通勤生活36年、東京の電車で見つけた「和」の精神

ルース・ジャーマン

【寄稿】東京を拠点とする経営コンサルタント会社、株式会社ジャーマン・インターナショナルの創業者兼CEOで、日本の上場企業3社の社外取締役を務めるルース・ジャーマン氏は、35年以上日本で暮らしてきた。日本のグローバル化に関する政府の施策への助言のほか、日本人と日本の文化の強みを伝える執筆・講演にも取り組む。

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朝のラッシュ時に通勤客で混み合う当時の国鉄新宿駅(1985年6月) Photo: JIJI PRESS

36年間の通勤

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東京タワー

 1988年当時、誰かと目が合うと、相手はすぐに目をそらすのが常だった。ボストンの大学を卒業後、日本で暮らすことになった私は、ハワイでアロハの精神の下に育ったこともあり、通勤のたびに孤独を感じていた。

 株式会社リクルートに就職した私は、おびただしい数の人の波に揉まれながら、銀座の本社ビルに近い新橋駅との間を毎日往復していた。

 当時の東京は、バブル経済に浮かれており、お金が湯水のように使われていた。電車に乗っている女性たちが、ロゴの入った茶色のルイ・ヴィトンのバッグを持っているのが、うらやましかった。

 ある時、リクルートの同僚が、なんと六つものルイ・ヴィトンのバッグと共に、私から見るととんでもない金額のクレジットカードの請求を抱えて、いつものハワイ旅行から帰ってきた。「ショッピング熱に火が付いちゃって」とこぼしていたが、口元が微笑んでいたところからすると、あの異様にぜいたくな時代にあって、24歳のオフィスで働く女性、いわゆるOLにとって、それが最高にわくわくすることだったのは間違いない。

 さて、私が孤独を感じていた話に戻ろう。

 米国では、知らない人同士でも目が合えば微笑みを交わすのが普通だ。エレベーターや静かな駅などでは、そのちょっとした笑顔のやり取りで、相手には悪意がないと思えることがある。双方がほんの一瞬だけ微笑み、互いを認識したら、またそれぞれの道を行くのだ。

笑顔以上の何か

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職場にて。入社直後の1988年2月頃

 これが東京ではまったく違うように思えた。ほとんど日本語が話せないながら、新しい国でなんとかやっていこうとする中、私生活ではさまざまな変化があった。エネルギッシュな会社で新入社員として働く大変さもあり、私は安らぎを求めていた。見知らぬ人同士のあの小さな優しさがもたらしてくれる安心感が欲しかった。

 通勤中、私は周りの乗客を見習い、新聞はきちんと縦に四つ折りにして、隣の人に当たらないようにした。車内の奥に進み、ドアをふさがないようにした。銀座駅で満員の車内から体をよじって降りる時には、「降ります!」と明るく声を掛けるようになった。

 ラッシュ時には、座っている人の膝をまたぎそうなくらい、座席すれすれに立つのがごく普通であることも知った。見知らぬ人々とこれほど近い距離で空間を共有するのは、これまでにない経験だった。

 かつてないほど他人との距離が近かったのに、誰も私を見ようとはしなかった。

 仮に誰かがこちらを見ていても、私がその視線を捉えると、相手はさっとスポーツ新聞(当時、サラリーマンの間で人気だったスポーツタブロイド紙)に目をやったり、降りる駅までの短い時間でも眠ろうと、目を閉じてしまったりするのだった。

 私は心の中で、わずかな笑顔を求めていた。

 「私もここにいるよ。あなたを見ている。あなたは一人じゃない」。誰かのそういう思いを感じたかった。

「和」を体感する

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1989年の入社式。母と日本武道館の前で

 しかし、この素晴らしい都市で30年以上暮らしてきた今では、あの満員電車で押し合いへし合いしていたことが、東京流のつながりだったのだと感じている。網棚にブリーフケースを載せる人は、次の人の荷物のためにスペースを残して丁寧に置く。その時、私たちはいつもつながっていた。「降ります!」と声を掛ければ、周囲の人たちが一歩横にずれて私を外に出してくれた。その時、私たちの息はぴったりだった。ドア付近の人は、再び乗れないかもしれないとわかっていても、一度降りてホームで待ち、場所を空けてくれた。そうやって、私たちはいつも協力し合っていた。

 その時私が体験していたのは、強力な一体感や仲間意識だったのだが、それをどう読み取ればいいのか、私にはまだわからなかった。

 それは静かで、さりげないチームワークの一種である。

 ある朝、慌てて電車に乗り込んだ私は、閉まるドアに腕を挟まれ、右手と紙袋が外に出たままになってしまった。すると、3人の乗客がさっと立ち上がり、ドアを手で開けてくれた。おかげで私は腕を引っ込めることができた。

 彼らは私を守ってくれた。

 ある時は、娘が体調を崩して電車の中で気を失ってしまった。するとたちまち数人の乗客が集まってきて、汚した場所をスポーツ新聞で覆い隠すと、次の駅で彼女を優しく電車から降ろし、家に帰れるようにしてくれた。彼らは、当時10歳だった娘に、一切恥ずかしい思いをさせなかった。彼女はただ、見知らぬ人たちが自分のことを気に掛け、見てくれているのを感じたのだった。

 彼らは私の家族に寄り添ってくれた。

 またある時は、夜遅くまでの誕生日パーティーで飲みすぎたのか、電車が止まった時に、隣に座っていた男性がそっと起こしてくれた。私は彼の肩にもたれかかって眠ってしまっており、大きな花束はずっと彼の膝にかぶさっていたのだ。私はなぜか、彼がわかってくれていたような気がした。たぶん彼は、「眠らせておいてあげよう」と思ったのだろう。

 何しろまだ水曜日で、翌日は皆、仕事があったのだ。

 彼らは寛容だった。

 当初は、東京には笑顔がないと思っていた。しかし今では、ラッシュ時の満員電車にさえも、日本人の強力だがさりげない連帯感が表れていたのだと思う。

 東京のあらゆるものの根底にあるのは、「和」の精神だ。

笑顔が喜びを引き立てる

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東京タワーと東京スカイツリー(2020年4月) Photo: JIJI PRESS

 そして最近、思いがけないことが起きている。

 笑顔を見かけることが増えてきたのだ。

 池袋駅で、おしゃれな女性とすれ違い、そのファッションセンスに見とれていると、その人と目が合う。彼女はにっこりと笑う。カフェのカウンターでブレンドコーヒーを待っていると、隣にいる年配の男性と目が合う。彼が微笑む。ベビーカーに乗った幼児を連れた家族とすれ違う。その子の鮮やかなオレンジ色の帽子が目に留まる。目が合うと、子どもは満面の笑みを浮かべる。私が微笑み返すと、父親と母親も温かい笑みを返し、軽く会釈する。

 一人でいても、そうでなくても、東京のような大都市では時に孤独を感じることがある。しかし、立ち止まってよく観察してみると、超満員の通勤電車の中にさえも「和」という古くから受け継がれてきた精神が息づいており、見知らぬ人同士の間で、ふと笑顔がこぼれることに気付くかもしれない。

 東京では「Old Meets New(昔と今が出会う)」は、単なる決まり文句ではない。

 日々の生活の中で感じられるものだ。朝の電車の中でさえも。

 ただ、笑顔を忘れないでほしい。

ルース・ジャーマン

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アメリカ合衆国出身。35年以上日本に在住。東京を拠点とする経営コンサルタント会社、株式会社ジャーマン・インターナショナルの創業者兼CEO。日本人と日本の文化の強みを紹介する書籍を複数執筆しているほか、日本の上場企業3社の社外取締役を務める。日本の宅地建物取引士資格を所有する数少ない欧米人女性の1人である。日本のグローバル化の進展に関する政府の複数の施策に助言を行うとともに、グローバル経済における日本の役割の変化について頻繁に執筆・講演している。

写真提供/ルース・ジャーマン
翻訳/喜多 知子