ロイ・トミザワ - 東京2020の課題と意義:インスピレーション、状況分析、そして再び世界を1つにするという夢

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 まだ5歳だった彼女は、1984年ロサンゼルスオリンピックを驚嘆の眼差しで観戦していた。

 ジャッキー・ジョイナー!カール・ルイス!

 これが、山形県南陽市出身の少女だった池田めぐみが、いつの日かジャッキー・ジョイナー=カーシーのようにクールで俊足の陸上選手になることを志した瞬間だった。

 しかし池田(旧姓原田)には、陸上競技で卓越した結果を残せるだけの身体能力は備わっていなかった。それでも、最高の舞台に立つことへの憧れは、予期せぬ形で火がつく。池田は2004年アテネオリンピック、そして北京オリンピックに、フェンシングの個人エペの日本代表として出場することになったのだ。

 フェンシングは長い歴史を持つ競技だが、お金になる競技ではない。フェンシング、レスリング、重量挙げ、カーリング、ハンマー投げ、スキーのクロスカントリー、またはルージュのような競技では、世界中のアリーナが観客で満席になることはないのだ。

 それでも、4年に1回、夏のオリンピックと冬のオリンピックには何十億人もの注目が集まる。
ロイ・トミザワ - 東京2020の課題と意義:インスピレーション、状況分析、そして再び世界を1つにするという夢
ロイ・トミザワ
スポーツジャーナリスト。近著には『1964 — 日本が最高に輝いた年 敗戦から奇跡の復興を遂げた日本を映し出す東京オリンピック』がある。

インスピレーション得られるのは、そこに芸術性が宿るから

 どうしてこれほど多くの人がオリンピックを観戦するのだろうか。

 それは、世界のトップ中のトップのアスリートのパフォーマンスを目にできるからだ。人間の持つ感覚器官が究極に研ぎ澄まされ、人間の持つ身体能力が限界まで引き出され、人間の持つ欲望が心の最深部から膨れあがるのを目撃できるからだ。

 スポーツは、絵画制作、歌唱、舞踏、演技、および文筆と同じく、人間による表現活動の1つだ。屋根裏部屋にこもって制作する彫刻家、地下室にこもってリハーサルするロックバンド、または公園で演技を練習する俳優と同じように、道端でサッカーをしている子ども達も自己表現をしている。

 オリンピックでは、スポーツは芸術と化する。オリンピックは、高いスキルを持ち、高いレベルの練習を積んできたアスリートが、完璧な自分を見せられる場であり、そして高精度かつ思いのままに自己表現できる場だ。そしてそれを通して、アスリートは私たちにインスピレーションをくれる。

 体操のアメリカ代表シモーネ・バイルズは、空中で、平行棒上で、または床の上で、自身の身体を制御して操り、その他のどの女性も真似できない技を見せてくれる。実のところ、彼女の技は極めて複雑かつハイレベルであり、審判員の採点上限を超えてしまうこともある。

 フィギュアスケーターの羽生結弦は、音楽、舞踏、演技、そして身体能力を極めて調和的かつ大胆に組み合わせる。だからフィギュアスケートに関して何も知らない人が見ても、身体の動きによって詩が紡ぎ出されているのを感じることができるのだ。

 2016年リオデジャネイロオリンピックの男子400メートルリレーの決勝で銀メダルに輝いた4人の日本人選手は、オリンピック出場選手の中で最速の部類だったわけではない。4人のうち誰も、個人100メートル走の決勝には進めていなかったのだ。しかしあのリレーでは、彼らは完璧なバトンつなぎを見せ、強豪のジャマイカと金メダルを競うことができた。彼らの完璧な走りは日本人視聴者にとって大きな刺激となり、東京2020で金メダルを目指し始めていた何百万人もの子ども達の心に誇りと歓びをもたらした。

 人間の身体能力に宿る芸術性によって、世界中の数えきれない子ども達の心にインスピレーションを与えられることこそ、東京2020の最大の意義になるのだ。インスピレーションはまさに今、かつてなく求められているものだ。

オリンピック運動の転換点

 オリンピックには、一般の人々の間で数多くの競技の認知度を上げるという効果がある。オリンピックがなければ、こうした競技への金銭的支援は消えゆくだろう。

 しかし、多くの人は、廃れるべきものが廃れるのは世の常だと言うだろう。バドミントン、スキージャンプ、またはアーチェリーは生きていくために本当に必要だろうか、それにオリンピックの開催費用は高すぎではないか、と。多くの都市や国家は、そう問われれば「確かに必要ないし、確かに高すぎだ」と答えるしかない。それは、夏にせよ冬にせよオリンピック招致に消極的な都市が増えていることからも明らかだ。

 コロナ禍によって、東京2020は1年延期となり、開催費用も大幅に膨らんでしまった。この現状は、世界的な大規模スポーツイベントを主催する様々な団体に再考を促すきっかけになっているかもしれない。

 オリンピック・パラリンピックによって都市や国家のイメージを向上することには、納税者への負担や一般の人々からの懐疑的な見方を帳消しにできるだけの価値があるということを、都市や国家により説得力をもって伝えていかなければならない。東京2020をきっかけに国際オリンピック委員会(IOC)も、国際パラリンピック委員会(IPC)も、その他オリンピック関係団体もこれまで以上にはっきりと認識するようになるだろう。

 そのため、開催都市への費用負担の軽減の取り組みをさらに強化することが求められることになる。それには、オリンピックの運営方法を根本的に変える必要が生じるかもしれない。また、一生に1回レベルの非常事態を考慮に入れたリスク管理ポリシーまたは事業継続計画をさらに明確に策定する必要も生じるかもしれない。

インクルージョンの大会

 1964年の東京オリンピックは、究極的なインクルージョン(社会の包摂)の大会だった。日本は世界大戦での敗戦後、世界中から誹りを受けたが、そのわずか19年後にアジア初のオリンピック開催国として、90を超える国々から選手を温かく迎え入れたのだ。

 それから60年近く経った東京2020は、究極的な反インクルージョンの大会と捉えられることになるかもしれない。2021年前半の時点で日本人の大多数がオリンピックの中止を求めており、外国からのオリンピック観客の受け入れも断念されている。

 しかし、この状況には別の解釈も成り立つ。というのも、もし自国の都市でオリンピックが予定されているとすれば、コロナ禍の中、オリンピックとパラリンピックの開催を即決できる国はないはずだ。

 それなのに、吉と出るか凶と出るか、日本政府は一貫して東京2020の開催にこだわり、世界各国とともにコロナ前の世界への回帰を主導していくことを選んだのだ。もちろん、スポーツに関しては、東京2020は難題山積ではあるもののインクルージョンの大会になる。コロナ禍の中でオリンピックとパラリンピックを開催することは、シモーネ・バイルズが屈身ユルチェンコ2回ひねりを披露するのと同じくらい難しいことだ。ちなみにこの跳躍技は、とても高難度のため彼女以外に挑戦する女子体操選手はいない。もし日本が開催に成功すれば、素晴らしい大会になるはずだ。

 そして東京2020が成功すれば、そのインパクトはスポーツ界以外にも波及していく。

 1964年の東京パラリンピック、そしてその後のパラリンピック大会は、障がい者ならびにその家族および友人に、それまで可能とは思っていなかったような、有意義で達成感のある生き方を描き出してくれた。障がい者が適切なサポートと支援を受けてスポーツで自由に自己表現できればどれほどのことが実現できるのかについて、一般の人々に新たに印象付けることができる力が、パラリンピックにはオリンピック以上にあるのだ。

 障がい者は世界人口の15%にとどまるわけではないということを理解するのは非常に重要だ。私たちは誰しも、人生のいずれかの段階で、何らかの障がいと向き合わなければならなくなる。その可能性は年齢を重ねるごとに高まっていく。だから、障がい者がまさに最高の自分を実現するのに何が必要かについての理解を深めることは、社会のあらゆる人々にとって有益なことだ。

 障がい者についての意識向上に加えて、東京2020は日本におけるLGBTコミュニティーへの差別に光をあてる機会にもなっている。このほど閉会した国会では、会期末にLGBTの人々への差別を禁じる法案が廃案となり採決に至らなかったものの、LGBTの人々に平等な社会の実現に向けた人権活動は続いている。そして、東京2020は活動家にとって好機となっているのだ。プライドハウス東京の代表を務める松中権はこのほど、「オリンピック憲章には差別の禁止が明確に盛り込まれている。廃案になったことは、国際オリンピック委員会との契約への違反にあたる」とコメントしている。

 在日米国商工会議所が公開した意見書では、日本政府に対して、「結婚する権利をレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)のカップルにも認める」よう促している。G7の中で同性婚の権利を認めていないのは日本だけだ。また、120を超える日本および在日外国団体が署名しているこの意見書の最後の1行は、日本政府に対して東京2020の精神に合わせた政策を求める内容となっている。「タイミングの観点からも、今こそ日本政府が同性婚を認める好機だ。2020年オリンピックの開催準備が進む中で、日本にはまもなく世界からの注目が強まることになるからだ」

 1964年、日本は世界の一員として認められることを願ってオリンピックを開催した。2021年、今度は日本が世界のスタンダードを認めることを、世界が願っている。

夢を実現

 池田は高校最後の年、東京に引っ越してフェンシングを続け、オリンピックに出場したいと両親に伝えた。彼女の両親は困惑してしまった。彼女には大学に行って普通の職に就くことを期待していたのであって、フェンシングにお金をつぎ込むのは無駄だと考えていたからだ。オリンピックに出るのは「不可能」だと、両親は彼女に伝えた。

 池田の両親は常に彼女を支えていたが、自分の夢が不可能だと言われた彼女は、まだ高校生ながら頑なに夢を持ち続けた。彼女はオリンピック出場を強く思い描いており、その夢を簡単に諦めるなど考えられなかった。挑戦することなく諦めるなど論外だったのだ。

 彼女は抵抗した。2か月も両親と議論し、最終的には自身のオリンピック出場への計画とビジョンをプレゼンテーションにまとめて両親に伝えることにした。その中で両親に達成を約束した大学での4年間での目標には、日本代表に選出される旨、そして3年生までに日本一になる旨が掲げられていた。彼女の両親はついに折れて、娘が夢を追うことを許した。

Megumi Ikeda

 日本では、世界レベルのバレーボール選手、バスケットボール選手、または野球選手の多くは、企業チームかプロチームに所属している。水泳、陸上、レスリング、または柔道のように有名な競技であれば、多くの場合その競技の協会がトップアスリートの練習を資金面で支えている。しかし、知名度の低い競技の成人の選手は、それほどの資金面での支援は得られない。

 実際、池田は様々なアルバイトを経験してきた。レストラン勤務、書店勤務、印刷工場勤務、配送会社勤務、全ては夢の実現に向けて資金を集めるためだ。彼女は、フェンシングの聖地の1つであるブダペストで練習するために渡欧すべきと考えた。そうすれば、欧州各地で予定されていたエペのワールドカップ大会の多くに簡単に参加できるからだ。

 また、現在の女子個人エペのオリンピックチャンピオンであるティメア・ナギーがハンガリーのブダペストを拠点にしていることも彼女は知っていた。とはいえ、彼女はナギーと知り合いであるわけでもなければ、ハンガリーに他に知り合いがいるわけでもなかったが、それでも彼女の渡欧の決意は変わらなかった。

 池田はインターネットで、ブダペスト在住の日本人女性を見つけた。そしてその女性に支援を求めたのだ。新たに友人となったその女性からのアドバイスをもとに、詳細な計画を立てた。わずか200万円(2003年の時点で約1万8,700米ドル)の予算で、ブダペストでアパートを借り、その近くのフェンシングクラブで練習し、欧州のトーナメントで戦うという計画だ。

 そして計画を実行に移した。平日はハンガリーのトップのフェンシング選手と練習し、週末は夜行列車でスペイン、イタリア、フランス、ドイツ、ロシアに向かってエペのワールドカップ大会で戦った。上達した池田は、ポイントも増えてきた。そしてギリシャのテッサロニキで開催されたワールドカップ大会で、彼女は日本代表として2004年のアテネ・オリンピックに出場するのに必要なポイントを獲得したのだ。

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池田めぐみ(2004年アテネ・オリンピック)

 彼女の「不可能」な夢にあれほど強く反対した彼女の両親は、アテネオリンピックの開会式、オリンピアンとしてスタジアム入りする娘の姿を誇らしげにスタンドの座席から見守っていた。

 またこの時がやってきた。

 2003年に池田がそうしたように、1964年に日本がそうしたように、2021年の今、日本が課題に立ち向かい、世界を迎え、素晴らしいパフォーマンスを見せる時がやってきているのだ。

文/ロイ・トミザワ