ソニーが銀座に誕生させた公園は、新しい都市の作り方を示す

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 1966年に銀座に建てられ、人々に親しまれてきたソニービル。建て替えに際しソニーは、2018年から3年間、解体途中をGinza Sony Parkと名付けた公園にして世を驚かせた。2024年に完成を予定している最終形も公園だという。
建て替え期間中の2018年に開園し2021年までの期間限定で運営されたGinza Sony Park。さまざまなイベントも開催された。

建て替えの期間、公園にするという新発想

 ソニーが東京都中央区の銀座数寄屋橋交差点に接した角地にビルを建造したのは1966年。地上8階、地下5階のスマートなビルは複合型ショールームビルとして、またソニーの企業文化を発信する拠点として、国内外から多くの人々を呼び込んできた。

 その建て替えに際し、ソニーは第一段階として、解体途中の2018年に地下4層と地上部分で構成されたGinza Sony Park(銀座ソニーパーク)という公園をオープン。2021年までの3年間限定で運営され、休憩場所としての利用のほか展示や音楽ライブなども催され、コロナ禍の期間があったにもかかわらず来場者数は854万人にも及んだ。

 2021年秋に、一度そのパークを終了し、改めて建設を開始。2024年に最終形である新・Ginza Sony Parkの誕生が予定されている。なぜ、公園を作るのか? Ginza Sony Parkプロジェクトの主宰を務めるソニー企業株式会社代表取締役社長兼チーフブランディングオフィサー・永野大輔氏にインタビューした。

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2024年までの移行ステップ。左から順に、1966年~2017年のソニービル、2018年~2021年のGinza Sony Park、2024年に完成予定の新・Ginza Sony Park。

--公園というアイデアはどのようにして生まれたのですか?

 「ソニーらしい建て替え」を目指した結果です。通常、建て替えにあたっては、どんなビルにするか、建築家は誰にお願いするか、といったことを検討すると思いますが、それでは既にどこかにあるものと同じになってしまうと。

 ソニーらしさとは、「人がやらないことをやる」ということ。弊社のモノづくりの精神です。たとえば1979年に発売した「ウォークマン」は音楽を外に持ち出して、歩きながら聴くという新しい体験を生み出しました。1994年に発売した「プレイステーション」は子どもの玩具だったゲーム機を、大人も楽しめるマシンに変えました。

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Ginza Sony Parkプロジェクト主宰・永野大輔氏。「銀座は50年間、お世話になった街。街とソニーとが握手をしているような関係がいいですね」と話す。Photo: Yasuyuki Emori

 話し合う中で、ビルを壊した後、すぐに次のビルを建てないという案が出てきました。最終的には建物を建てますが、建てない期間を設ける、という。次に私たちはソニービルのコンセプトに立ち戻りました。ソニー創業者の一人、盛田昭夫とソニービルの設計者、芦原義信さんとが考えたコンセプトは「街に開かれた施設」でした。その象徴的な場所が数寄屋橋交差点に面する三角形の10坪の敷地「ソニースクエア」です。この一角は、ビルを建てずパブリックスペースにしたんですね。「銀座の庭」と盛田は呼んでいました。銀座の一等地に10坪のパブリックスペースを私企業が設けるのは、当時、相当の勇気がいったでしょう。その思いを継承したかった。

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1966年に建てられたソニービル。交差点側の一角はあえて建物を建てずに、パブリックスペースとした。2017年よりビルは解体。

 銀座の庭を現代流に解釈した時に、公園というアイデアが浮かびました。建てない期間を「都会の中の公園」とする。さらに2024年に新しい建物を建てますが、その建物も公園にしようと。

 銀座に公園を設けることには実利もあると踏んでいました。銀座は、気軽に休憩できるような座れる場所が少ないんですね。ですから誰でも入れる公園があったら銀座の街にリズムを作れるんじゃないかと。買い物に疲れても、公園があったら一休みして、また銀座の別の場所を回ることができる。公園には、人の行動を変えるポテンシャルがあると考えました。

--2018年にGinza Sony Parkを開園し、3年間運営されました。反響はいかがでしたか?

 オープン時は地下にローラースケート場を作りました。アート展や運動会も開催しました。最初の1年はソニーの製品やコンテンツの展示を行わず公園として認知してもらうようにしたんです。けれど来場者アンケートには「ソニーらしい」と答えてくださる方が多くいらした。

 3年間の来場者数854万人という数字は大きいです。内訳をみると、半分は目的のない方。通り抜けや、たまたま少し休憩されたという方です。残り半分はイベントなどを目的に来られた方でした。イベントは最後の「Sony Park展」を含めて15本を実施しました。

 数寄屋橋交差点に接する立地、地下鉄駅や地下駐車場と隣接するという場所性から、ソニービルの時代も都市機能の一部を担っていたのですが、公園にして、都市機能の面がより強くなった。公園という開かれた場所であるからこそ、多くの方が訪れたのです

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2021年まで開園していたGinza Sony Parkの地下部分。ソニービルの躯体が生かされた。決まった利用方法のみを想像させることのない余白があることで、自由な使い方ができる。

 公園には何が必要か? 私たちは「余白」だと考えました。余白とは、使い方を定義していないということです。スマホを見る、昼寝をする、お弁当を食べるなど、使い方を来園者に委ねるのです。

 たとえば、よく来る小学生の女の子がいました。パークで宿題をしながら、お母さんが迎えに来るのを待っていたんです。この親子はここが安全な場所だと認知して待ち合わせ場所にしていたのだと思います。銀座という比較的安心できる街で、近くに交番があることもその要因でしょう。自由に使ってもらいながら、安全性も保つのは難しく手探りでしたが、大事にしたのは性善説です。人々を信じなければ、街に開かれた公園というコンセプトは実現できません。

 訪れた人が自分のスペースを見つける。プライベートスペースが時間とともに積み重なっていって、それが公園になり、街の一部になっていく。そんなボトムアップ型の公園だと思っています。緑がなくてもいい、ベンチがなくてもいいんです。

 後半は屋外にテーブルと椅子を置きましたが、オープン当初はありませんでした。植栽の周りを縁石のようにコンクリートで囲ってあったのですが、この部分は腰掛けることもできるように考えてデザインしたんですね。実際に、そこに座ってくつろぐ人が現れました。

 人はクリエイティブなんです。人々によって余白を活かした営みが生まれるんです。

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Ginza Sony Parkの外周の、植栽の囲いに腰掛けてくつろぐ人々。

--2022年に、Sony Park Miniがオープンしました。どんなスペースですか?

 Sony Park Mini(ソニーパークミニ)は、建設中のGinza Sony Parkに隣接する西銀座駐車場の地下1階に設けた、10坪ほどのスペースです。「アーティストの鼓動を感じるプログラムを起動し続ける」をコンセプトに、アートを展示したり、短編映画を上映したり、ユニークなポップアップストアを開いたり、さまざまな実験的な企画を行っています。

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Sony Park Mini。左側の5坪のスペースでは西銀座駐車場コーヒーというコーヒースタンドも営業。

 小さいスペースですから企画の立ち上げも速く、アプリケーションのように、ほかの街にもインストールできます。Ginza Sony Parkはコピーが難しいアナログ的でしたが、Sony Park Miniは起動力と複製力をもつデジタル的な発想で作っています。

 10坪という広さにも意味があります。Ginza Sony Parkのコンセプトは、盛田が考えた10坪の「銀座の庭」から始まっていますから。若手クリエイターにとっては、いきなり大きなスペースを与えられるよりも、10坪ならどう使うかイメージしやすい。10坪というサイズは実験がしやすいんです。

--公園の定義を変える、新しい街づくりの方法ですね。

 このプロジェクトを通して、ビルを建て替える時に一定期間公園にする、ということを世に提案しました。もしもこれが流行ったら、建て替えが行われるあちらこちらの場所に一時的に公園ができる。すると街に公園が増えていくでしょう。

 広大な敷地を購入して恒久的な公園を造園するのは莫大な費用がかかります。都市において建て替えは必然的に生じますから、そうした折に公園を随所に、誕生させていくやり方はサステナブルだとも考えます。

取材・構成/井手ゆい(CCCメディアハウス)
写真・図提供/Ginza Sony Park Project