変わりゆく東京               

マイケル・プロンコ

【寄稿】明治学院大学でアメリカ文学、アメリカ文化、アメリカ映画を教え、ニューズウィーク日本版やジャパンタイムズでコラムを執筆するマイケル・プロンコ氏は、30年近く東京で暮らしてきた。東京での暮らしを題材に、小説やノンフィクションを手掛ける。

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川と電車

 東京で暮らしていると、いったい何世紀にいるのかわからなくなる日がある。新設された地下鉄のホームに向かってエスカレーターを下りていくと、やわらかな照明や動く歩道、ハイテクな交通システム、何の製品なのかすぐには見分けがつかない洗練された広告に囲まれ、未来へ放り込まれたような気がする。

 また別の日には、裏路地へ足を踏み入れ、今にも崩れそうな茶屋のある手入れの行き届かない庭に入ると、江戸時代に戻ったのではないかと思えてくる。石の小径沿いには竹が入り組むように伸び、丸窓の向こうには、ほこりをかぶった畳が敷かれた小さな一間の茶室が見える。

 日本で30年近く暮らしてきた今、街が変わっていく過程を眺めることに喜びを感じている。東京は、過去に埋もれてきたわけでも、未来を全面的に受け入れてきたわけでもない。その二面性の中で、過去を失うことなく、より新しい姿へと絶えず更新を重ねている。その均衡は実に繊細だ。

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鳥居とビル

 古い街並みが失われていくことに、東京の人々は複雑な思いを抱いている。戦前の木造の街並みに魅力を与えていた小さな建物や店は、次第に姿を消しつつある。古くからの街並みには、ガラス戸のがたつく音、すり減ったコンクリートの床、古びたビールのポスター、使い込まれたベンチなど、東京らしさを形作る風景があった。

 しかし一方で、実用性もまた東京を形作る大きな力となっている。日々の暮らしを営む大勢の人々のさまざまな要請に応える中で、育まれてきた力でもある。人は街に合わせて暮らし、街もまた人に合わせて姿を変えていく。
 

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川と電車と葛(くず)

 自宅近くの中央線沿いにあった、どこか味わいのある旧駅舎がなくなってしまったのは寂しい。今にも『サザエさん』の登場人物が階段を駆け上がってきそうな、昭和らしい趣があった。だが朝のラッシュ時には列車がひっきりなしに通るため、歩行者や自転車、車は踏切を渡ることができなかった。列車もまた、どの踏切でも安全のために減速しなければならなかった。

 線路の高架化は何年もかかる大事業だったが、そのおかげで、列車は頭上を勢いよく走り抜け、車も自転車も歩行者も本来の流れを妨げられずに行き交えるようになった。これが進歩というものなのだろう。

 古い造りには、それならではの魅力もあれば、不便さもあった。だが、人や電車、車が滞りなく流れることは、東京という都市を動かし続ける重要な力でもある。伝統的な趣と現代的な機能性がぶつかるとき、両者が常にうまく折り合うとは限らない。それでも、そうしたせめぎ合いが、変化を続ける東京の活力を生み出している。

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渋谷にて

 渋谷や日本橋といったエリアが、ゴジラを思わせるようなオフィスや高層商業施設、眺望のよい高級住宅へと再開発されていくにつれ、かつてそこにあった魅力的な雑然さが恋しくなる。あの古い街並みは、歩きながら、少なくとも心の中では語りかけることができる祖父母のような存在であり、歴史や経験、暮らし方について、自分の知らなかったことにふと気付かされる場所でもあった。作家L・P・ハートリー氏の有名な言葉、「過去とは異国であり、人々の振る舞いもまた異なるものである」は、かつての東京のそうした地域にまさにぴったりだった。それは尽きることなく人を引きつける街だった。

 昔ながらの東京が自分に合っていたのは、道に迷ったり、少しぶらぶら歩き回ったりすることを苦にしなかったからだ。携帯電話がまだ一般的ではなかった頃、友人と私は、どこへ着くのかもわからないままバスに乗ることがよくあった。路線上の停留所名のほとんどは聞いたことがなかったので、降りた後は、知っている場所に戻るために人に道を尋ねなければならなかった。入り組みながら広がる東京では、大小さまざまな冒険がいつでも可能で、決して期待を裏切らなかった。

 しかし今や、多くの都市再開発プロジェクトは、野心的で商業色が強く、しかもその意図が見えすぎるように感じられる。計画する側は、その設計から謎めいた魅力や意外性を取り除いてしまった。それでも、買い物や居住、仕事の場となる真新しい施設が華々しくオープンすれば、人々はすぐに足を運ぶ。好奇心は東京で強い力を持つ。ある人を遠ざけるものが、別の人を引きつける。街の神秘もまた、形を変え続けている。

 この街が障がいのある人々にとって確実に暮らしやすい方向へ変わっていることは疑いようがない。黄色い点字ブロックによって街の広い範囲が利用しやすくなっていることは、計画と技術、そして常識が結びつけば、誰もが取り残されない街を実現できることを示している。今では、多くの歩道の中央を黄色い凹凸のあるブロックが延び、まるで大きな黄色いリボンのように、街路と歩道を包み込んでいる。

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夜の新宿

 視覚に頼って移動する人にとっても、街は以前よりわかりやすくなった。中国語、韓国語、英語、日本語による案内表示や矢印、目印、説明が増えたからだ。どの駅にもアルファベットと番号が付いている。東京に来たばかりの頃、目を細めながら駅名を推し量っていたのを覚えている。まず自分の最寄り駅を覚え、次によく行く駅を覚え、それからほかの駅の漢字も少しずつ身に付けていった。何年もかかった。だが今では、東京の街全体が、空港のように表示や番号、アルファベット、案内で整えられている。移動するのに、言葉はほとんど要らない。

 もしテクノロジーを必要としていた街があるとすれば、それは東京だった。携帯電話は、この街の体験そのものを変えた。もちろん、実際の街に目を向けることなく、手のひらサイズの小さな画面に没頭している人も多いのだが(残念)。学生たちはよく、私に「スマートフォン以前の暮らし」について尋ねてくるのだが、こちらは思わず笑ってしまう。東京ではかつて、地図帳や名刺に描かれた簡単な案内図だけを頼りに、人々が道を見つけていたなど、彼らには想像もつかないのだ。結局のところ、東京にはスマートフォンが必要だったのだろう。

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路線図の隣で

 かつて友人と会うというのは、時間と場所を決め、誰かが遅れれば辛抱強く待つことを意味していた。今では、到着予定時刻を伝え合うやり取りが何度も続く。店の予約がしやすくなり、段取りもスムーズになった。だが、携帯電話を持たずに待ち、見知らぬ人同士が落ち合うのを眺めながら、友人や恋人がいつ現れるのだろうと思うことには、かつて独特の高揚感があった。そうした時間が、この広大な都市の中に自分がいることを実感させてくれた。

 おそらく東京の一番良いところは、うまく機能するものに目を向け、過去の成功をさらに磨き、広げていくところなのだろう。鉄道網は、昔から東京の驚異の一つだった。これ以上どこに地下鉄が収まるのか想像もつかないが、副都心線、南北線、大江戸線といった新しい路線(もう名称が尽きてきたようだ)が今や都内を縦横無尽に走り、しかも都心を離れると、そのまま郊外へ延びる路線へとつながっていく。この街の人々は、かつてないほど自由に移動できるようになった。

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ビルと桜の木

 より長距離を走る列車が、ある県から東京の中心部を通り抜け、さらに別の県へ向かう長大なルートを走るようになった。私が週に1度利用する湘南新宿ラインも、実は複数の路線が東京らしく複雑でわかりにくい形でつながったものだ。時折、乗車した電車の表示板に「宇都宮線」「横須賀線」「高崎線」、あるいは「東海道線」と表示されることがある。どうやら私は、それらすべてに同時に乗っているらしいのだ。

 それでも、かつて駅員が切符にはさみを入れ、回収していた、あのカチカチという音が恋しい(遠い昔のことだが)。やがてそれは自動改札機に置き換えられ、切符もプリペイドカードに取って代わられ、さらにスマートフォンのアプリへと移っていった。歩調を緩めることなく駅を通り抜けられる便利さはありがたい。だが、ときには少しペースを落とすのも悪くない。より速く動ける東京が、必ずしも良い東京であるとは限らない。

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夜の東京駅

 年月を重ねるうちに、東京の食の選択肢は、より多彩に、そしてより本格的になった。ミシュランガイドが東京を駆け巡るように星を付けていったことも、この街の食通たちにとっては驚きではなかった。食を愛する人たちは、すでに一流の店を知っており、東京らしく、店が混みすぎないようその多くを秘密にしていたからだ。

 そして、ラーメン1杯の値段が長らく守られてきた1,000円の壁を超え、チーズやトマトなど従来にない味を加えた新しいスタイルの店が広がる一方で、本格的なラーメン店の数もむしろ増えているように思える。ここにも、昔からの東京らしいせめぎ合いがある。変われば変わるほど、変わらないものもある。東京は、相反する力の均衡を保つすべを、世界のほかの大都市にはなかなか見られないかたちで身に付けてきた。

 東京は長らく、世界との距離を保ちながら、遠くから人々に愛される静かな巨人のような都市であり続けてきた。だが、観光客が押し寄せる今、その姿は変わった。それでも、相反する力の間で均衡を保ちながら街を前へ進める東京ならではの力学が今も働いている限り、街が未来へと突き進み、ときにジグザグに進むとしても、その過去の美しさと風格が完全に失われることはないだろう。

マイケル・プロンコ

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マイケル・プロンコ氏は、明治学院大学でアメリカ文学・文化を教え、ニューズウィーク日本版、ジャパンタイムズ、アートスケープなどで、文化、芸術、ジャズ、社会、建築、政治について執筆してきた。『Detective Hiroshi』ミステリーシリーズや、東京での暮らしを描いた『Tokyo Moments』シリーズの著者でもあり、ウェブサイト『Jazz in Japan』も運営している。

写真提供/マイケル・プロンコ
翻訳/田崎 桃子