人間国宝・野村萬氏が語る、
「2021年、初春に思うこと」。

出典元:Tokyo Tokyo FESTIVAL 2021年3月19日記事
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 コロナ禍により、すべての産業と同じように、文化芸術活動も停滞を余儀なくされている今、舞台芸術活動はどのように復興の道を歩んでいくのか......。公益社団法人日本芸能実演家団体協議会会長であり人間国宝でもある野村萬氏に、さまざまな観点から「今思うこと」をお話しいただきました。
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日本芸能実演家団体協議会 会長/狂言師 野村萬さん

2020年は、数ヶ月に及んで
予定が真っ白になりました。

 昨年、突如としてあらわれた新型コロナウイルスにより、世界中が未曾有の事態に陥っており、実演芸術分野はいち早く活動自粛を余儀なくされ、私の予定も2020年は数ヶ月に及んで真っ白になりました。

 Tokyo Tokyo FESTIVALのプログラムでもあり、2008年から毎年行われてきた「キッズ伝統芸能体験」に関しても国立能楽堂での開講式が中止になってしまいましたが、このプログラムは、日本の将来を担ってくださる子供たちが、日本の宝である伝統芸能を学んでくださる、素晴らしいものです。

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仕舞 (撮影:菅原康太)
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仕舞 (撮影:菅原康太)
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箏曲 (撮影:武藤奈緒美)

開講式で感じる子供たちのまっすぐで豊かな感受性。

 いつも開講式の挨拶で子供たちに話をするのが、舞台に存在感を持って位置するためには、自分の目では見えないところ、たとえば足の裏であったり、背中であったり、そういうところにしっかりと神経を働かす、このことが舞台に存在するための大切な要素なのです、ということです。
そうすると、すぐに子供たちは佇まいを正して、言われたことを反復しながら、背筋を伸ばしきちんと座り直します。これを毎年子供たちがやってくれる。そのことがなんとも素晴らしく、子供たちの感受性の豊かさを感じる瞬間です。

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野村萬会長 (撮影:武藤奈緒美)

非常時のやむを得ない状況から
新しい様式を発見していくこと。

 「キッズ伝統芸能体験」に限らず、そもそも能というものは、当然声を出すことからお稽古が始まっていきますけれど、今はとにかく「大きな声を出してはダメ」「飛沫はダメ」とされていますし、マスクをしなくてはなりません。
でも能という芸能は、大部分仮面というものをつけて演技をします。考え方によっては、マスクをしながら息を吸う、というのは仮面をつけていることにも近いわけです。非常時でやむを得ずこういう状況になっていますが、芸を高めていく過程において、新しい様式であったり、鍛錬や訓練の方法を発見していくことも大事な要素であるはずです。つまり、マスクをしなくてはならない状況をプラスにできることもあるかもしれません。

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三味線 (撮影:武藤奈緒美)
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日本舞踊 (撮影:武藤奈緒美)
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小鼓 (撮影:武藤奈緒美)

歴史を振り返り
あらためて思うこと。

 私どもは伝承・伝統の中にいるわけで、私は父からものを教わり、父は祖父から教わりました。その祖父は、明治維新というものを体験し、父は関東大震災や第二次世界大戦を体験しました。
明治維新の話としては、武家による統治が崩壊し、新しい体制になりました。それまでは幕府で儀礼の際には必ず能を舞っていたわけで、能や狂言は江戸時代まで武家の後ろ盾を得ていました。そうやって武家のろくんでいたものが、それができなくなってしまい、どうやって生きていけばいいのか、となってしまった。挙句、江戸時代までに伝わってきた狂言の3つの大きな流儀のうちの一つは潰れてしまいました。おそらく世の中の体制に順応できなかったのでしょう。あるいは新しい様式や、ものごとを発見できなかったのだと思います。明治維新とは、そのくらい強烈なものだったということです。

非常時の厳しいときこそ
力を蓄えるべき。

 関東大震災に関しては私は体験しておりませんが、第二次世界大戦が始まった頃は私は小学6年生で、中学・高校と、戦争一色でした。そういう非常時には舞台はなく、父は時間がありましたから一生懸命稽古をしてもらいまして、今思えば、非常時の厳しいときにこそ、何かを発見したり、力をつけたり、力を蓄えるのですね。そして戦争が終わって、伝統芸能というものをどうやって生き生きとやっていくか、どんな風に再出発するか、蓄えた力を基にしっかりと取り組んでいくのです。

 戦後の話で申しますと、上方、つまり関西にとっても勢いがあり、素晴らしい古典芸能の方たちがたくさんいらした。具体的には、武智たけち鉄二てつじという方の存在が大きかったと思います。たとえば若手の歌舞伎役者を起用し、古典歌舞伎を演出し、「武智歌舞伎」として注目を集めたり、大きなエネルギーとなって戦後の伝統芸能を復活させました。新型コロナウイルスの収束はまだまだ見えませんが、収束を迎えた暁には、私はもう高齢ですから前面に立つなんていうことはできませんけれども、エネルギーを持って動き出す若い人たちをバックアップしていく、そういう位置にはいなければと思っています。

忍耐のその先にこそ
喜びや楽しさが存在する。

 また、朝日新聞で「折々のうた」というコラムを連載していた大岡おおおかまことさんが、海外へ出てあらためて日本の文化を見たときに、辛抱とか我慢とか耐える心、そういうものが日本の文化を位置付けているとおっしゃいました。確かに私たちの舞台もそうで、忍耐を通ったその先にこそ喜びがあり、楽しさとなるわけで、何もなくて楽しいなんていうのは日本の文化とは違うと思います。

 コロナウイルスというものに対しても、震災や戦争とはまた違う意味の忍耐が必要で、それはもう演者だけではなく観る側のお客様にも耐えることをお願いしなければならないわけです。そして、耐えて耐え忍んだ後に、収束が見えた暁には、伝統芸能の花を咲かせて欲しい、咲いて欲しいと強く強く願っています。

芸術・芸能は遊びではない、
人間性を高めるもの。

 今、それぞれのジャンルで若い方々が知恵を絞っていろいろ新しいことにもチャレンジしていますね。映像もそれは素晴らしいものです。一方で、生の舞台を、どういう風に生きた舞台として創り上げていくか、舞台がいかにあるべきかということを位置付けなくてはいけません。

 正直申しまして、「大きな声を出しちゃいけない」という現状において舞台へ出てもなんと言いますか、生煮えであり、心も半端で......。舞台に立っているとお客様の心がとっても高揚しているなっていうのは伝わってくるものです。ですから制約がある今は、どうしても我慢が必要です。現状は客席の人数を減らしながらやっていますけれど、舞台と観客は一体になっていくことが一番大切で、舞台と観客が呼応しながら一つの舞台芸術を創っていくことこそが本来のあるべきかたちであると思っています。そういうときが戻ってくるまでお客様と共に耐えなければなりません。

 そして、このような状況において、昨年には国で文化芸術復興のために560億円もの第二次補正予算が成立しました。政治家の方も「芸術・芸能は遊びではない、生活の中で、人間性を高めていくために必要なものです」とおっしゃってくださいました。これは文化政策史上大きな進展です。この「芸術・芸能は遊びではなく、人間を育むための要素である」ということを、民、すなわち世の中の皆さまにも理解いただき、文化芸能の火を再び燃え上がらせたいと思っています。

年代を超えてスクラムを組み
舞台芸術を花開かせて欲しい。

 感染しないような演出だとか、新しい試みもあるとは思いますが、じゃあ、古いものを新しいものに変えてまで能をやることになるのか......。

 戦争が終わったときは、能や狂言、歌舞伎も何もみんな一緒にスタートラインに一列に立ちました。そういう出発だったんですね。今回もそういうことが必要かもしれません。第一線でやっていく人たちが、周りをリードできるか、民を引き寄せられるか、それにはやはり文化芸術が社会性のあるものなのだという理解をさらに得ることが重要です。

 そしてもう一つ大事なことは、「老」「壮」「青」の世代がスクラムを組んでいくこと。華があって魅力ある若い人たちに頑張っていただいて、年寄りはバックボーンになる。そういう仕組みをしっかり作っていくこと、収束してからではなくて、つらい状況の中でも体の中に胎動をしっかりと持って充実させていかなければなりません。それはブレーキを踏みながらアクセルを踏むような、ある意味ジレンマの生じる作業かもしれません。それでもエネルギーにあふれた伝統芸能であり、舞台芸術を花開かせて欲しい。

 ですから冒頭の言葉に戻れば、3月に「キッズ伝統芸能体験」の発表会が予定されていますけれど、子供たちが頑張っている姿をしっかり緊張感を持って見させていただきたいと思っています。芸能の将来は明るいなあと思える発表会を本当に期待しています。

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2019年度発表会 謡・仕舞 (撮影:菅原康太)
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2019年度発表会 狂言 (撮影:菅原康太)
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2019年度発表会 箏曲 (撮影:武藤奈緒美)

野村萬(のむら・まん)

 和泉流狂言師。故六世野村万蔵(人間国宝)の長男として東京で生まれる。父に師事。4歳で初舞台を踏む。1993年七世万蔵を襲名、2000年初世萬を名乗る。現在も多くの舞台で活躍する。重要無形文化財狂言保持者各個指定(人間国宝)、日本芸術院会員、文化勲章受章。
さらに、舞台芸術活動に留まらず、(公社)能楽協会顧問、1999年より(公社)日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の会長を務めている。
芸団協は、俳優、歌手、演奏家、舞踊家、演芸家、演出家、スタッフや制作者などあらゆる実演芸術分野の団体を正会員とする公益法人で、現在の会員数は68団体。実演家の権利に係る集中管理事業を、実演家著作隣接権センター(CPRA)を設置し行うと共に、廃校を活用し設立した「芸能花伝舎」の運営など実演芸術振興事業を通し、広くわが国文化の振興発展に寄与することを目的としている。
また、2003年に設立、現在、文化芸術関係22団体で構成される文化芸術推進フォーラム議長として、超党派の国会議員による文化芸術振興議員連盟と連携し、文化芸術基本法の制定に取り組むと共に、文化芸術立国を実現すべく、「文化芸術省」創設の運動を牽引している。
取材・編集/東美津子