八百八町の風情が香る――。デヴィッド・コンクリンと巡る、江戸歌舞伎発祥の地

 日本橋人形町と浅草。江戸時代に、江戸城の下町として賑わった両者に共通するのは、歌舞伎を始めとするエンターテイメントの街だったということ。江戸の面影を残す街には、いまも歌舞伎に縁の深い場所や店が数多く残っている。

 "江戸"という街から、年月を重ねて大きく発展してきた東京。多様な魅力をもつこの街だが、そこには日本人の我々が見過ごしているものもたくさんあるはず。そこであえて異国から日本にやってきた方の視点で、東京のお薦めスポットを紹介してもらうことにした。今回、ガイド役を務めていただいたのは、人形町在住の日本食文化史研究家、デヴィッド・コンクリンだ。

芝居小屋があった、歓楽街の情趣を残す街並み。

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デヴィッド・コンクリン(David Conklin)●1959年米国オレゴン州ポートランド生まれ。オレゴン州立大学およびマサチューセッツ大学アムハースト校にて経済学士号を取得。2009年ポートランド州立大学大学院で日本史学の修士号を取得。研究テーマは「日本食文化史とグローバリゼーション」。その過程で04年初来日し、07年に日本人女性と結婚して東京での生活を開始。著書に『コンクリンさん、大江戸を食べつくす』(亜紀書房)

 人形町で暮らすようになって以来、東京下町を中心にさまざまな日本の食を食べ歩き、海外から訪れる人を対象とした江戸下町グルメツアーも主宰するデヴィッド・コンクリン。外食だけでなく、日頃は人形町や築地などで購入した食材で肴をつくり、趣味で蕎麦打ちも行う。有名店だけでなくローカルな立ち飲み屋から精肉店、鮮魚店に至るまで、下町の食に関する知識は日本人以上。もちろん行きつけの店も数多くあるが、今回はあえて食から離れ、彼が好きな歌舞伎にちなんだ場所を紹介してもらった。

 「私はポートランド州立大学大学院在籍時に日本演劇の授業を履修していたので、日本に来る前から歌舞伎に親しみがありました。ちなみに担当教授はローレンス・コミンズといって、ドナルド・キーンの教え子で、現在では歌舞伎座で英語版のイヤホンガイドを担当しているんですよ」

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甘酒横丁交差点付近の人形町通りの両側2カ所に2009年から設置されているからくり櫓。人形町交差点側が「町火消しからくり櫓」、水天宮側はこの「江戸落語からくり櫓」で、毎日11時から19時まで、1時間おきに約2~3分のからくりが展開される。

 徳川家康によって江戸幕府が開かれる過程で、江戸城の下町として最初期から賑わったのが日本橋周辺。特に現在の人形町の辺りには、京都から江戸に移った初代中村勘三郎が開いた猿若座(後の中村座)、そして村山座(後の市村座)の歌舞伎小屋を始め、人形浄瑠璃などを見せる大小の芝居小屋が建ち並び、多くの人が芝居見物を楽しんだ。また初期には吉原の遊郭があったこともあり、一帯は一大歓楽街だった。現在は落ち着いたたたずまいを見せる人形町だが、下町ならではの風情は健在だ。

 「人形町の名は、当時この界隈に人形使いが多く住んでいたことに由来するそうです。大通りには近代的なビルが並んでいますが、少し中に入ると老舗の料亭を始め、趣のある古い建物もたくさん残っています。私と妻の結婚披露宴も料亭で行ったんですよ」

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17代目中村勘三郎が好んだ「おこげ」。また落語家の3代目桂三木助はこの店の「手焼きせんべい」が好きで、弟子たちに食べられないように届けられた煎餅を金庫に隠したという逸話もあるほど。

 人形町通り(水天宮通り)から甘酒横丁に入り、浜町方面へ向かうコンクリン。この商店街の中ほどにあるのが煎餅店の「にんぎょう町 草加屋」だ。埼玉県の草加で名産の煎餅づくりを行っていた先代店主が、1928年に人形町に移って店を構えたのがこの店の始まり。いまでも現店主の石川順道さんが、昔ながらの製法を守りながら、店頭で煎餅を焼いている。「この店の名物のひとつである『おこげ』は、17代目中村勘三郎丈のオーダーでつくり始めたものだそうです」と語るコンクリン。特別に黒く苦みが出るまで焼き上げられた煎餅は、やや通好みの味。

 「ちょっと私にはしょっぱいけれど、香ばしくておいしいですよ。また個人的には、薄焼きの割れせんを詰め合わせにした『久助』が好きで、よく食べますね」

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反物を興味深げに見るコンクリン。一般的な反物の幅は1尺(約38cm)前後。身体の大きい彼は、1尺2寸の特注サイズでないと着物や浴衣がつくれないのが悩みだとか。

 コンクリンは、和服好きでもある。もちろん一人で着付けも可能だ。

 「帯も締められますよ。むしろネクタイのほうが苦手で、締めるのに時間がかかってしまいますね」

 毎年1月の展示会シーズンに浴衣をオーダーするのを楽しみにしていると言う。そんなコンクリンは、さらに甘酒横丁を歩くと1軒の呉服店の前で足を止めた。店頭には歌舞伎興行のポスターが貼ってある。

 「この『錦や』も、歌舞伎と縁が深い店のひとつです。この店を贔屓にしている歌舞伎役者やその奥さんも多く、また楽屋のれんや襲名披露の手ぬぐいも手がけているそうです」

 飾り気のない店内の棚には、すっきりとして粋な、いわゆる江戸好みの色柄の反物が並んでいた。

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かつて物資を運ぶ水路だった浜町川はいまは暗渠となり、その上は浜町緑道として整備されている。ここには歌舞伎十八番の中でも人気の高い「勧進帳」の、山伏姿の弁慶像が設置されている。
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甘酒横町は、浜町緑道を過ぎると明治座通りと名を変える。明治座はこの通りと清洲橋通りが交わる浜町公園前交差点に建っている。

 「日本の伝統的なエンターテイメントである歌舞伎は、とてもユニーク。着物や刀といったわかりやすいビジュアルだけでなく、内容もドラマありコメディありで楽しめます。演目や場面によっては、正直たまに眠くなってしまうこともあるのですが、そうかと思うととてもエモーショナルな演技にハッとさせられます」と、歌舞伎の魅力について語るコンクリン。甘酒横町と交差する浜町緑道には、江戸歌舞伎発祥の地であることを記念して「勧進帳」の弁慶像が設置されている。中村座や市村座の歌舞伎小屋は、1841年に火事で焼失した後、天保の改革の一環で他の芝居小屋とともにまとめて浅草に移されてしまった。しかし明治に入ると両国にあった芝居小屋が浜町界隈に移転し、幾度か名を変えた後、「明治座」として今日に至っている。いまの明治座は歌謡ショー公演を中心とする劇場だが、2020年3月には3年ぶりに「三月花形歌舞伎」の上演が予定されている。

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浜町公園を歩くコンクリン。浜町緑道から浜町公園にかけては日本橋の中でも緑豊かなエリア。隅田川沿いと合わせて散策を楽しむ人も多い。

 明治座を過ぎると、中央区立浜町公園に行き当たる。元は熊本藩主細川氏の下屋敷があった場所だが、いまは整備された公園として周辺住民の憩いの場となっている。公園の先は隅田川。川の両岸は親水テラスとなっていて、散策には最適だ。「浜町公園や隅田川テラスはよく歩きますよ。暑い夏でも、川沿いの道は風が涼しくて心地よいです」と語るコンクリン。人形町で暮らして10数年が過ぎた彼だが、下町の魅力は「人情」だと言う。「人形町に住み始めて間もない頃、神田祭りがあって、見ているとみんなが声をかけてくれ、神輿を担がせてくれました。それがきっかけで町内会の青年部に入り、お祭りを始め、盆踊りや餅つきなどさまざまな行事にも参加するようになりました。外国人の私でもフレンドリーに受け入れてくれたこの街が大好きですね」

下町のもつパワーが、人々に元気をくれる。

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大提灯でおなじみの雷門。浅草寺の表参道の門で、正式な名称は風雷神門。平日にも関わらず、大勢の人で賑わっていた。

 人形町から吉原や歌舞伎小屋が去った後、これらを引き受けて江戸随一の歓楽街となったのが、浅草だ。1842年、人形町にあった中村座や市村座に加え、銀座の河原崎座(森田座)を含めた江戸中の芝居小屋は現在の浅草6丁目一帯に集められ、一大芝居町「猿若町」が作られた。これを機に、浅草は東京のエンターテイメントの中心地として栄えていく。「それだけに、浅草にもたくさんの歌舞伎スポットがあります」とコンクリン。下町好き、お祭り好きの彼にとって、年中さまざまな催しがあり、多くの人で賑わう浅草は特別に好きな街なのだと言う。

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店内には多彩なデザインの扇子が展示されてている。歌舞伎の出演役者の名前と家紋を記した招木は、それぞれ歌舞伎俳優から送られたもの。

 コンクリンが最初に案内してくれたのは、雷門柳小路に店を構える、創業120年の扇専門店「荒井文扇堂」。

 「歌舞伎俳優、特に中村屋に縁の深いお店です」

 なるほど店内には、歌舞伎にまつわる品々が飾られている。また各流派の舞踊家、落語家、芸者でこの店の扇子を愛用している人も多く、さまざまなタイプの扇子が展示されている。またシックで粋な江戸扇子など、普段使い用にピッタリな扇子も数多く取り扱う。数十に及ぶ工程のすべてが手作業で行われ、1本からオーダーメイドも可能だ。

 「扇子の他にうちわもありますが、どれも絵柄がとてもユニーク。海外から来たお客さんを浅草に連れてきた時には、必ず案内する店のひとつです」

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活気に満ちあふれる仲見世の商店街。店先で立ち止まって品物を眺める人、記念写真を撮る人であふれ、まっすぐ歩くことも難しい。その先に見えるのが浅草寺の宝蔵門。

 浅草寺の門前町として古くから栄えていた浅草。雷門から宝蔵門に至る約250mの参道の両側には土産物店や菓子店がズラリと並ぶ。言わずと知れた「仲見世」だ。仲見世の出現は17世紀末、元禄年間の初め頃と言われ、付近の住民に対し、浅草寺境内の清掃の賦役を課す代わりに境内や参道に出店することを許可したことが始まりとされる。休日、平日問わず、外国人観光客を中心に多くの人々で賑わう仲見世は、この街で最も活気を感じられる場所と言えるだろう。荒井文扇堂は、雷門柳小路のほか、仲見世の中ほど西側にも店舗を出している。さらに進み、宝蔵門側から数えて東側2軒目にあるのが、江戸趣味小玩具を扱う「助六」だ。

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江戸時代から浅草に伝承されている小玩具がびっしりと展示されている「助六」の店内。

 助六のこぢんまりとした店内には、かわいらしくも精巧な小玩具がずらりと並んでいる。この江戸の小玩具が生まれたのは、8代将軍徳川吉宗の時代。豊かになった町人に対して幕府は奢侈(贅沢)禁止令を出し、雛人形や五月人形などの豪華で大きな玩具はご法度に。そこでできるだけ小さく精巧な細工を施した玩具がつくられるようになったのだ。「小さければ文句はないだろう」というユーモアと皮肉が込められた玩具には、江戸町民のしたたかさと遊び心が感じられる。江戸末期の1866年に創業した助六は、この江戸趣味小玩具を扱う日本唯一の店。屋号は歌舞伎十八番の演目のひとつ『助六由縁江戸桜』にちなんだもの。だからというわけではないが、歌舞伎をモチーフとした小玩具も多い。当日はあいにく不在だったが、店主の木村吉隆氏はコンクリンが特別に慕う存在だ。

 「木村さんの著書の英語抄訳を私が手がけた縁もあって、彼は江戸や浅草についてさまざまな話を聞かせてくれ、またいろいろな店に連れて行ってくれました。木村さんは私にとって『日本のお父さん』なんです」

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「下町は気取らずに楽しめるところが好き」と語るコンクリン。「歌舞伎も食も人も違和感なく溶け込める。前世は日本人だったのかも(笑)」

 「江戸三座」と呼ばれた浅草の歌舞伎小屋は、いずれも火災や関東大震災で被災した後、再建されることなくその歴史を終えた。しかし1980年以来、毎年正月には浅草公会堂で若手歌舞伎俳優の登竜門的な「初春花形歌舞伎」が行われているほか、2000年からは18代目中村勘三郎が立ち上げた「平成中村座」の興業が隅田公園や浅草寺で定期的に開催されるなど、いまなお浅草には歌舞伎を楽しむ気風が根付いている。「この浅草も、一時はすごく寂れていたと聞きますが、その時代を見ていない私には信じられないですね」と語るコンクリン。1970年代以降、流行の変遷に加え、新宿や渋谷などが台頭してきたこともあって活気を失っていた浅草だが、街の人々の努力や工夫、そして昔の面影を残す下町の魅力が見直されてきた背景もあって、近年はまた活気あふれる街となっている。その様からは下町の人々のたくましさが感じられ、訪れる人々にそのパワーを分けてくれているようだ。

にんぎょう町草加屋

東京都中央区日本橋人形町2-20-5
TEL:03-3666-7378
営業時間:10時〜18時(月~金)、10時〜17時(土、祝)
定休日:月、日

錦や

東京都中央区日本橋人形町2-32-3
TEL:03-3666-5361
営業時間:10時〜20時
定休日:土、日、祝

荒井文扇堂

東京都台東区浅草1-20-2
TEL:03-3841-0088
営業時間:10時30分〜16時30分、10時30分~17時(土、日)
定休日:毎月20日すぎの月曜

助六

東京都台東区浅草2-3-1
TEL:03-3844-0577
営業時間:10時~18時

Tokyo Tokyo

東京都は、「Tokyo Tokyo Old meets New」というアイコンとキャッチフレーズを掲げ、国内外から訪れる人たちに東京の魅力を伝える活動を行っています。
TokyoTokyo公式サイト:https://tokyotokyo.jp/ja/
文/和田達彦 写真/江森康之

※本記事はPen Online(2019年12月9日公開)の提供記事です。掲載店舗の営業情報は、2022年6月末時点のものです。