パラリンピックが日本にもたらしたバリアフリー化の機運

出典元:ニューズウィーク日本版
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 鉄道駅の段差解消、ユニバーサルデザインタクシーの登場......日本の公共交通の体質は20年間でどう変わったのか。パラリンピック開催がもたらした恩恵を、モビリティジャーナリストの楠田悦子氏が振り返る。
東京2020大会の開催に合わせて特別にライトアップされた東京タワー yu_photo - stock.adobe.com

「日本のバリアフリーはまだまだ」

 そんな声をよく耳にする。欧米に渡航する機会の多い筆者もそう思う一人だ。しかし頭ごなしに否定してしたことを最近では反省もしている。課題は山積しているが、バリアフリーが急ピッチで進められているとも感じるからだ。

 コロナ禍で減速してしまったが、東京オリンピック・パラリンピックを契機にバリアフリーを進めようというムーブメントが公共交通で大きくなった。

 セダンタイプが主流で障害者に対する理解に欠けたタクシーは、ユニバーサルデザインタクシーの登場と普及、セットで推進された乗降介助や障害者理解の取り組みにより、高齢者や障害者の生活をサポートする公共交通へと体質を変えていこうとしている。

 欧米では、車いす利用者であっても一人で街の中を自由に移動しているシーンをよく目にする。大きな車いすであっても公共交通を利用できて、障害が出掛けない理由にはなっていないように思えた。一方、日本では東京ですら車いす利用者が電車に乗る際には駅員の介助が必要で、車いすでの活動範囲が限定されていることをどうしても感じてしまう。

 ところが、東海道新幹線やJR山手線のプラットフォームのホームドアと床面が変わった。四角くピンク色に囲まれた青色の車いすのマークがつき、ホームと車両の隙間を一部狭くし始めたのだ。これにより、車いす利用者も一人で電車に乗り降りすることが可能となった。

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東海道新幹線東京駅の床面(筆者撮影)

 できるだけ多くの乗客を乗せたいという思いからなかなか進まなかった新幹線でも、車いすのフリースペースを導入する動きが進んでいる。

 このような公共交通のバリアフリーは、交通事業者の単独の取り組みではなく、公共交通機関の移動等円滑化整備ガイドライン(旅客施設編・車両等編)の改訂、「Tokyo2020アクセシビリティ・ガイドライン」、改正バリアフリー法を受けて計画的に進められている。どれも公共交通の歴史的な変化にとって大きな意味を持っているのだ。

バリアフリーの対象駅は着実に拡大中

 平成に入って10年が経とうとしていた1998年、最先端の環境が整備される新幹線のターミナル駅である東京駅ですらエレベーターがなかったという。もちろん日本のほとんどの駅にもエレベーターやエスカレーターがなかった。当時の鉄道関係者の意識として、駅のバリアフリー化は福祉事業で鉄道側が行うものではないとされていた。

 バス、タクシー、船、飛行機、建物、道路など全般的にバリアフリーに遅れていた日本は優先順位を付ける必要があった。

 公共交通で高齢者や障害者などの移動に関して、まず着手されたのが鉄道だった。日本の鉄道駅は立体的にできた駅が多く、ホームに行くには階段を上り下りしないといけない。高齢者や車いす利用者にとって段差は大きな課題だ。バリアフリー化は、1日の利用者数が5000人以上の鉄道駅からはじまった。当時はバリアフリーやその費用を負担する意識や仕組みがなく、駅舎のバリアフリー化予算の3分の1を国が、3分の1を地方が負担する仕組みが新たに作られた。

 バリアフリーの対象駅は徐々に拡大されている。1日の利用者数が5000人以上の駅から3000人以上、さらには2000人以上へと引き下げられていき、鉄道駅のみならず、バス、タクシー、船、飛行機、道路にも広がっていった。

 国土交通省によると、2019年度末時点で1日の利用者数が3000人以上の鉄道駅でエレベーターの設置などによって段差が解消されたのが92%、ノンステップの乗合バスの普及が61%、3000人以上が利用する旅客船ターミナルは100%、福祉タクシー車両の普及は37,064台だ。

 これらを推進した要因となったのが、2000年の交通バリアフリー法(高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)、06年のバリアフリー法、そして改正バリアフリー法などの法律だ。

 交通バリアフリー法制定から20年が経ちバリアフリーは劇的に進んだ。盛山正仁氏の著書『ユニバーサル社会を目指して』(ユニバーサル社)によると、20年間のバリアフリーの取り組みについて、日本身体障害者団体連合会会長、日本視覚障害者団体連合、全日本ろうあ連合会長、全国老人クラブ連合会会長など障害者・高齢者の団体の会長らも高く評価しているという。

世界レベルのガイドラインが日本語に

 現在開催中のパラリンピックでも、その成果は見て取れる。

 CGTNの報道によれば、中国代表選手が選手村の環境を称賛したという。視覚障害者用の歩道、部屋のトイレ、専用の手すりや取っ手が取り付けられ、選手村には義足や車いすなどを修理・メンテナンスする「修理サービスセンター」などが開設され、バリアフリーが規範化されている。

 その理由の一つは、オリンピック・パラリンピック開催に合わせてつくられた「Tokyo2020アクセシビリティ・ガイドライン(2017年策定)」をもとに、東京が世界水準に引き上げられてきているからだ。

 ガイドラインは国際パラリンピック委員会(IPC)の「アクセシビリティガイド」を踏まえていて、障害の有無にかかわらず、相互に人格を尊重し合う共生社会の実現を目指すものとして作られた。

 ガイドラインは競技会場のみならず、会場までの経路、宿泊施設などについて、非常に細かな数値基準を用いて規定している。

 例えば公共交通については「輸送手段」で触れられており、車いすが円滑に乗降できる幅や車内スペース、飲食エリア、トイレ、視覚障害者に配慮した設備・機能についての情報が記載されている。観戦スペース、座席数、動線、視線など、日本で遅れている車いす利用者に対応した設計の案内も。そのほかには、障害者が利用しやすいドア幅やスイッチ操作など宿泊施設のバリアフリーについても触れている。

 障害者に対する考え方は、経済の発展状況、地形的な問題など、国によって異なる。人権に関する歴史的な革命の記憶や経験に乏しい日本では、障害のある人とない人が共に生きられる社会とはどういったものか、実現するための環境整備はどう進めたらよいのかと問われても、あるべき姿を描けないことの方が多い。

 東京オリンピック・パラリンピックにより、日本語の世界レベルのガイドラインができたこと、それを適用させた事例が日本にたくさんできたことは大きな収穫だった。他国への遠征の多い海外選手に評価されたことは、日本のバリアフリーにとって自信になったことだろう。

 日本のバリアフリーがまだまだ途上にあることは言うまでもない。障害者や高齢者が気持ちよく使えない建物や公共交通はたくさんある。都市部でもこれからというところだが、地方部においてはなおさらだ。

 バリアフリーは国策として、段階的に進められている。民間企業や自治体も協力要請に従ってできるだけのことをしているケースが多い。現状はバリアフリーになっていなくても、計画されているということもある。交通事業者や自治体に問い合わせることで分かることも少なくない。

 身近な地域でバリアフリー化が進んでいなければ、これまでの取り組みと今後の計画について調べてみることをおすすめしたい。

楠田悦子

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モビリティジャーナリスト。自動車新聞社モビリティビジネス専門誌『LIGARE』初代編集長を経て、2013年に独立。国土交通省の「自転車の活用推進に向けた有識者会議」、「交通政策審議会交通体系分科会第15回地域公共交通部会」、「MaaS関連データ検討会」、SIP第2期自動運転(システムとサービスの拡張)ピアレビュー委員会などの委員を歴任。心豊かな暮らしと社会のための、移動手段・サービスの高度化・多様化とその環境について考える活動を行っている。共著『最新 図解で早わかり MaaSがまるごとわかる本』(ソーテック社)、編著『「移動貧困社会」からの脱却 −免許返納問題で生まれる新たなモビリティ・マーケット』(時事通信社)、単著に『60分でわかる! MaaS モビリティ革命』(技術評論社)。
※本記事は「ニューズウィーク日本版」(2021年8月27日)の提供記事です。