創業350年、江戸から続く漬物文化を次世代へ

 創業350年を迎える「酒悦」は、元祖「福神漬」で知られる東京・上野の老舗漬物・佃煮店。江戸時代から続く伝統の味を守りながら、国内外から愛される日本の漬物・佃煮文化を目指し、新たな挑戦を続けている。
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東京・上野に店を構える酒悦上野本店舗、店長の谷中修一氏

伊勢から江戸へ、酒悦のはじまり

 酒悦の歴史は1675年、江戸時代から始まる。伊勢山田出身の初代野田清右衛門は、主に海産物を扱う店「山田屋」を江戸に構えた。伊勢の海の幸を江戸の人々に届けていたようだが、当時は伊勢から江戸まで徒歩で約15日程度かかっていたことから、日持ちのする塩漬けの海産物を取り扱っていたと考えられる。

 その後、酒の肴となる珍味類も多く取り扱うようになり、「酒が悦ぶほどうまいもの」という意味を込めて「酒悦」という屋号を与えられたと言われている。

開発10年を経て誕生した元祖「福神漬」

 酒悦に大きな変化が起きたのは、明治時代の頃だ。創意工夫を好んだ第15代野田清右衛門は、海苔の佃煮などの商品を次々と開発した。それが後の福神漬となる醤油ベースの漬物である。

 「当時の漬物といえば、塩漬け、糠漬け、麹漬けが主流だったので、醤油漬けの漬物はかなり画期的だったでしょう」と店長の谷中修一氏は語る。

 試行錯誤を繰り返し、10年の歳月をかけて誕生した元祖福神漬は、塩漬けにはないコクとうま味があり、当時の日本人にとって親しみやすい味だったという。

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長年変わらぬ味で愛され続けている酒悦の元祖福神漬

 福神漬の原材料といえば「なた豆」が特徴的であるが、「なた豆は、コリコリした食感担当。実は福神漬で一番うま味を出しているのは、割り干し大根なんです」と、谷中氏はおいしさの秘訣を話してくれた。一度干した大根はうま味が凝縮され、それが醤油とマッチすることで独特の甘味も生まれるそうだ。

 「福神漬」という名称の由来については諸説あり、7種類の野菜(大根、茄子、かぶ、うり、しそ、蓮根、なた豆)が使われていること、七福神の一柱である弁財天が上野の不忍池辨天堂(べんてんどう)に祭られていることから、当時の流行作家であった梅亭金鵞(ばいていきんが)が「福神漬」と名付けたと言われている。

インバウンド需要が拓く新たな可能性

 観光客が数多く訪れる上野に店を構える酒悦には、海外からの訪日客も多く、福神漬や漬物を目当てに来店する日本人とはまた違う商品が好まれるという。

 「海外の方に一番人気があるのは煮豆です。ほくほくと甘いので、おかずというよりスイーツに近い感覚なんでしょうね」と谷中氏。酒悦では、お福豆、白福豆、青豆、金時豆、とら豆、昆布豆の6種類の煮豆パックが販売されているが、最も人気があるのは白福豆だそうだ。

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定番の漬物や佃煮、季節のおすすめなどたくさんの商品が並ぶ店内

 また、2025年5月に発売を開始した「焼きあごだし」も、店頭で試飲をしてまとめ買いをしていく客も多い。味噌汁をはじめとするだしの風味は、身近な日本食の味として広く親しまれていることがわかる。

 「海外からのお客様との会話の中で、意外な食べ方に驚くことも多いです」という谷中氏。甘酒のパックをたくさん購入していく常連客に使い方を聞いたところ、そのまま飲むのではなく、調味料として料理に使っていることがわかった。別の常連客は、福神漬のタレをバニラアイスにかけて食べるという。

 「実際に食べてみたのですが、醤油とアイスは意外に合うんだなと感心しました。私たちには思いつかないような答えが返ってくるので、面白いですね。海外からのお客様との交流を通して、食の新たな可能性に気づくこともあります」と谷中氏は語る。

350年を迎え、新商品や復刻ラベルも

 2025年に創業350年を迎える酒悦は、若手メンバーが主力となり、さまざまな取組に着手している。過去に販売されていたデザインを再現した復刻ラベルの商品を発売。懐かしさと可愛らしさを感じるレトロなパッケージに惹かれ、店頭で手を伸ばす客も増えたという。さらに「暖簾シリーズ」という、従来よりも大きめの瓶詰め商品の販売をスタート。また、ウェブサイトのリニューアルも2025年の秋頃に予定している。

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復刻ラベルの「名菜美点」シリーズは贈り物としても人気がある

伝統を守りながら、新たな酒悦を次世代へ託す

 30代で酒悦の店長を任された谷中氏にとって、江戸時代から続く歴史を背負うプレッシャーは計り知れないものだったという。「守らなければ」という思いでいっぱいだったときに、懇意にしている近隣の天ぷら屋の主人の言葉が転機になった。

 「『守るんじゃなくて、託すんだ』と言われてハッとしました。時代は必ず変わるので、守るだけでは続かない。次の世代へ託さなければ」と、谷中氏は当時の言葉を振り返る。

 それをきっかけに「自分なりの酒悦を作り、次の世代へ託していこう」と決意を固めた谷中氏。だからこそ、意欲的な商品開発やインバウンドへの柔軟な対応など、変化を恐れずに挑戦を続けられるのだろう。

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「毎日必ず新商品や未来のことを考える時間を設けている」と語る谷中氏

 酒悦が目指すのは、漬物という日本の食文化を東京から世界へ伝えていくこと。多様な文化が混在する現代の東京で、「酒が悦ぶほどうまいもの」という意味の屋号の通り「あらゆるお酒に喜んでもらいたい」と谷中氏は語る。日本酒だけでなく、ワイン、ウォッカ、紹興酒など、さまざまな酒に合う商品の開発も視野に入れている。

 また、夏限定のトマトを丸ごと包んだジュレや、パプリカを使った和風ピクルスなど、季節の西洋野菜の漬物のラインナップにも積極的に取り組んでいる。

 「江戸から東京になって、150年以上になります。江戸から続く漬物という日本の食文化を、これからも根付かせて残していく。それが私たちの役割です」

 350年の伝統を背負いながらも、常に新しい挑戦を続ける酒悦。これからも時代とともに変わり続ける食文化の中で、日本の漬物・佃煮文化を更新しながら次世代へと継承していく。

谷中修一

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1971年東京浅草生まれ。1993年より酒悦本店に入店、31歳で本店舗店長に着任、その後、人形町店などの店舗を任され、小売の統括を任される。酒悦一筋30年、販売のプロ。座右の銘は「すべての行動に精魂と愛情を」。現在も老舗の多い近隣の店主らと協力し、歴史ある街の活性化にも取り組んでいる。

株式会社酒悦

https://www.shuetsu.co.jp/
取材・文/加藤奈津子
写真/藤島亮