【追悼】いまも尽きぬ創造のチカラ 三宅一生の仕事

 三宅一生が8月5日に急逝した。

 パリで衣服デザインを学び、1970年に「三宅デザイン事務所」を創設、オリジナリティ豊かな発想を元に挑戦し続けた三宅は、衣服を超えてデザイン文化全体に影響を与え続けた稀有な存在である。学生の頃、世界デザイン会議で「衣服」がテーマでなかったことに意見書を出し、民衆が着るための服を想い、東洋でも西洋でもない「1枚の布」という概念のもと、時代に対して提言しデザインすることの意味をつねに見つめてきたデザイナーだ。

 その三宅が2000年代に入り、デザイン文化全般に対して提言したのが「国立デザインミュージアム構想」だった。そして、その活動を体現する発信拠点といえる場所が、建築家の安藤忠雄との対話から生まれたデザインミュージアム、東京・六本木の「21_21 DESIGN SIGHT」である。

 すでに多くの展覧会を開き、世界になくてはならない場所となっている「21_21 DESIGN SIGHT」。三宅が投じた一石は、これからも世界のデザイナーやアーティストを巻き込み、未来のデザイン文化に大きく寄与してゆくことだろう。

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1988年5月、ニューヨークで談笑する三宅一生(右)とイサム・ノグチ(中央)、安藤忠雄(左)。ここで交わされた構想が19年後に、21_21 DESIGN SIGHTへと結実した。

デザインを文化として伝え、継承するために。

 三宅一生と、彫刻家のイサム・ノグチ、建築家の安藤忠雄との対話から生まれたデザインミュージアム構想。その第一歩が、21_21 DESIGN SIGHTだ。


 1988年5月13日。『イサム・ノグチ展』のためにニューヨークを訪れていた三宅一生は、会場でノグチ、建築家の安藤忠雄とともに、日本におけるデザインのこれからについて熱く語り合っていた。やがて話は日本におけるデザインを発信する場の必要性へと発展。3人はこれを形にしようと想いをひとつにするが、同年末にノグチは帰らぬ人に。三宅と安藤にとって、デザインミュージアムの構想はノグチから受け継いだ遺志へと変わっていった。

 2003年、三宅は朝日新聞にデザインミュージアムの設立を呼びかける寄稿を行う。日本には優れたデザイナー、それを支える技術、製品として世に打ち出す企業があるにもかかわらず、それらが真っ当に評価されていないことへの疑問を投げかけるものだった。これが反響を呼び、数々の企業などが賛同。2007年3月、21_21 DESIGN SIGHTがオープンする。

 「デザインとは何か」。開館以来、そのテーマを軸に、三宅、デザイナーの佐藤卓と深澤直人の3人がディレクター、ジャーナリストの川上典李子がアソシエイトディレクターとして数々の展覧会を行ってきた。プロダクトや家具、グラフィック、建築から、映像表現や音楽、最新テクノロジー、文化人類学的なアプローチに至るまで、デザインの幅広さと楽しさ、新鮮な驚きに触れる体験を展示し続けている。

 この展示を支えるのが、三宅とともにノグチの想いを受け継いだ安藤忠雄の建築だ。安藤は三宅の掲げる「一枚の布」に着想を得て、「一枚の鉄板」からなる建築を構想。周辺環境との調和を考え、建築は地上1階・地下1階と低層に抑え、床面積の8割を地下に埋設。多くを地下に埋め込んだ建物を象徴的に覆うのが、巨大な鉄板屋根だ。展示棟の屋根は最長部で54m。このサイズの鉄板を1枚とすることはできないため、現場で厚さ16mmの鉄板を溶接で継ぎ合わせて造られている。安藤はこの想いを形にする技術力を挑戦と捉え、自身も展示を行った。

デザインの喜びと驚きを、次世代に受け継ぐ場所へ。

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東京・赤坂の東京ミッドタウン内にある21_21 DESIGN SIGHT。背後にそびえるのは旧防衛庁時代から存在するヒマラヤ杉。

 三宅は、自身におけるデザインの原体験をノグチの作品だと語る。広島に生まれた三宅は、爆心地近くに架けられた2つの橋を渡るなかで、自らが鼓舞されるのを感じたという。この橋こそ、ノグチが1952年にデザインしたものだった。

 デザインから得られる喜びと驚きを教えてくれたノグチとの対話が21_21 DESIGN SIGHTを生み、三宅はそれを次代につなごうとする。しかし三宅がノグチから受け継いだ想いは道半ばだ。この国におけるデザインという思考の普及。三宅に学んだ後陣が、その想いをつないでいく。

見たことのない場所であり続ける、デザインの発信地。

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階段や天井、手すりをはじめ細部まで熟慮された、安藤の息遣いが感じられる建築だ。ダイナミックさと特有の緊張感を醸す造形が美しい。

 2017年、21_21 DESIGN SIGHTはデザイナーの佐藤卓を館長に迎え、新たにギャラリー3を設けた。設立準備から携わってきた佐藤は、三宅の想いをどのように捉えているのだろうか。

 「設立準備時、施設への議論が進むと三宅さんは僕たちを白紙に戻してくれました。いま思うとそこには、どこへ向かってもいいけれど理論に陥ることなく、人間のもつ計り知れない感覚を大切にしてほしいという想いがあったのでしょう」

 間もなく開館13年目(2019年当時)を迎えるが、佐藤は「当初の通りに続けていく必要はない」という。

 「三宅さんほど、自身を疑い続ける人はいないでしょう。これでいいんだということが何ひとつない。山登りでいえば手の届かないところにクサビを打つタイプ。打つためにはどうするかを考える場所、それがこの場のもつ役割なのでしょう」

 デザインを文化として広く知らしめていく。三宅の活動はまさに開拓者のようだ。まっさらで足跡のないところに道をつくるからこそ、その存在は常に新しい。その歩みはこれからも続いていく。

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1階から地階につながる階段下の廊下。床面積の8割が地階にあり、地表からは想像のつかない力強い空間が広がる。
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トイレのシンクにも、一枚の金属板を折り曲げた美しい加工が見られる。
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54mにおよぶ一枚の鉄板でできた三角形の大屋根がかかる。安藤が目指した「日本の顔としての建築」を象徴する建物だ。
文/山田泰巨 写真/岩崎寛

※本記事はPen Online(2022年8月19日公開)の提供記事です。