アスリートのゾーン体験~パラリンピックを競技として楽しむために~:為末大|TMCトーク Vol.15
為末大と申します。私は、元陸上競技選手で、400mハードルという種目をやっておりました。東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まってから、私は、パラリンピックの選手にとても興味を持ちまして、義足の開発やパラリンピアンの取材などを通して、パラリンピックについて深く考える機会をいただいてきました。その中で、パラリンピックというのは人間の可能性をとても追求する場所で、パラリンピアンというのは、その最高峰にいる存在だなということを感じてきました。
パラリンピックの走り幅跳びに出場するマルクス・レームという選手がいます。ドイツの選手ですが、今この選手が健常者の世界記録を上回るかもしれないと言われています。マルクス・レーム選手は、膝下が切断された選手で片方義足を履いているんですが、義足側で踏み切ってジャンプするという技術を体得するために、義足の脚を徹底的にトレーニングしてきました。結果として普通は右足を使う際は左脳を使うというふうに逆側の脳を使うのですが、マルクス・レーム選手というのは、その両方の脳を使って義足の脚を使う能力、そういう力を手に入れた選手です。
このような例から、やはりパラリンピックの選手達というのは、足を切断することがあったり、それからブラインド(盲目)になるということがあったりしながら、その新しい環境に適応してむしろ欠損したものではなくて、違う能力を健常者以上に際立たせて強くなっているというのが特徴だと感じています。
パラリンピック選手達とトレーニングをすると、オリンピック選手のトレーニングの方が実は、簡単でシンプルだということに気がつきます。というのは、オリンピック選手の身体も、もちろん多様性がありますけどもだいたい同じ形状なので、教科書に書いてあるトレーニングが適用できるからです。
一方でパラリンピック選手は、切断といっても、例えば手首から腕を切断された選手と、もっと肘に近いところで切断された選手とでは、使える筋肉が実は違っています。それらすべての選手が、自分用にトレーニングをもう1回作り直さなきゃいけないということで、すべての人が全て個人用に自分なりのユニークなトレーニングを考え出しているというのが、パラリンピック選手になります。
そういう意味において、パラリンピック選手の方が、もう一つやることがオリンピック選手よりも多いです。自分の身体をよく観察して、トレーニングを見極めていく必要があり、そういう意味でパラリンピック選手の方が自分の身体についても深く考えているということを感じています。
ブラインドサッカーにリカルド・アウベスという選手がいます。ブラジル代表選手になります。彼とブラインドサッカーでプレーをしたことがあるんですが、彼は目が見えている選手のようにドリブルをするんですけど、私はまったく目が見えない状態だと、ほとんど動くこともできませんでした。
そのときに彼がとても興味深いことを言って、「フェイントをかける」と言ったんですね。私は一瞬混乱して、目が見えないのにフェイントをかけるってどういうことだろうと思いました。よく話を聞くと、自分の身体の動く音と足音で、「こちらに向かうぞ、右に向かうぞ」という意思を相手に伝えて、一方でそれに相手が反応したという音を聞いて、反対側に自分の身体を振るということをやっていたそうです。
彼は私のことを褒めてくれて、「君はフェイントにかからなかった」って言ったんですけど、実際、私がまったく相手が何しているかわからなかっただけだったんですが、でも、そういうふうな音のフェイントの掛け合いをこのトップの世界はやっているんだと驚きました。
そのリカルド選手の身体を測定して、科学的に測定したときにとてもおもしろいことがわかって、それは空間の記憶力がとても良かったんですね。目が見える人間というのは、例えば右に人がいるときに、その人がどの位置にいたかというのを、もう1回振り返ってみることができますが、ブラインドの方は音で、足音で確認するしかないわけですね。それ以上動かないともう音が鳴らないので、だいたいあの位置だろうというのを記憶しておくしかなくて。このリカルド選手というのは、一度周りで音が聞こえたときに、右後何mに誰かがいるはずだというのを正確に言い当てていて。つまり頭の中のイメージで誰がどこにいるかを常にマッピングしながら、自分のプレーをしているというのがとても驚きました。
そういうことから人類というのは、走ることではチーターよりは遅いし、木に登ることでもサルよりはうまくないし、泳ぐことでも魚には負けるわけですが、様々な環境にうまく道具も使って適応してきた。そのことが今の人類を作ってきたと思っています。そういう意味では、自分の身体に新たな状況が与えられても、そこにまた適応し直すということを自分の知恵も使いながら行っているという点で、ある意味で、とても人類の強みを活かした世界というのがパラリンピックなのかなと感じています。
このようなパラリンピック選手達が、東京でこれからプレーをするわけですけども、このトップアスリートがトレーニングを積んできて、いざ、試合のときに、ものすごく集中した状態で、「ゾーン」と言われる体験をすることがあります。
これはいろんな選手が言葉で語っています。例えば野球選手であれば、「ボールが止まって見えた」という言葉を残していたり、それからサッカー選手であれば、「グラウンドにいる22人が一気に自分に見えて何をするかわかった」という言葉があります。私が競技をやってきたときの体験からすると、「周りの音が急に小さくなって足音が大きくなった」という体験をします。いずれにしても、普段では感じないようなことを試合中に感じると言われています。
残念ながらゾーンというのは、まだ科学的にはきちんと観察がされていません。ですが近いものでいうと、プロゲームプレイヤーがプレイをしている最中の脳波をとったものがあるんですけども、これは選手がすごく深く集中に入った「ゾーン」に近いだろうと言われるところに入ったときには、脳波の動きがむしろ激しくなくて、ゆっくりとしていき、睡眠までいかないんですけども、ちょっとぼんやりボーッとしている状態に、近くなるということがわかっています。
以上の観察、私自身の経験や選手の言葉から考察するに、普段使っているものを見るとか聞くとか、そういうことに脳のリソースを使っているわけですけども、それを少し低レベルに落として、ある意味意識レベルを少し低くして、ぼんやりとした無意識に近いような状態に入り、競技に必要なところにその空いたリソースを割り振ることによって、あまりにも普段と違う体験をするんじゃないかと思っています。
例えば、野球選手にとってはとても目が重要なんですけど、例えば聴覚とか、そういうものに割り振るリソースを落として、視覚にものすごくリソースを割くと、まるで物が止まって見えるような体験をしたとか、そういう現象なんじゃないかと考えています。とても興味深いことに、禅、座禅というのが日本にありますけども、この座禅を熟達した方の脳波の動きがこのゾーンの脳波の動きに近いと言われています。
最後にパラリンピックの選手達が社会にとってどんな役割を果たすのかということについてお話したいと思います。「宇宙からの帰還」という本があるのですが、その中で、宇宙飛行士の方が宇宙から地球を見たときに、どんな経験をし、そして日本に帰ってからどんなふうに人生が変わったかということをまとめています。
(宇宙からの帰還後に)とても敬虔な宗教家になった方とか、ビジネスマンになる方もいたり様々なんですけども、ただ共通してその宇宙飛行士の方が言う言葉というのは「国境というのは、宇宙から見ると見えなかった」というのが一つ。もう一つは、「人間にはほとんど違いはないと感じた」という、この二つを共通して宇宙飛行士達は話しています。
これは、当時が米ソの冷戦時代だったので、よりこの言葉というのはとても強い言葉だったなと感じています。私は、パラリンピック選手達はこの宇宙飛行士に近い役割だと思っていて、私達ではなかなか経験できない、とても深い集中の世界、とても厳しいコンペティションの世界で、何か普段の生活では経験できないようなことを経験するのではないかと思っています。
こうした経験をしたパラリンピアン達がその後、社会に自分達の経験や考えを話をしてくれることで、社会というのがより多様性を重視し、それから、より障害者だけではなくて、健常者にとっても可能性が拓かれるような、仕組みに変えてくれるんじゃないかと期待をしています。
ぜひ皆さんもパラリンピックの深く集中しているときの選手達の目や表情というのを見てみてください。表面的には私達と同じように見えるかもしれないですけど、その頭の中や心の中では、ものすごく深い世界に触っている可能性があるんじゃないかと思っています。