Chef's Thoughts on Tokyo:
北欧の家庭料理が楽しめる都内のレストラン

本場で学んだ北欧料理
東京で1979年にオープンした北欧料理店「リラ・ダーラナ」は、美しい自然と豊かな文化を持つスウェーデンのダーラナ地方にちなんで名付けられた。
初代オーナー兼シェフの大久保清一氏は、スウェーデンとノルウェーで15年以上にわたり修行を積んだ。若くして海外渡航するきっかけとなったのは、1960年代に国内で起きていた学生運動だった。同店の現シェフで代表取締役の遠藤芳男氏によると、大久保氏とその友人らは、騒乱続きだった日本とは異なる社会の在り方を求め、北欧に目を向けたのだという。
欧州に到着した大久保氏は「仕事が必要でしたが、もちろん現地の言葉は話せませんでした。でも、レストランの厨房でなら働けたのです」と遠藤氏は説明する。
大久保氏が日本に戻ると、国内の状況は一変していた。もはや大規模なデモは過去のものとなり、世間は好景気に沸いていた。国際都市として成長しつつあった東京の人々に、北欧料理を紹介する機が熟していたのだ。
リラ・ダーラナは杉並区の西荻窪でオープンしたが、後に六本木に移転。狭いビルの2階にある店内は、赤い布張りのインテリアと木製の小物で飾られており、活気ある大都会の片隅にひっそりとたたずむオアシスのようだ。客の約30%は外国人で、北欧のみならず世界各国の人々が足を運んでいる。
遠藤氏は19歳の頃、リラ・ダーラナで働き始めた。北欧料理の知識はもちろん、厨房で働いた経験もなかった。だが奇しくも、この仕事は天職だった。「私は飽きっぽいのですが、この仕事には飽きることはありません。常に新しい人との出会い、新しい発見があります」
遠藤氏によると、リラ・ダーラナが常にこだわってきたのは、スウェーデン語で「ヒュスマンスコスト」と呼ばれる伝統的な北欧家庭料理だ。「北欧で古くから伝えられてきた伝統や料理、食文化の価値観を日本に紹介し、お客様に楽しんでいただくことが、当店の役割だと感じています」

伝統的な食文化に現代的なタッチを
日本と北欧は北半球の反対側にあるが、遠藤氏はこの仕事を通じて、両者のさまざまな類似点に気づいた。特に、寒冷な東北や北海道には、北欧と共通する部分が多い。
「北欧の食文化の根底には、長く寒い冬に備え、食べ物が多い季節に魚や穀物、野菜などを集めておくという習慣があります。発酵や塩漬け、マリネが非常に盛んです」。加えて、夏には新鮮な野菜も好んで食されるという。
北欧料理で定番の食材はライ麦やジャガイモで、肉はさまざまな種類がバランスよく使われる。魚介類では、サーモン、タラ、ニシンがよく食される。特にニシンは欧州各地の沿岸地域で重要な食文化の一端を担っており、「ニシンを獲って保存し、さまざまな方法で食べるという長い伝統があります」と遠藤氏は説明する。
リラ・ダーラナでは、ニシンを3種類のマリネで楽しめる前菜を用意している。優しい味付けのチリソースを絡めたもの、クリーミーなマスタードで和えて香り高いディルをまぶしたもの、そして酢で軽く締めたものだ。
北欧料理には、名前がユニークなものも多い。例えば、アンチョビとタマネギ、ジャガイモのグラタン「ヤンソンスフレステルセ」は「ヤンソンさんの誘惑」という意味だ。由来は諸説あり、美食家のオペラ歌手のお気に入りの料理だったという説、古い映画のタイトルからとったという説のほか、あらゆる快楽に反対していた宗教指導者がどうしても抗えなかった料理がこれだったという説もある。
リラ・ダーラナではこのヤンソンスフレステルセも味わえるが、一番人気なのはもちろん「スウェディッシュミートボール」だ。リンゴンベリーのソースとマッシュポテトを添えたミートボールは「お子様からお年寄りまで、どんな人にも好評で、軽食またはメインディッシュなど、さまざまな位置づけで楽しめます」と遠藤氏は語る。「また、ミートボールの作り方にはあまり決まりがありません。鶏肉、牛肉、または両者の合い挽き肉を使ってもいい。最近では大豆ミートも使えるので、ベジタリアン対応も簡単です」
デザートには、スウェーデンで春のイースター(復活祭)前に食べられている「セムラ」を用意。カルダモン入りの甘いパンに、アーモンドペーストとホイップクリームを合わせたお菓子だ。

持続可能な食文化を再発見
遠藤氏いわく東京は、外国人や、外国料理に魅せられた日本人が持ち込んだ世界の多様な食文化を楽しめる都市だ。だが東京を含め、国内で北欧料理を出す店は、比較的少ない。都内にはそうした店がもともと数軒あったが、新型コロナウイルス流行のあおりで、日本最古の北欧料理店をはじめ、多くの店が閉店したという。
遠藤氏は、リラ・ダーラナを含む都内のレストランが北欧料理を日本に紹介する上で大きな役割を果たしてきたことを認めつつも、自身の仕事については謙虚な姿勢を保っている。
「私は、レストラン文化を尊重したいと思っています」。遠藤氏にとってレストランとは、人々が家族や友人との集いやデートで訪れる場所であり、「リラ・ダーラナがあまりにも有名になりすぎて、入店しにくくなるようなことは避けたい。ふらりと立ち寄って、ごく普通の夜を楽しんでくれれば、それでいいのです」という。
遠藤氏はまた、北欧と日本の食文化のもう一つの類似点として、持続可能な消費の伝統を挙げる。北欧では、長く厳しい冬を乗り切るために、保存食が発達した。一方の日本も、寒冷地域のみならずさまざまな地域で、食料不足に備えて食べ物を保存・共有する知恵が生み出されてきた。「『サステナビリティ』や『循環型生産・消費』は新しい運動ではなく、ずっと自然に存在してきたのだという考え方には、非常に共感しています」と遠藤氏は語る。
遠藤氏は、手間暇をかけつつもサステナビリティの面で課題が残る高級料理は、もはや時代遅れになると考えている。「たとえ素朴な料理であっても、安全で環境に優しければ、きっと味も良いだろうということを、人々は理解し始めています。今後、食に対する別の価値観が生まれてくるでしょう」
現代人が伝統的な食文化に目を向け、持続可能で素朴な食事のすばらしさを再発見しつつある中、リラ・ダーラナの料理と価値観は今後もきっと人々の共感を呼び続けるだろう。

遠藤芳男
リラ・ダーラナ
http://dalarna.jp/写真/穐吉洋子
翻訳/遠藤宗生