東京の「もう一つの時間」へ。邸宅庭園が誘う静寂の世界
和と洋が溶け合う、昭和初期の美意識
葛飾区観光施設指定管理者の諏訪宏氏は、毎朝、柴又駅で降りて日蓮宗の寺院、柴又帝釈天に向かう参道を通って山本亭に向かう。
「この周辺には低い建物が多く空間を遮るものがないので空が広いんです。帰りは参道の店が閉まり、きらびやかなネオンもない。ひっそりとした様子は、異次元の世界にタイムスリップしたような気分になります」と表現する。
かつて実業家の山本栄之助氏が所有したこの屋敷は、1933年頃までに現在の姿が完成したと推定される近代和風建築の邸宅だ。1988年に葛飾区が取得し、山本亭として一般公開している。
玄関の先に広がる和室は6室。角部屋の2室には掛け軸や花などを飾る床の間、段違いに棚板を取り付けた違い棚、間仕切りの木枠に和紙を張った明かり障子、天井近くから採光するための欄間など、随所に伝統的な日本家屋の特徴を備えた書院造りが施されている。
一方、玄関の間のすぐ右手にある鳳凰の間は、邸内唯一の洋室だ。白しっくい仕上げの高い天井、寄木を用いたモザイク模様の床、大理石のマントルピース、そしてステンドグラス。昭和初期、玄関口に応接用の洋間を設けることは、当時の大邸宅によく見られるスタイルだという。
座って眺めるために計算された庭
和室の障子を開けると、主庭が広がる。散策するためではなく、室内から静かに眺めるために造られた座観式の庭園だ。890平方メートルと決して広くはないが、池、石、築山から落ちる滝で構成され、池にはコイが泳ぎ、マツやツツジなどの常緑樹が四季を問わず緑をたたえる。
「正面に大きな松、その周囲に池や石が配置され、奥にある滝に向かって遠近感を出しています」と諏訪氏。置かれている石は四国など日本各地から取り寄せたもので、遠方から運ばれてくる大きな石は、当時、富の象徴でもあった。

アメリカの日本庭園専門誌で、伝統的な日本家屋で過ごす体験ができる、とコメントされていることを受け、諏訪氏はこう分析する。
「コンパクトな空間に計算された庭造りと、居心地の良さを評価していただいているのではないかと思います」
邸内では喫茶サービスも行っている。受付で先に会計を済ませ受け取った札を机に置いておくと、希望のメニューが運ばれてくる。「静かに庭を楽しんでいただくための工夫です」
座敷に腰を下ろし、茶を一服いただきながら庭を眺めるひとときは、落ち着いた空間とゆったりとした時の流れを感じさせてくれる。
世界から選ばれる「東京の隠れた名所」
来場者の約半数は海外からの旅行者で、近年はイタリアやスペインなどヨーロッパからの旅行者が急増している。「口コミで人気が伝わっているようです」と諏訪氏。
2024年に来場者200万人を突破した際、その記念すべき訪問者はイタリア人カップルだった。
「次の目的地を尋ねると『お台場』とのことでした」
歴史を感じさせる山本亭から、東京湾岸の新しい風景へ。東京の新旧を一日で体感したい外国人旅行者のニーズに応える場所なのだ。
葛飾柴又という文化的景観の中で
2018年、葛飾柴又の文化的景観は、日本の重要文化的景観に選定された。江戸川の土手から望む広い空、帝釈天とその参道、農村を由来とする低層の住環境、そして矢切の渡しなど、都市と田園が交差するこの地域に、山本亭は静かに溶け込んでいる。
窓に使用されているガラスは現在入手困難で、毎晩雨戸を閉めることで守られてきた。障子やふすまも定期的に張り替え、庭の手入れは、樹木ごとに専門の庭師が担当する。床は毎日拭き上げ、玄関には打ち水を欠かさない。
この建物を生きた空間として保ち続けることで、伝統は次世代へと受け継がれていく。
諏訪宏
写真/井上勝也










