写真家・藤代冥砂が撮る新国立競技場──東京オリンピック・パラリンピックに向けて変貌する街・東京~アップデートvol.1

さまざまな分野のプロフェッショナルが「アップデート」をテーマに、進化する東京を切り取る連載。第1回は写真家の藤代冥砂が2020東京オリンピック・パラリンピックに向けて変貌する東京を語る。現在は沖縄を拠点に活動している藤代だが、彼にとって新国立競技場の周辺は"始まりの地"だという。
写真家・藤代冥砂が撮る新国立競技場──東京オリンピック・パラリンピックに向けて変貌する街・東京~アップデートvol.1

海外へ憧れた街が、海外から憧れられる日

 「新国立競技場がある東京・神宮外苑エリアは、私にとって思い出の地です。まだ10代だった頃、カメラマンとして『絶対成功してやる』という野心だけを持って、東京・渋谷からほど近いこの辺りで暮らしていました。当時は学生でしたから、お金なんてありません。住んでいたのは家賃3万円の共同トイレのアパート。無理は承知で、原宿や六本木に近いおしゃれなエリアを選びました」

 当時は現在の商業施設「ラフォーレ原宿」がちょうど出来上がった頃か。現在の代々木公園エリアに在日米軍施設が存在したことで、青山へと徒歩圏内で続く神宮外苑エリアも外国人用の物品が豊富に提供される異国情緒漂う街であった。そして、多くのクリエイターが、これまでの日本にはなかった海外文化の刺激を求め、このエリアに強烈に引き寄せられていった。

 その後、ランドマークとして残っていた住宅施設「同潤会青山アパートメント」は2003年に解体されて商業・住宅施設「表参道ヒルズ」になり、外苑エリアのファッションの象徴であり、当時の若者のハイファッションへの淡い憧れの象徴であった商業ビル「青山ベルコモンズ」も解体され、宿泊施設へと生まれ変わっている。

 当時の異国シンボルとなっていた建造物は徐々に日本独自の文化の変遷に沿って塗り替えられていき、同エリアは外国への憧れを含む街から、いつしか外資系ラグジュアリーブランドが競って店を構えるような、"海外が憧れる"ファッションの街へと進化していったのだ。

 「一方で、変わらないものもあります。たとえば「東京体育館」。1964年に続き、今回も東京オリンピックの会場として使用されるというのは驚きですよね。現在は柵が設けられ、中には入れませんが、見た目は私が暮らしていた頃と変わっていません」

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藤代が神宮外苑に住んでいた1980年代末から変わらぬ佇まいを見せる東京体育館。

 「このエリアに来ると、変わらないものに、もうひとつ出会うことができます。新国立競技場の向かいにあるラーメン屋「ホープ軒」です。外観も味も、あの頃と同じ。いつ食べてもうまい。思い出の味、思い出の場所、ここから見る新国立競技場の姿は変わってしまいましたが、僕にとってここが「原点」であることは、永遠に変わることはありません」

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撮影時も担当編集を伴ってホープ軒にふらっと立ち寄り、変わらぬ味と雰囲気を楽しんだ。

 表参道ヒルズの建設にあたっては、人々の脳裏に心の風景として残る同潤会青山アパートメントを再現した建造物を残したり、異国の街だった当時から50年以上続くファンシーグッズ販売店「キデイランド」は、今も表参道の顔として健在だったりと、当時の文化を残しながら、新しいものを美しく取り入れていく、緻密な計算がこの都市の一つの成功の要因であることは想像に難くない。

 世界的に認知される街へと変遷した同エリアを抜けて、東京オリンピック・パラリンピック観戦に訪れた人々の目的地である新国立競技場へとたどり着く。当時の同エリアに慣れ親しんだ人が久しぶりに訪れたとしたら、風景の変化とともに、街が動かしてきた東京の文化の世界的な進化を肌で感じられるだろう。

東京は、動いている

 「少し前まであったものがなくなり、新しい何かに変わっている──。来るたびに"東京は動いている"ことを実感します。それは解体と再構築から生まれる"進化"と言っても差し支えないと思います。新国立競技場はその象徴のひとつとも言えるでしょう。これまでも、そしてこれからも東京はアップデートし続ける。新国立競技場は、私たちにそんなメッセージを送っているように見えます」

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藤代冥砂(ふじしろ・めいさ)

 1967年、千葉県生まれ。写真家/小説家。大学卒業後、写真家のアシスタントを経験。1990年以降フリーに。2年間の世界一周旅行ののち1997年に帰国。2003年 「月刊」シリーズ(新潮社)で第34回 講談社出版文化賞写真賞受賞。著作に『ライドライドライド』『もう、家に帰ろう』などがある。公式サイト
写真・語り/藤代冥砂 構成/赤坂匡介