Chef's Thoughts on Tokyo:
東京の中心で味わう、本場クロアチアの味

 東京には数え切れないほどの飲食店があり、よく知られた国の料理から、あまり知られていない国の料理まで、この街を離れることなく味わうことができる。日本で唯一のクロアチア料理専門店「Dobro(ドブロ)」は、2003年の開店以来、この小さな国の多彩な料理を多くの来店客に紹介してきた。同時に、クロアチアに関する情報や交流が集まる拠点にもなっている。
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クロアチアでは、内陸部は食べ応えのある肉料理が多く、沿岸部では魚介を使った料理がより親しまれている

日本初にして唯一のクロアチア料理専門店

 川崎幸樹(さつき)氏は、日本初にして唯一のクロアチア料理専門店を開くことになるとはもともと想像もしていなかった。2002年当時は大手電力会社に勤めており、会社員として安定はしていたものの、先が見えてしまう日々を送り、毎日事務仕事に追われていた。しかし、新潟県十日町市にある関連会社への出向が、川崎氏の人生の進路を大きく変えることになる。

 出向1年目は、2002 FIFAワールドカップ韓国/日本の開催年と重なった。当時、日本各地の自治体は、世界各国のサッカーチームのベースキャンプ誘致に力を入れていた。川崎氏は、クロアチア代表が練習拠点とした施設で、受け入れ責任者を務めることになった。

 ワールドカップ終了後、川崎氏は休暇を取ってクロアチアを訪れることにした。クロアチアサッカー連盟の関係者や代表選手たちと親しくなり、彼らの祖国を自分の目で見てみたいと思ったからだ。滞在中のある晩の食事の席で、いつか会社を辞めることがあればレストランを開いてみたいと冗談めかして話した。ところが意外にも、相手は真剣にこう答えた。「日本にはクロアチア料理を出すレストランが一軒もない。あなたがやるべきだ」

 会社での仕事は順調で、辞める理由は何一つなかった。それでも夏休みを終えて日本に戻ると、心のどこかで「人生は一度きりだ」という声が聞こえた。2002年12月、川崎氏は電力会社を退職し、クロアチア料理店の開業準備に乗り出した。Dobroは2003年11月に開店し、今も京橋の創業の地で営業を続けている。

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筆記体の店名表示から照明器具に至るまで、Dobroの外観はクロアチアの街にある昔ながらのレストランを思わせる

試行錯誤の連続だった店舗運営

 今ではDobroには、東京で暮らす人々をはじめ、企業の幹部、好奇心に駆られた旅行者、故郷を懐かしむクロアチア出身の人々、さらには外交官や政治家まで、幅広い層の人々が絶えず足を運ぶ。しかし、そこに至るまでの道のりは、長い試行錯誤の連続だった。

 Dobroの開店までの数カ月は、予期せぬ困難や難題が相次いだ。飲食業界での経験がほとんどない川崎氏に物件を貸そうとしない家主は何人もいた。開店予定の1カ月前には、クロアチアから招いたシェフがホームシックから帰国してしまい、川崎氏は急きょ後任を探さなければならなくなった。開店後しばらくは来店客があまりに少なく、店のドアが開くだけでスタッフがはっとするほどだった。

 この苦しい立ち上がりを振り返り、川崎氏はこう語る。「今にして思えば、飲食業界の人間ではなかったことが、かえって良かったのだと思います。飲食店を始める人なら、最初から京橋という立地、この家賃、この規模を選んだりはしなかったでしょう。普通は、もう少し小さなところから始めて、顧客がついてから移るものです」

 それでも、その勝負は報われたと川崎氏は言う。都心という立地の良さも一因だが、大きなリスクほど大きな実りにつながるからだ。

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東京出身の川崎幸樹氏は、2003年から日本唯一のクロアチア料理専門店を営んでいる

一皿ずつ、クロアチアと日本をつなぐ

 クロアチア料理とは何か。この国を代表する一皿は何か。川崎氏は、そうした問いをたびたび投げかけられる。しかし、簡潔に答えるのは容易ではないという。そこで川崎氏はまず、クロアチアの激動の歴史と地理が、その食文化にどのような影響を与えてきたかを説明する。

 長い歳月の中で、クロアチアはオスマン帝国、オーストリア、ハンガリーなど、さまざまな国の支配を受けてきた。さらに、中欧と地中海の結節点に位置することから、ギリシャ、ローマ、ヴェネツィアの影響も取り込んできた。首都ザグレブはハンガリーに近く、煮込み肉料理が親しまれている。一方、アドリア海に面した沿岸部では、魚介料理の方がはるかに一般的だ。

 「料理は文化の反映です。文化が交われば、料理もまた交わります。ですから、これがクロアチア料理だと、一皿だけを指して言うことはできません。クロアチア料理は、多様な文化が溶け合った、まさに唯一無二の存在なのです」

 ある意味で、クロアチアの豊かな文化的多様性と多彩な料理は、世界中のあらゆる料理を味わうことができる、国際色豊かな東京のレストランシーンと重なる。

 「国境が料理を決めるわけではありません。そう考えると、クロアチア料理の最大の魅力は、優れたバランスにあるのかもしれません」と川崎氏は語る。

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Dobroでは、サルマに使うキャベツの葉を2週間、塩漬けにして発酵させてから用いる Photo: courtesy of Dobro

 クロアチアの人々に愛されている料理はたくさんある。その一つが、オスマン帝国時代の名残をとどめるサルマだ。トルコ語の「sarmak」に由来するこの料理は、酸味のあるザワークラウトの葉で具を包むロールキャベツの一種で、爽やかな酸味が特徴である。Dobroの看板料理の一つでもある。

 Dobroのメニューには、家庭料理とレストランならではの料理が織り交ぜられている。もう一つの定番が、クロアチア北部で親しまれている家庭の味、シュトゥルクリだ。テーブルほどの大きさまで薄く延ばした生地に、フレッシュチーズ、卵、サワークリームを包み、細長く巻いて作る。「おそらく、これが当店で最も人気のある料理です。ラザニアでもなければ、ほかのパスタ料理とも違う。どちらかといえばシュトゥルーデル(オーストリアの伝統的な焼き菓子)に近いですね。ただ、分類するとすればパスタに入ると思います」

 日本唯一のクロアチア料理専門店として、川崎氏は、日本の客にクロアチア料理をどう伝えるかに強い責任を感じている。当初から、一定の水準を満たす料理だけを提供すると決めていた。安くて質の低い料理を出せば、クロアチアの評判を損ねるだけだからだ。「日本人が海外で何か悪いことをすると、日本人全体の印象が悪くなるのと似ています」と川崎氏は語る。

 日本でクロアチア文化に関心を持ったり、何らかの形で関わったりする人は、川崎氏に出会うか、Dobroで食事をするか、あるいはその両方に行き着く可能性が高い。これまで同店には、駐日クロアチア大使をはじめ、日本に暮らすクロアチア人、サッカー代表選手、駐日大使館職員など、クロアチアにゆかりのあるさまざまな人々が訪れてきた。川崎氏自身も、2019年と2021年に十日町市がクロアチアのオリンピック選手団を受け入れる際に協力するなど、今もクロアチアに関わる催しに携わり続けている。

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国際色豊かな東京の食シーンで生き抜く

 東京の食の世界は競争が激しく、店は絶えず生まれては消えていく。この街で飲食店を営み続けるには、腕や経営感覚に加え、少なからぬ運も必要になる。

 Dobroが長く成功を収めてきた大きな理由の一つは、川崎氏が現状に満足しないことにある。淘汰(とうた)されないためにはメニューを変えるだけでなく、料理のことを考え続け、一皿一皿の質を少しでも高めようと努めることが重要だと川崎氏は語る。ここで、飲食業界での経験がなかったことが功を奏した。業界の慣習に従うのではなく、常に客の目線から食事体験を考えている。「これで十分だと思ったことは一度もありません」

 洗練され、食に詳しい客が多い東京であることも、Dobroが現状に甘んじない理由の一つだ。「東京の人たちは、世の中にどんな料理があるかをよく知っていて、さまざまなものを試します。東京に来れば、何でも食べられる。そういう意味で、東京で店を営むことは、自分自身の基準も引き上げてくれるのです。良いものを出せば、きちんと評価してもらえる場所でもあります」と川崎氏は語る。

川崎幸樹

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東京生まれ。大学卒業後は大手電力会社に勤務し、その後、新潟県十日町市へ出向した。2002年、サッカーワールドカップのトレーニングキャンプでクロアチア代表の受け入れ施設責任者を務めた後、退職。翌年、日本唯一のクロアチア料理専門店Dobroを開店した。
取材・文/LCY
写真/藤島亮
翻訳/田崎桃子