多様な物語を「拓く」文学館、村上春樹ライブラリー

 早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)が、2022年10月に開館1周年を迎える。村上春樹氏とともにどんな文学館を思い描き、運営してきたのだろうか? 顧問のロバート キャンベル氏にインタビューした。
1階のギャラリーラウンジに立つ顧問のキャンベル氏。村上氏の全著作とさまざまな翻訳版が並ぶ。奥の壁に村上氏が描いた「羊男」があしらわれている。

村上春樹という一本の木から広がる文学の館

 早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)は、早稲田大学が村上春樹氏から著作やレコード、執筆資料などの寄託・寄贈を受けたことから設立が決定。3年の準備期間を経て202110月に開館した。50言語以上で出版された翻訳本も揃え、村上春樹研究の拠点として世界随一の内容を誇る。一方で読書スペースやオーディオルームのほかカフェも併設し、多彩な楽しみ方ができる場所でもある。

 村上氏はこの文学館の設立に際し、「物語を拓(ひら)こう、心を語ろう」という理念を提示したという。設立準備から参画し、顧問を務めるロバート キャンベル氏に話を聞いた。

Z6D_4552.jpeg
地下1階から1階へと続く階段本棚。設計した建築家の隈研吾氏は村上氏の作品からトンネルを想起し、この空間の意匠を発想した。
Z6D_4699.jpg
地下1階にある村上氏の書斎を再現した部屋。入室はできないが窓越しに見学できる。

--国際文学館の基本理念、「物語を拓こう、心を語ろう」について教えてください。

 世界にはたくさんの物語があります。「物語を拓く」とは、それらの物語を読んでひもとくことや、語ることでもあるでしょう。さらに物語には、私たち自らがつくり出す固有のストーリーもあります。それぞれの人生の物語です。

Z6D_4604 (2).jpeg
早稲田大学特命教授で国際文学館顧問のキャンベル氏。村上文学の専門家ではないが、一人の文学者としてこの場に心地よい風を吹かせたいと語る。

 私は、ここに来た人々がその人自身の物語を深めたり、豊かにしたり、あるいは書き換えたりすることができるような風通しのいい場所であれば、と考えています。そのために大切にしたいのは、人と人とのかすかな結びつきです。ここにいると、知らない人の話し声が耳に入ったり、イベントで誰かに声をかけられたりするかもしれません。多様な立場の人が交差する中で、誰の物語も否定することなくお互いを見守る。「心を語る」ことは自分だけが心地よくなるのではなく、その先につながっていくものだと解釈しています。

--ほかの文学館や大学図書館と何が違うのですか?

 村上さんの「ファンの人だけが集まる場所にはしたくない」という発想に深く共感しています。当館は一人の作家の顕彰機関ではありません。私は、村上春樹という一本の木の太い幹から伸びた無数の枝に葉が茂っている姿をイメージしています。来館者は鳥のように自由に枝を飛び交うことができるのです。

 この文学館の利用について、村上さんからは「息をするのと同じように」という言葉もいただいています。調べものなどの目的をもって訪れる図書館とは違って、自分なりのテンションで楽しめるのです。

Z6D_4721.jpeg
村上氏が所有するオーディオ機器と同機種を設置したオーディオルーム。膨大な村上氏所蔵のレコードの一部を展示。

 たとえば館内にある展示室では、定期的に展覧会を開催しています。ジャズと文学に注目した展覧会では、村上さんと音楽の関係を明らかにする一方で、日本の作家が書いたジャズが登場する小説なども紹介しました。

 多彩なイベントも特徴の一つです。私が携わっているのは「Authors Alive! 〜作家に会おう〜」という朗読イベントです。作家が自身の作品を朗読して作品について語り、参加者からの質問に答えます。作家の朗読の後、私が英訳されたものを朗読したこともありました。このイベントからはとてもいい気流が生まれていることを実感しています。

--国際文学館という名前ですが、国際ということをどう意識していますか?

Z6D_4712.jpeg
階段本棚に世界の作家・翻訳家が選んだ「現在から未来につなぎたい世界文学作品」が並ぶ。写真は村上氏の『納屋を焼く』を映画化した韓国の監督・作家、イ・チャンドン氏の選書。

 どの社会でも、個人では制御できない大きな力が働くことがあります。そんな時どう振る舞えばいいのか。村上さんは作品で、英雄であろうとすることよりも、個人として存在することの切実さを書いています。人間の弱さを肯定し、時に勇気を喚起するのです。

 村上氏の作品は、1980年代初頭から次々と翻訳され世界各地で読まれるようになりました。海外の読者からの反響は実に多様です。村上さんの物語が深いところに届いていると感じます。

 村上春樹という存在は既にグローバルですから、あえて国際的であると強調する必要はないのかもしれません。しかし現在は、民族や宗教などによって社会が分断される状況が広がっていますから、当館が世界に開かれていることを明示する意味があると感じています。

 ここは、村上春樹という強力な磁石によって、国籍や年齢、立場の異なる人々が、いい具合に混ざることができる場です。この文学館は、訪れるすべての人に向けて扉を開いています。一杯のコーヒーを飲むためだけに立ち寄ってもいいのです。ご来館をお待ちしています。

20220906184605-b2c2c015fc68a586785257ca32c05237c566b7bd.jpg
カフェ「橙子猫―Orange Cat―」は、早稲田大学の学生が運営を担う。飲み物のほかカレーやドーナツなど軽食もある。
Z6D_4734.jpeg
流線型の庇(ひさし)が印象的な外観。既存の4号館をリノベーションした。

早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー)

住所:東京都新宿区西早稲田1-6-1
早稲田大学早稲田キャンパス内
※入館は事前予約制、詳細はサイトでご確認ください
(2022年9月16日現在)
https://www.waseda.jp/culture/wihl/
取材・文/今泉愛子 写真/殿村誠士