ハーバード大学から東京のスクリーンへ ある俳優の大いなる跳躍

長年にわたる「縁」
ブルックス氏の日本との出会いは、11歳の頃にさかのぼる。「日本とのつながりはかなり独特なもので」と彼女は説明する。「まったくの偶然だったんですよ」。マサチューセッツ州ボストンにある彼女の中学校には、たまたま日本語の授業が設けられていた。「アメリカの公立学校で日本語を学べるなんて、本当に珍しいし、すごいことだったと思います」
その後、日本語の授業がない学校に転校することになったが、娘の語学への情熱に気付いた母が動いた。「母はボストン日本協会を説得して、初の子どもの生徒として入会させてもらえるよう話をつけてくれました。当時は子ども向けのクラスがなかったので、12歳でビジネスレベルのクラスに参加したんです。私以外の6人は全員、ビジネス日本語を学ぶ社会人でした」
昭和ボストン(昭和女子大学の海外キャンパス)の留学生たちとの交流や、家族でのホームステイ受け入れを通じて、ブルックス氏は日本文化への親しみを深めていった。「本当にたくさんのことを学びました。あの頃に出会った人たちとは、今も友達です」。16歳のときには、YFU(Youth For Understanding)の奨学金を得て日本へ留学し、奈良県の農村に滞在した。「人生が変わる経験でした。奥深い田舎で、最も純粋な形の日本文化に触れることができた。ホストファミリーのことは、今でも本当の家族だと思っています」
キャリアチェンジと夢
ブルックス氏の関心は日本語だけではなかった。「ものの仕組みや、人間、つまり、何が人を突き動かすのかということに、ずっと興味があったんです」。その探求心と強い意志に導かれ、ハーバード大学で機械工学の理学士号を取得し、マサチューセッツ工科大学(MIT)ではヒューマノイドロボティクス(人型ロボット工学)と義肢の研究に取り組んだ。「誰かが失ってしまった身体の一部を取り戻す試みに関わることに、とても深い意義を感じていました」
工学への情熱は深かったが、芸術に惹かれる気持ちもまたブルックス氏の中にあった。「純粋に芸術だけに集中したいと思った時期がありました。でも当時は、工学は自力で学べるものではないと感じたので、そちらを先に学ぶことにしたんです」。芸術の世界は彼女を待ち受けていたのだが、それを知ることになるのは、もう少し後の話だった。
スタートアップへの就職を機にニューヨークへ移り住んだ後、モデルエージェンシーにスカウトされ、いくつかのCM出演の機会を得た。「エージェントが次々とオーディションに送り込んでくれて、すぐに演技レッスンの必要性を痛感しました」。著名な演技コーチ、アンソニー・エイブソン氏との最初のレッスンで、何かがはじけた。「電球がパッとついたようでした。自分が一生をかけてやりたいことはこれだって確信したんです。キャリアを通じて色々なことに挑戦し、色々な人間を生きてみたい。ずっとそう思ってきました。その方法がここにあった」
俳優としてのキャリアは、アメリカの話題作『Billions』や『Strangers』への出演で確実に実を結んでいったが、東京に暮らすという夢は決して薄れることがなかった。日本での人脈と語学力を武器に太平洋を越えて活躍の場を広げ、複数の役をつかんだほか、東京の名門アクションスタントスタジオである「AAC STUNTS」で格闘アクションのトレーニングも開始した。直近ではNHKの連続テレビ小説『ばけばけ』でマーサ役を演じた。
適応すること、そして受け入れること
アメリカと日本の両方で活動するブルックス氏には、それぞれの現場の違いに慣れることが必要だった。「一話ずつ順番通りに撮るのが普通だと思っていました。でも日本では順不同で撮影することが多く、一日で複数のエピソードのシーンを撮ることもある。驚くべきことだと思います」と彼女は語る。「撮影の組み立て方としてはかなりの違いですが、他の俳優さんたちは当たり前のように対応しているんですよね。私にとっては大きな学びでした」
日々の撮影の進め方にも違いがある。アメリカの制作現場は特定の組合ルールに沿って動くが、東京でははるかに予測しにくい。「東京では、プロジェクト次第ですし、制作会社や監督の意向にも左右されます」と彼女は言う。「俳優としては、それがかえって面白い。準備を信じることが大切で、何が来ても対応できるよう、過剰と思えるくらい準備せざるを得なくなる。何が起きるかわからないから、何でも起こり得ると思って臨まなければいけないんです」
スタジオ撮影だった『ばけばけ』の後、ブルックス氏は東京とその近郊の実際のロケ地で撮影する作品にも参加している。「東京での撮影は最高でした。実際に人々が暮らしている場所を使うわけですから。それを演技に吸収して、自分なりの歴史をつくり上げ、そこに生きる人たちと結び付けていくことは本当に美しい。撮影地としてこれほど魅力的な都市はないと思います。どこを切り取っても、何か面白いものが必ず映り込んでいるんですよ」
東京は、夢が現実になった場所
ブルックス氏にとって、東京は長年の目標だった。そして今、仕事のおかげで、ニューヨークと東京を行き来する生活が実現した。「東京はとてつもなく大きくて、素晴らしい都市です。よくニューヨークを『コンクリートジャングル』と言いますが、その言葉は東京の方が似合うと思います。ニューヨークは通りが碁盤の目状で、街並みが予測しやすい。でも東京は道があらゆる方向に走って入り組んでいて、先々で現れるどの建物も独自の個性を持っているからです」
エンジニアとして、ブルックス氏はテクノロジーが日常生活にシームレスに溶け込む東京の姿に感銘を受けている。「交通システムや効率性、清潔さに表れています」。また、住民の生活向上に真剣に向き合う都市の姿勢も感じ取っている。「技術やイノベーションが、常に住民の生活をより良くするという考えの下で推進されているのがわかります。そういう発想が欠けている都市はたくさんある。実際に体験してみると、本当に新鮮です」。さらにこの姿勢が、日常のエンジニアリングの細部にも現れていると付け加える。その一例が、駅の床に刻まれた溝だ。雨水を排水溝へ導くことで浸水を防ぐ、配慮あるデザインである。
常に東京に住んでいるわけではないため、ブルックス氏はマンスリーマンションを活用し、より自由度の高い滞在スタイルを実現している。「毎回違うエリアを試せるのが、本当にクールで」と彼女は言う。「利点は、ジョギングをしながら公園や神社、カフェなど、そのエリアの新しい一面を発見できることですね」。お気に入りのエリアは訪れるたびに変わっていくが、一つの見方は変わらない。「東京は、人間らしさが輝いている街です。どこを見てもそこに人の気配があって、まるで誰かがどんなに小さな建物にも自分の個性を吹き込んだかのよう。この街には、語り尽くせないほどの物語が詰まっています」。映画人や芸術家、そしてブルックス氏のような俳優にとって、それはまさに夢のようなことだろう。
ミーシャ・ブルックス
写真提供/ミーシャ・ブルックス
翻訳/舘山未来