ナオミ・ベックウィス氏、アートとコミュニティ、グローバル文化における東京の役割を語る

 2025年のアートウィーク東京でAWT TALKS シンポジウムに登壇したキュレーターのナオミ・ベックウィス氏。彼女は古いプロテストソングを引用し、この分断が進む時代にアートに何ができるのか、そして緊密に世界とつながっている東京のアートシーンが、なぜこうした対話をリードするのにふさわしい場所なのかを語った。
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2025年11月7日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催されたAWT TALKSシンポジウムで、質問に答える基調講演者のナオミ・ベックウィス氏

「現実」世界の内なる空間としてのアート

 ナオミ・ベックウィス氏は慶應義塾大学三田キャンパスで開催されたアートウィーク東京(AWT)のシンポジウムに登壇し、アメリカのミュージシャンであるマーヴィン・ゲイの社会的メッセージを持つアルバム『What's Going On』を引き合いに出してアートに何ができるのか問いかけた。ベックウィス氏は1971年にリリースされたゲイのアルバムの精神について語り、共通の言語も、共通の関心も、共通の解決策もが欠如しがちなこの世界で、アートに何ができるかを考えるよう聴衆に促した。

 ベックウィス氏は、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館副館長兼ジェニファー&デービッド・ストックマン・チーフキュレーターであり、2027年に開催される「ドクメンタ16」のアーティスティックディレクターを務め主要な美術館において多様性の反映、公平性、コミュニティを重点と位置づけてきたことで知られている。ベックウィス氏は、東京における現代アートの創造性と多様性を発信する年に一度のイベント、アートウィーク東京(AWT)のため東京を訪れ、現代アートが今日私たちに問いかけるものは何か、なぜ東京がそのような問いかけをするのにふさわしい場所なのかを考える機会を与えた。

 ベックウィス氏にとって、アートと日常生活は切り離すことのできないものだ。「アートは現実世界からかけ離れたものではなく、現実世界の中の特別な場所にすぎません」と言う。それは人々が新しいものの見方や感じ方を試すことのできる空間だ。「アートは学びを与え、コミュニティを築き、自らの内なる思考と向き合う機会を与えてくれます。アートを通じて心が広がれば、世界を変えることができます」

 AWT TALKSシンポジウムの基調講演では、『What's Going On』を流すだけでなく、講演の組み立ての枠組みに使用した。このアルバムは、音楽ではなく重なり合う人々の話し声、即興のコールアンドレスポンスで始まることで知られる。「ゲイのアルバムでは、コミュニティの創造が音楽の始まりであり、人々が集まって生まれる音響の共鳴がアートの始まりです」と彼女は説明する。

 この信念はキュレーションの仕事でも徹底している。アーティストが政治的圧力に対し、表現する対象を変えるだけでなく、アートの形そのものを作り変え、具象絵画、パフォーマンス、サウンドを書き換えて新たな解放の形を構想する瞬間に惹かれるという。「アーティストは現代の予言者だと考えることがあります。社会はテクノロジー、見知らぬ人々、歴史、権威を恐れることがありますが、アーティストはこれらすべての恐怖に正面から立ち向かいます」

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2025年11月7日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催されたAWT TALKSシンポジウムで、基調講演を行うナオミ・ベックウィス氏

情報過多の時代に立ち止まる

 情報があふれるこの時代に、アートはますます希少になったものを与えてくれるとベックウィス氏は言う。それは「持続的な注意」である。「現在は多くのものが高速で過ぎ去りますが、アートがあると私たちは歩みを止め、長い時間見つめます」

 抽象絵画をどう観賞したらよいかわからない人は、注意深く見ることから始めるとよいという。「どのような色が見えますか。どのような形が見えますか。その作品はゆっくり作られたように感じますか、それとも急いで作ったように感じますか。制作中のアーティストを想像できますか」。さらに、個人的なつながりを見いだすよう人々に勧める。「アートの答えは、外ではなく一人ひとりの中にあります」


つながり、協働する場としての東京

 AWTはベックウィス氏にとって、こうした発想が東京でどのような形になるかを間近に見る機会となった。「現在の展示は、世界中のアーティストや建築家にとって日本がどれほど重要な存在であったかを示しています」と述べ、さらに複数の美術館で戦後日本の女性アーティストに対する関心が高まっていることを指摘した。今回のベックウィス氏の訪日は、国立アートリサーチセンターとAWTの協働支援により実現した。彼女は、あいちトリエンナーレと瀬戸内国際芸術祭も訪れ、地域の歴史に根差した感動的な作品に出会った。

 東京に戻ると、そこにはローカルとインターナショナルの意見が、対等な立場で交わされる都市があった。こうした交流は、多様なコミュニティを自然な形で対話へと導く博物館、美術館、トリエンナーレによって促進されることも多いという。歴史的に見て、日本のアーティストは自分たちを欧米のモダニズムの流れと関連づけており、その流れに乗る場合もあれば、抵抗する場合もある。現在、アーティストたちは「あまり知られていないストーリーを通じて歴史を探究し、グローバル化と多極化が進む世界でそれらを守ろうとしています」

 ベックウィス氏にとって最も印象的だったのは、東京のつながりの強さだった。「東京のアートシーンは、商業目的から非営利目的まで実に多種多様ですが、誰もが東京周辺のプログラムや同僚の仕事を知っています。競争ではなくつながりの上に築かれたアートシーンであり、誰もが日本の豊かな現代文化の強力なアンバサダーとなっています」

 AWT BUSや実験的なAWT BARなどのプラットフォームも、存在感を示し交流を促進するための重要なツールとなっていた。彼女はそのバーを「絶対に必要なものです。ネットワークがつくられ、アイデアが交換される場所ですから」と話す。

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「浮かびあがる空間」をコンセプトとしたAWT BARでは、アーティストたちとのコラボレーションカクテルやライブパフォーマンスを楽しめる  ©ichio matsuzawa office

インクルーシブな未来を創る

 多様性の反映に深く関わってきたベックウィス氏は、東京には、黒人や少数派コミュニティのアーティストを中心に、インクルーシブ・ハブとしての地位を強化する余地が十分にあると考えている。黒人アーティストと日本の間には長年の結びつきがあると指摘し、ケリー・ジェームス・マーシャルやデイヴィッド・ハモンズなどの人物を挙げ、Space Unなどの芸術・文化プラットフォームはこうした関係を深め続けていると述べる。

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2025年11月7日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催されたAWT TALKSシンポジウムにて。(左から)モデレーターのアンドリュー・マークル氏、登壇者のアダム・シムジック氏、岡村恵子氏、ナオミ・ベックウィス氏

 「非アングロ圏、非ヨーロッパの文化では、アートに何ができるのかについての理解が広がっています」。受け継がれた物語について問いかける取組を共有することにより、豊かな協働の土台が築かれるはずだという。「日本には客人に親切にする文化があり、もてなしの取組こそがインクルーシブへの第一歩になると思います」

 基本的な事実をめぐってさえ分断が広がる世界において、アートは再出発のためのシンプルな場所になるかもしれないとベックウィス氏は言う。集まり、注意し、今何が起きているのかと互いに問いかけること。慶應義塾大学で聴衆を前に語ったように、「What's going on?」は単なる挨拶ではない。対話を続けようという誘いである。

ナオミ・ベックウィス

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ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館副館長兼ジェニファー&デービッド・ストックマン・チーフキュレーター。グッゲンハイム美術館に加わる以前は、シカゴ現代美術館とハーレム・スタジオ美術館でキュレーターを務めた。2024年、2027年にドイツのカッセルで開催される「ドクメンタ16」のアーティスティックディレクターに任命され、この芸術祭の70年の歴史で初めてのアフリカ系アメリカ人ディレクターとなった。

アートウィーク東京

https://www.artweektokyo.com/
取材・文/リサ・ワリン
写真提供/アートウィーク東京
翻訳/伊豆原弓