者を務める。同社は2016年、清酒製造免許を取得。寺澤氏は現在、東京港醸造の杜氏として、日本酒「江戸開城」などの製造を統括している。
取材・文/アナリス・ガイズバート
写真/穐吉洋子
翻訳/遠藤宗生