新島の多彩な魅力 石、彫刻、海、そしてガラスアート
魅力あふれる離島への旅
伊豆諸島で4番目に大きい新島は、東京の南約160kmに位置し、東京西部にある調布飛行場から飛行機でわずか40分、または竹芝客船ターミナルから高速ジェット船で約2時間20分(大型客船なら8時間半)でアクセスできる。夏の行楽地として人気があり、美しい白い砂浜、活気あるサーフカルチャー、新鮮な魚介類、ビーチサイドでのキャンプ、砂風呂や海の見える露天風呂といったユニークな温泉体験など、さまざまな魅力がある。

新島は、国際的な影響を受けていることも特徴の一つだ。島内にはユニークな建造物が数多く存在し、海辺には神殿遺跡をモチーフとした古代ギリシャ風の露天風呂がある。島の至る所には、巨大な顔の形をした面白い石像もある。それぞれが独特の表情をしており、物思いにふけるものもあれば、恐ろしい形相をしたものもあり、どれも印象的だ。

地元役場の産業観光課職員である富田裕也氏によると、これらの像は1960年代、当時の観光協会理事でもあった新島出身のアーティスト、大後友市氏が島おこしのために制作したもので、モチーフとなったイースター島の有名なモアイ像にちなみ「モヤイ像」と名付けられた。「モヤイ」は、島のことばで「助け合い」も意味する。
特別な石が生んだアートシーン
富田氏によると、モヤイ像やギリシャ風の建築物をはじめとする島のユニークな建造物の多くは、火山活動により生じたコーガ石(抗火石)で作られている。軽石に似た流紋岩で、柔軟性があり芸術作品に最適な素材だが、世界でも新島とイタリアのリパリ島の2カ所でしか採れない。
この石が秘めるポテンシャルを見出したのが、新島出身の野田收氏だ。野田氏は1970年後半、東京の多摩美術大学立体デザイン科を卒業した後、1980年初頭に米イリノイ州立大学大学院美術学部でガラスアートを専攻。故郷の島でとれるコーガ石がガラス作品の優れた材料になる可能性に気づき、帰国後にコーガ石を使った作品作りを開始した。すると、これがシンプルかつ丈夫な天然素材となって、美しくソフトな印象を生むオリーブグリーン色のガラスを作れることを発見した。

野田氏は、母校の多摩美術大学で非常勤講師として教鞭をとりながら、同じく受賞歴のあるガラス作家である妻の由美子氏と共に作品の制作を続けた。
2人は1988年、新島ガラスアートセンターを設立。海外のガラス作家を島に招き、第1回新島国際ガラスアートフェスティバルを開催した。1997年には新島現代ガラスアートミュージアムが開館し、長年にわたって島に招待された海外作家や館員が寄贈したガラス作品の展示を始めた。
フェスティバルの一環として開催されてきたワークショップの講師の中には、米ワシントン州のガラスアート学校「ピルチャック・グラス・スクール」のデイル・チフーリ氏もいる。野田夫妻とも親交があるチフーリ氏は、1960年初頭の「スタジオ・グラス」運動を率いた人物だ。この運動により、それまで工場で行われていたガラスアート制作が個人のスタジオでも可能となり、作家たちはアートで生計を立てられるようになった。
「この小さな島は、作品作りに必要なコーガ石があり、人々が集まりやすい場所です」と野田收氏は説明する。これは、モヤイ像に込められた助け合いの精神にもつながるものだ。「世界中からガラス作家を迎えたかったのです。この島の美しい海と自然に囲まれることで、心がとても落ち着き、自分と向き合うことができます。これは、島を訪れた作家にも体験してもらいたいことです」
ガラスアートで新島と世界をつなぐ
毎年10月に開催される新島国際ガラスアートフェスティバルでは、海外の著名ガラス作家による2週間のワークショップが開催される。国内外から選ばれる受講者の定員は24人で、各ワークショップにそれぞれ12人が参加。内容は実践的で、午前の部で講師から学んだことを基に、午後の部では実際に作品作りに打ち込む。
さらに、島民にガラスアートを知ってもらうイベントや、地元民と訪問者の両方がゲスト作家によるデモンストレーションを見学したり、ガラス作品のサイレントオークションに参加したりできるオープンデイも開催される。オークションの売り上げはスカラーシップ基金に寄付され、ガラス作家志望者が米国の一流作家による研修を受けるための資金となる。
2024年のフェスティバルでは、二つのワークショップが行われた。米国の一流ガラス作家であるダンテ・マリオーニ氏とオーストラリア人作家のベン・エドルス氏が教える吹きガラスと、米国人作家のマット・エスクッキー氏が教えるフレームワークだ。受講者は、韓国、タイ、香港、米国、日本など世界各地から集まった。
マリオーニ氏は、父ポール氏の跡を継ぎ、16歳で吹きガラスを始めた。デイル・チフーリ氏をはじめとした有名作家との関係も深く、新島では計8回のフェスティバルで講師を務めた。

「1989年に25歳で初めて来日しました。成田空港から成田エクスプレスに乗って、そのまま夜行フェリーに乗りこんで、目が覚めたら、こののどかな島に着いていました。この島が、実質的に日本で最初に訪れた場所になったのです」とマリオーニ氏は振り返る。「私の作品は葉や植物をモチーフとしているので、新島では芸術面で非常に良い刺激を受けられます」
「日本には、私がこれまで訪れたどの国よりも、ものづくりに対する高度な関心とアプローチがあることにも気づきました」
国際交流の場としての新島
ガラス職人の技を間近で見学するのは、特別な体験だ。長い竿を700度の炉に入れ、オレンジ色に輝くガラス玉を巧みに吹きながら、望む形にして切り離すには、しっかりとしたチームワークが必要だ。マリオーニ氏とエドルス氏がワークショップで取り上げたテクニックの一つは、網目状のレティチェロ模様を作る方法だった。野田由美子氏によると、これはベネチアングラスで有名なイタリアのムラーノ島出身の職人で、「マエストロ」の称号を持つ現在90歳のリノ・タリアピエトラ氏がアメリカのガラス作家たちに伝授した技だという。その技術が、新島のフェスティバル参加者に伝承されているのだ。

「これは芸術家たちの間で厳重に守られてきた秘密であり、それを海外のアーティストに教えたリノは、地元の人々から裏切り者と見なされました」と由美子氏。「ですが今では、そのような国際協力がポジティブなものであることが、ようやく理解されるようになりました」
ワークショップ講師のエドルス氏も、マリオーニ氏や野田夫妻と同じく、新島への愛と感謝の気持ちを語っている。
「世界中でワークショップを教えてきましたが、最後に感極まる受講生たちを見るたびに、どうしてそうした感情が沸くのか理解できませんでした。でも、新島で初めてワークショップを教えた後、私たちをもてなしてくれた島民の皆さんがフェリーターミナルでお別れを言うために列を作っているのを見て、私も目に涙が浮かびました。ここは本当に特別な場所です」
(左から)野田收氏、ダンテ・マリオーニ氏、野田由美子氏
写真/井上勝也
翻訳/遠藤宗生