人類の役に立つAI──ウィリアム・パワーズ

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 オリンピックは単なる世界最高峰のスポーツ競技大会ではない。20世紀に電子メディア -- まずラジオ、次にテレビそして今ではインターネット -- が爆発的に普及したお陰で、オリンピックはとてつもなく大規模な人類が集う場となったのだ。
人類の役に立つAI 著者 ウィリアム・パワーズ
Photo: peterhowell / Getty Images

 史上最も多くの人が見たテレビ放送 (英語)7つのうち6つは1996年から2016年までの夏季オリンピックである。いずれの大会も、その時点の世界人口の半分以上にあたる人々の目を惹きつけた。ただし、この中には各種モバイルデバイスで試合を見た大勢の人は含まれていない。忘れてしまいがちであるが、 2012年ロンドンオリンピックになってようやく、人々は自身のスマートフォンやタブレットで水泳や体操競技をライブ観戦して興奮し楽しめるようになったのだ。

 そして、これから開催される東京2020オリンピック・パラリンピック大会に参加する選手たちは皆、最新の人工知能(AI)を搭載した新型のモバイルデバイスを持って日本におもむくだろう。さらには世界中の膨大な数の人たちが、大会の一部始終をモバイル観戦することになるだろう。要するにこの種のテクノロジーが結合組織となって人々を繋ぎ集め、東京2020大会は地球市民の壮大なパブリック・ミーティングとなるのだ。

 オリンピックの目的と魅力はもちろん競技である。しかしオリンピックはまた、世界のほとんどの国が参加し、デバイスを持つ人なら誰でも見られる世界規模のイベントであり、私たちが寄り集まって世界の重要な問題や課題を俯瞰(ふかん)し熟考できる稀な機会でもある。

 過去のオリンピックでも、大会期間中に戦争、経済危機、さまざまな政治・社会問題、そして時にはオリンピック自体の意義に改めて注目が集まり、人々がそれらについて考える、ということはしばしば起きた。その有名な例が1968年夏季オリンピックのある瞬間である。この時、メダルを獲得したアメリカ人陸上選手トミー・スミスとジョン・カーロスは表彰台で黒い手袋をはめた拳を突き上げ、世界中の虐げられた黒人との連帯を示したのだ。

 これまでの東京2020大会の準備期間中、世界の注目を集めていたのはもちろんここ1年半続いたパンデミックである。しかしその間も、ずっと世界の重要な問題は背後でくすぶり続けていた。東京2020大会はこれらの課題に再び注目し、対話を再開するチャンスとなり得るだろう。

 論点の一つはまさに、このイベントに私たちを参集させているテクノロジーのパワーの増大である。AIとその成長を促す世界の諸産業は、人間の価値と幸福にとって長期的な脅威なのだろうか?

 AIは多層的に世界の在り方を変容させている。地球上のあらゆる社会の未来を決定する上で、AIが大きな役割を果たすことは疑いようがない。従来の技術革新とは違って、AIというこの技術は、政府や大規模組織の機能から個人の生活や人間関係の構造に至るまで、およそ考えられるあらゆるレベルで人間の存在に入り込んでくる。つまり、AIの未来像はしばしば抽象的な政策の問題の枠組みにおいてのみ捉えられるが、まったくそれどころではない、ということだ。

 この驚異的なテクノロジーは、様々な面で私たちの役に立ってくれる。賢く使うならAIは、現在、そして未来にわたって私たちのあり方を大いに豊かにしてくれるだろう。しかしマイナス面もある。子どものデジタル依存や注意力の問題などはすでによく知られている。一方で、広く一般に認識されていない問題もある。

 その一つが、ハーバードビジネススクールのショシャナ・ズボフ名誉教授が「監視資本主義」と呼ぶものの台頭である。監視資本主義とは、スマートフォンをはじめとするAI搭載デバイスにより収集された個人データを売って、利益が得られる商品に変えるビジネスモデルを指す。

 ズボフ氏によると、米国・シリコンバレーなどのテック企業による個人データの収集は、15世紀にヨーロッパが始めたアメリカその他の地域の植民地化の現代版であるという。今、植民地化されているのは先住民が長く暮らしてきた地理的領土ではなく、私たちの生活、人間関係、思考、経験である。

 スマートフォンは単なるコミュニケーションツールではなく、あなたやあなたの生活に関する情報を集め、それを広告主などの事業体に売るためのツールである。同じことはキッチンカウンターに置かれた「スマートスピーカー」や子どもたちが遊ぶオンラインゲーム、さらにテクノロジーに媒介された生活の無数の場面についても言える。テクノロジー産業は私たちの情報を企業に売り、買った企業はその情報を使って自らの商品やサービスを売っているのだ。集められる情報が多ければ多いほど企業の収益は上がる。したがって、企業はますます人々の行動を自らの事業の目的に沿う形に合わせて変えようとするのだ。

 「最終目標は人間の自動化です」とズボフ氏は 2019年のインタビュー(英語)で語っている。著書『監視資本主義』の中で彼女はこのような議論に火をつけ、政府に対する規制とAIの監視を行うよう人々に強く呼びかけた。このような主張に対し肩をすくめて、グローバルなテック企業はすごい力を持っているのだからそんなことはできっこないと言う人もいる。これらの組織が決定権を持って将来を決めていく、というわけだ。

 しかしそれに反対し、今こそ世界各国の政府が安全で人間的で建設的なAIの未来に向かって一歩を踏み出す時だと主張する人もいる。昨年ボストン・グローブ紙に、私と同僚のイヤド・ラーワン氏が 寄稿(英語)し、この点に関する未来の展望を描き、AIのマイナス面を抑えつつプラス面(これは非常に大きいしこれからも新しく出てくるだろう)を最大限に活用していくことは可能である、と主張した。

 民主主義国の多くは行動を起こし始めており、世界各地の政策立案者はこの課題に取り組んでいる。AI関連の研究、開発、ビジネスの量で言えば、現在世界のテック産業を牛耳っているのはアメリカと中国の2国である。しかし他の国も人間に優しい人工知能の探求を進めている。

 この新しい考え方の大きな中心となっているのが欧州連合(EU)である。EUは2019年にAIに関する高度専門家グループを組織し、同グループは「信頼できるAIのための倫理ガイドライン」を発表した。このガイドラインは基本的人権と倫理的原則に基づき、AIシステムが信頼できるものとみなされるために満たすべき7つの要件を定めている。7つの要件とは、人間の活動と監視、堅固性と安全性、プライバシーとデータのガバナンス、透明性、多様性・非差別・公平性、社会・環境福祉、説明責任である。

 同じ2019年に日本政府は「人間中心のAI社会原則」と題するレポートを発表した。そこでは、「 AI の利用は、憲法及び国際的な規範の保障する基本的人権を侵すものであってはならない。AIは、人々の能力を拡張し、多様な人々の多様な幸せの追求を可能とするために開発され、社会に展開され、活用されるべきである」と述べられている。

 特にデータ及び監視について日本のこのレポートは「パーソナルデータを利用した AI及びその AIを活用したサービス・ソリューションにおいては、政府における利用を含め、個人の自由、尊厳、平等が侵害されないようにすべきである」と述べている。

 EUと日本がどちらもテクノロジーのパイオニアとして大きな実績を挙げてきたことを考えると、この二者が先頭に立ってAIを巡る新しい動きをリードしているのは印象的である。

 15世紀後半に印刷機が使われ始めたのはヨーロッパであり、19世紀に始まった産業革命の先頭にいたのもヨーロッパだった。さらにコンピューター科学者アラン・チューリングとその同輩が20世紀半ばの数十年に成し遂げた画期的業績のお陰でイギリスは人工知能の時代の先鞭をつけた。

 20世紀後半には、日本の技術産業がデジタル革命の初期段階を形作った。そして、今日では日本のコンピューター科学者とテック企業はロボティクスその他のAI分野で世界トップクラスの仕事をしている。

 要するに、テクノロジーの初心者でも部外者でもないEUと日本という2つの地域の改革志向の科学者たちがAIに関する課題に取り組んでいるのである。科学とイノベーションがしっかり根づいているからこそ、これらの国はいま、表面化してきたAIの倫理的・道徳的問題について権威をもって語れるのだ。

 果たしてこれらの国は勝利を収めるだろうか?今後、AIを産業だけでなく人類の成長と繁栄に利益をもたらすものにしていくことはできるだろうか?

 私たちは非常に競争が激しい世界に生きており、中でもテクノロジーは競争が著しい分野である。テクノロジーは経済成長のエンジンであるだけでなく、国家のプライドの源であると言えるかもしれない。しかし競争は、個人レベルであれ集団レベルであれ人の最高の能力を引き出す存在でもある。

 今夏、大小の国々の代表が東京に集結し、上位を目指して力を尽くす、最良の伝統にルーツを置く競技の祭典が繰り広げられる。今後同じ国々が集まって、日本やEUの政府組織が描いたような人間中心のAIの未来を打ち立てる新たな道を進んでいくことも可能だろう。

 その実現には、これらの国々がデジタル時代を倫理的・健康的・建設的な未来にするための諸原則を中心に手を結び、次にテック企業を従わせていく必要がある。簡単な課題ではないし、一晩でなし得ることでもない。しかしオリンピアンなら皆知っているように、偉大なことを成し遂げるにはひたむきな努力、熱心さ、集中が不可欠なのである。

 人類の役に立つAIを作ることができたら、未来の世代はきっと私たちに感謝するだろう。

ウィリアム・パワーズ

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 ワシントン・ポスト紙スタッフライター、MIT研究員を経て、現在ベルリンのマックスプランク研究所人類・機械センター(Center for Humans and Machines)の客員研究員にいたる。著書にニューヨーク・タイムズのベストセラー『Hamlet's BlackBerry: Building a Good Life in the Digital Age(ハムレットのブラックベリー:デジタル時代に快適な暮らしを送るための実践的哲学)』がある。本書はハーバード大学フェローとして行った研究から生まれ、デジタル改革のマイナスの影響に関する早い時期からの考察が幅広い称賛を呼んだ。現在は、人類の価値を反映し社会の進歩を支える人工知能のあり方の解明に重点をおいて仕事をしている。