Chef's Thoughts on Tokyo:
京橋で100年、1串に込められた味を守り続ける老舗焼鳥店

 東京・京橋。東京駅からほど近く、オフィスビルや骨董品店・ギャラリーが立ち並ぶこの街の路地裏に、100年以上の歴史を持つ焼鳥専門店がある。厳選された素材と職人の技術を軸に、地元で愛され続けている伊勢廣京橋本店。3代目の星野雅信氏は、「鶏を美味しく食べていただきたい」という信念を守り続けている。
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伊勢廣当主の星野雅信氏。焼鳥を美味しく楽しむために設計・建築された京橋本店にて

始まりは4席のカウンター

 現在の伊勢廣の基礎を築いたのが、創業者である星野白久(あきひさ)氏と妻・なを氏。日本橋蛎殻町にあった鶏肉専門店「伊勢廣」で働いていた白久氏は、おかみの姪、なを氏と出会う。夫婦となった2人は暖簾を分けてもらい、1921年に「京橋伊勢廣」を始めた。鶏肉販売の傍ら、なを氏が常連客向けに串に刺して焼いた鶏肉の提供を始めたのが、焼鳥専門店としての伊勢廣の始まりだった。東京駅が開業し、街の中心部が大きく姿を変えていった大正期。その変化のただ中、4席のカウンターから始まった焼鳥専門店は大変好評で、いつしか本業の鶏肉販売よりも繁盛するようになった。

 星野氏が生まれた頃にはすでに焼鳥を専業としており、店には多くの常連客と、職人や仕入れ先などが出入りしていた。祖父母とは店の向かいの建物で、毎晩川の字で寝るほどかわいがられていたそうだ。

 「当時は3階の窓から国会議事堂が見えたんです。ロボットのようで恐ろしかった記憶があります」と、星野氏は懐かしそうに笑った。

 京橋という地名は、東海道の始まりである日本橋から京へ向かう際に、最初に渡る橋だったことから名付けられた。江戸幕府の公儀橋であった証として擬宝珠(ぎぼし)が飾られた京橋は、明治8年に石造アーチ橋へ、そして鋼アーチ橋となった後、大正11年にはアール・デコ調のモダンな橋へと改架された。明治8年造と大正11年造の親柱は、中央区の文化財として、現在は京橋と銀座を結ぶ中央通り沿いに設置されている。

 日本橋と銀座に挟まれ「地味な土地柄」と星野氏は笑って話すが、歴史のある企業も多く、老舗の気配と最先端のビジネスが同じ街区に折り重なる、いかにも東京らしい場所でもある。伊勢廣の創業時から同じく3代にわたって通う常連客も珍しくないそうだ。

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伊勢廣の本店は2020年10月に現在の店舗へとリニューアルされた Photo: courtesy of 伊勢廣

1羽丸ごと鶏を味わう焼鳥フルコース

 当時希少な食材だった鶏を、丸ごと美味しく食べてもらいたいと考案されたのが、鶏1羽すべての部位が味わえる焼鳥フルコースである。各部位の美味しさを最も引き出す食べ方を追求し、祖父母が創意工夫を重ねて生み出したレシピは、現在もそのまま受け継がれている。

 その中でも人気の1本が、伊勢廣名物の「団子」だ。つなぎを一切使わず、こだわりの配合のひき肉に、うま味を引き立てる塩、プチッと弾ける麻の実の食感がアクセントになっている。

 「鶏の美味しさを1本で楽しめるのが団子。どの部位を使い、どのようにひくか。それが味の決め手になります」と星野氏は語る。

 柔らかく崩れやすいため、成形と焼きの工程にも高い技術が求められる。熟練の職人は、手の感覚だけで誤差2グラム以内の均一な団子を作ることができるそうだ。

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ランチで提供される焼鳥5本丼。手前からささみ、団子、もも肉、皮身、左奥がレバー

 レバーについても、伊勢廣でしか食べられない特別な味を提供している。100羽に1羽ほどの鶏からしか取れない、天然のフォアグラのように脂肪を蓄えた立派なレバーを選り抜いて使用。芳醇で鮮度の高いレバーはクセがなく、レバーが苦手な人でも美味しく食べられてしまう。

 そして、初代考案のフルコースに唯一加わったのがねぎ巻。薄く切った鶏むね肉をねぎに巻きつけた串で、野菜が食べたいという顧客のリクエストを受け、2代目の善次郎氏が考案したものだ。

 「私がまだ幼かった昭和37年頃、父がねぎ巻を試作して食べさせてくれたんですよ。『美味しい』と言ったら、とても喜んでいましたね」

 ねぎ巻に使用されているのは、江戸東京野菜の千住ねぎ。ねぎの成長具合は季節によって変わるが、焼いたときに火の通りが一定になるように、太さと巻きの加減を指定して納品してもらっている。その仕入れ先とは、初代の頃から数十年以上続く付き合いだそうだ。

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仕入れ先と職人は何より大切な存在

 「『仕入れ先と職人は家族よりも大切にしなさい』というのが家訓でした。私が3歳ぐらいのとき、うっかり職人に生意気な口を聞いたところ、普段は温厚な父に初めて厳しく叱責されたのを覚えています」

 創業時から徹底している姿勢は、値切らずに言い値で買うこと。一度値切れば、次からは値切った価格相応の素材しか持ってきてもらえなくなる。「どんなに技術があっても、素材が良くなければ美味しい焼鳥にはならない」と星野氏が語るように、美味しい鶏が伊勢廣の味の原点だ。良い素材を手に入れ続けるためには、仕入れ先と素材を生かす職人との信頼関係が最も大切である。

 長年店を支える職人の中には、50年以上携わるベテランもいる。

 「串打ち3年、焼き一生」と言われるように、一人前の焼鳥職人になるには最低10年は必要だという。包丁の入れ方、串打ち、炭との対話、焼きの技術。1串1串に、積み上げられた技術と経験が宿っている。

これからも愛され続ける焼鳥専門店であるために

 顧客が求めているものを常に追求し、変わらない美味しさを届けること。そのためにはあえて「こだわりは持たない」と星野氏は言う。強いこだわりは、時に視野を狭め、思考と行動を止めてしまうからだ。

 そんな星野氏が毎日欠かさないのが、開店前の試食である。その日提供される焼鳥の色、形、味を確かめ、気になることがあればすぐに職人に伝え、厳しく注意することも厭わない。ある日、砂肝の大きさに違和感があることを職人に指摘したところ、翌日には改善されたという。包丁の入れ方を工夫することで、素材の個性に関わらず、同じ大きさに仕上げることができたそうだ。

 時代や素材の変化に適応しながら、目の前の味に向き合い、伊勢廣の名で顧客に提供できる品質を保っているのだ。

 2020年の京橋本店リニューアルオープンに続き、2026年4月1日には赤坂山王店を新たにオープンする。変わり続ける都心の地図のなかで、100年続く味を守りながら、変化を恐れず新しい挑戦も続けている。

 「理屈ではなく『こうすれば絶対にうまくいく』という直感があるんです。それが、家業に身を置くということなのではないでしょうか」

 祖父母や父が店の経営について話している姿、職人や仕入れ先とのやり取り、幼い頃から肌で感じ、心に叩き込まれた経験が、星野氏の揺るぎない自信と潔さにつながっているのかもしれない。

 「きょう、伊勢廣を訪れるお客様に『美味しい』と喜んでいただく。その繰り返しで100年になりました。『鶏肉って美味しいな』と一人でも多くの人に感じていただくことが、祖父母への最大の恩返しです」

 そう語る星野氏は、きょうも開店前に職人が焼いた串を試食し、変わらない味を確かめる。変化を恐れず更新を重ねながら、それでも守るべき基準は揺らがせない。その両立が、古さと新しさが共存する東京らしさを体現している。

星野雅信

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1955年、東京生まれ。株式会社伊勢廣 代表取締役。京橋伊勢廣の3代目として、弟の星野進哉氏と共にその味を受け継ぐ。「鳥」の姿と漢字をアレンジしたロゴは、創業当時に祖母なを氏が描いたもので、現在も伊勢廣のトレードマークになっている。

京橋 伊勢廣

https://www.isehiro.co.jp/
取材・文/加藤奈津子
写真/井上勝也