実業家・作家のリシャール・コラス氏が語る、美意識、観光、そして日本の奥深さ

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 東京で長年キャリアを築き、ジバンシィとシャネルの日本法人トップをはじめとする要職を歴任し、現在ではTASAKIのグローバルCEOを務めるリシャール・コラス氏は、ラグジュアリーブランドの世界で広く知られる存在である。また、小説家としても名を馳せ、これまでにフランス語と日本語で12冊の著書を刊行している。コラス氏が歩んできた魅力あふれる半生、創作の着想源、美意識から本物に触れる旅に至るまで、幅広いテーマについて話を聞いた。
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実業家・作家として活躍し、数十年にわたり日本との絆を深めてきたリシャール・コラス氏

幼少期から育まれてきた国際感覚

 キャリアを通じて日本と欧州を行き来してきたコラス氏にとって、国際的な暮らしは昔から身近なものだった。フランス最南部のオード県に生まれ、父親がエールフランスのパイロットだったことから、8歳から18歳までをモロッコで過ごした。学業の傍ら写真への関心を深め、苦労の末、13歳で初めてのカメラを手に入れると、撮影した写真でいくつもの賞を獲得した。実は、この趣味がきっかけとなり、1972年、18歳の時に初めて日本を訪れた。

 「当初はブラジルのアマゾン熱帯雨林で過ごす計画を立てていました。しかし、危険な場所へ行けば母が心配すると思い、代わりにニコンのカメラを買いに日本へ行くことにしたのです」とコラス氏は振り返る。「当時、フランスではニコンのカメラは手が届かないほど高価でしたが、為替レートが1フラン=60円だったため、日本でなら購入できました」

 コラス氏の父親は日本で過ごした経験があり、日本のことを好意的に語っていた。また、同僚の客室乗務員の人脈を通じて、息子が神戸でホームステイできるよう、受け入れ先の確保に力を貸した。この滞在を通して、コラス氏は、日本の日々の暮らしの中で独自の伝統文化と西洋の要素が共存する様子に、初めて強く心を惹かれたという。

 「ホームステイ先のお父さんは午前5時に起きて、生け花に取り組んだ後、スーツに着替えて会社へ向かっていました」とコラス氏は振り返る。「その組み合わせが、とても興味深く感じられました」

 また、日本の人々の温かさや親しみやすさにも深い感銘を受けた。東京から神戸へ向かう夜行バスで同年代の青年と出会い、瀬戸内海に浮かぶ広島県の生口島で柑橘農家を営む彼の実家に招かれ、1週間を過ごした。この体験は、コラス氏の処女小説『遙かなる航跡』(原題:La Trace)にも描かれている。

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若き日に日本で得た経験が、コラス氏と日本との生涯にわたる絆を育んだ

文化的伝統への深い敬意

 コラス氏は、日本に足を踏み入れた瞬間から、この国との深いつながりを感じたという。日本の文化や文明、人々に奥深さを感じ、そのつながりは時とともに一層深まってきたと語る。

 フランスには、外交官が小説家としても活動してきた長い伝統があり、コラス氏もかつてはその道を志していたという。結果的に外交官にはならなかったものの、実業家として活躍する傍ら作家になるという夢をかなえ、実業と文学の双方にまたがるキャリアを築いた。

 1970年代後半から続く東京での暮らし、とりわけ地域社会との深い関わりが、創作の尽きない源泉になっているとコラス氏は語る。

 東京では、夜に同僚と日本酒を酌み交わしたり、下北沢で「火の用心」の夜回りに参加したりと、日本の伝統に触れる機会が数多くあったという。「火の用心」の夜回りは、拍子木を打ち鳴らしながら地域を歩き、大声で火災への注意を呼びかける江戸時代からの伝統である。木造家屋が多い地域では、大切な注意喚起の役割を果たしてきた。

 「目白では、ふんどしだけを身に着けて祭りに参加したこともあります」と笑いながら付け加える。

 長年にわたるキャリアの中で、コラス氏は日本の歴史や文化的伝統に身近に接する機会におのずと恵まれ、その経験によって興味深い国際比較も可能になった。

 コラス氏は、日本にも欧州にも素晴らしい職人がいるが、その姿勢には違いがあると指摘する。「フランスやイタリアの職人は、製品を宣伝・販売するためにブランド化を図ります。一方、日本には歴史的にそのような慣行がなく、特に鎖国下の江戸時代には見られませんでした」と語る。

 その例として、コラス氏は輪島塗の職人を挙げる。地元の大名から皇室に至るまで、誰もが職人たちの存在を知っていたため、製品に銘を記す必要がなかったという。

 一流であると誰もが知っていれば、宣伝やブランド化は必要ないと指摘した上で、コラス氏はこう付け加える。「日本はブランドではなく、ものづくりの国です。ある意味、ラグジュアリーという考え方は、この国の文化的伝統とは相いれません。文化に対する姿勢が異なるのです」

 コラス氏はさらに、日本の極めて豊かな職人文化の中では、現在「サステナビリティ」と呼ばれていることが、世界に先駆けてはるか昔から実践されてきたと説明する。「日本が語るべきなのは、こうした物語です」と指摘する。

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2004年、10階建てのシャネル銀座ビルの開業記者会見に出席した、当時シャネル日本法人社長のコラス氏(左)とシャネルCEOのフランソワーズ・モントネイ氏 Photo: courtesy of AFP

美意識の源を求めて

 コラス氏は、こうした知見を、現在務める日本のラグジュアリージュエリーブランド、TASAKIのグローバルCEOとしての仕事にも生かしている。日本に深く根差すTASAKIは、このように奥深い物語を伝えるのにふさわしい企業だとコラス氏は語る。その物語は、銀座の本社ショールームに並ぶ、ブランドを代表する製品の一つである淡いピンク色の美しい球形の真珠から始まる。

 「サステナビリティという点では、TASAKIの真珠養殖場では海が清浄に保たれています。海そのものがきれいでなければ、高品質な真珠は育てられないからです」と語る。さらに、「真珠養殖を担う一人ひとりが、核入れに際して、貝の状態を見極めて麻酔をかける独自の基準を持っています。まさに職人です」と続ける。

 研ぎ澄まされた美意識を持つコラス氏は、仕事でも創作でも、東京の至るところに美を見いだしている。着想源には、お気に入りの隠れ家的な寿司店にある畳敷きの部屋、そして、一輪の花がほころび始めるその一瞬などがある。後者について、コラス氏の妻は「わび・さびを詩的に表現した完璧な光景」と評したという。

 音にとりわけ敏感だというコラス氏は、日本庭園でよく見られるししおどしの音に耳を傾けるのが好きだと語る。また、風鈴の涼やかな音や夏の扇風機が回る音といった季節の響き、近所の銭湯で水が跳ねる何気ない音からも着想を得ているという。

 「以前は毎週通い、仲間と背中を流し合って、その後は一緒にビールを飲みに行ったものです」と語る。「閉店した時は本当に寂しかったです。こうした場所こそ、地域の人々の交流を支える、いわば魂のような存在ですが、次第に姿を消しています」

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コラス氏の着想源の一つである、東京の空の淡く落ち着いたパステルカラー。特に夕暮れ時がお気に入りだという Photo: courtesy of リシャール・コラス

 2023年に東京観光大使に就任したコラス氏は率直な物言いで知られるが、東京が持続可能な形で観光を発展させていくための明確な提言も行う。

 「日本には、精神性に深く根差した、実に豊かで真正な文化があります。商品化の波にのみ込まれることなく、その文化を守らなければなりません」とコラス氏は強調する。「文化が守られれば、観光客はおのずと訪れるでしょう」

 コラス氏はさらに、東京はすでに現代的な国際都市であり、だからこそ固有の伝統を守ることに力を注ぐべきだと語る。「ニューヨークや上海といった世界有数の大都市と同様に、東京にも東京ならではの物語があります」

リシャール・コラス

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フランス・オード県生まれ。パリ大学東洋語学部卒業。1972年に初来日。その後、駐日フランス大使館、ジバンシィ、シャネルを経て、シャネル株式会社(日本法人)代表取締役社長を23年間、シャネル合同会社会長を2018年から2023年まで務めた。現在はイオン株式会社取締役。また、日本のラグジュアリージュエリーブランド、TASAKIのグローバルCEOも務める。
企業で要職を務める一方、これまでに12冊の著書を執筆。2023年、東京観光大使に就任した。受章歴には、日本政府の旭日重光章(2008年)、フランスのレジオン・ドヌール勲章(2006年)、国家功労勲章オフィシエ(2014年)がある。現在は日本と欧州を行き来しながら活動している。
取材・文/キンバリー・ヒューズ
写真/藤島亮
翻訳/田崎桃子