東京で起業、黒人アニメーターが日本アニメ業界に投じる一手

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 日本で初めて黒人経営者によるアニメ制作スタジオ、デ・アートシタジオ(D'ART Shtajio)を創設したアーセル・アイソム氏が東京の多様性に富んだ創作環境や、日本のアニメ業界における黒人に関する表現の変化について語る。
アニメスタジオ、デ・アートシタジオ(東京都新宿区)の創設者であるアーセル・アイソム氏。

 「昨夜はあるプロジェクトの作業を午前4時まで行っていました」アイソム氏の柔らかい物腰や落ち着いた雰囲気の裏には、クリエイティビティへの強い情熱がある。

 こんなエピソードもある。液晶モニターがずらりと並ぶスタジオで夜通し制作作業をしていた際、突然音が鳴り響いた。幻聴かと思ったアイソム氏だが、「アニメーターチームの1人が遠隔操作でYouTubeを観ているだけだった」そうだ。

 黒人による、日本初のアニメ制作スタジオのCEOを務め、経営者としてメディアからも注目されるアイソム氏は、クリエイティブ・ディレクターとしても、アニメーターたちと共にさまざまなシーンの制作を手がけている。

 作品に、『進撃の巨人』『ワンピース』『銀魂』『炎炎ノ消防隊』など人気作が挙げられる。経営者の肩書きを持ちながら、彼自身がアーティストであり、これからもそうあり続けたいという。

 「アニメは物語を伝えるためのメディアに過ぎません。ただ、現代社会ではさまざまな変化が起きており、その変化はアニメ業界を変える力も持っています。私たちは、そのお手伝いができるスタジオのひとつであることを嬉しく思っています」

 アメリカ、ニュージャージー州出身のアイソム氏が現在に至るまでの道のりは、非常に野心的なものだった。アニメーターを目指すようになったきっかけは、小倉宏昌監督のSFアニメ映画『攻殻機動隊』との運命的な出会いだったという。それに衝撃を受けたアイソム氏は悩むことなくサンフランシスコを離れる決断を下し、東京のアニメーション専門学校に入学した。失敗への恐れが頭をよぎることはなかったという。

 アニメーターという職業は狭き門だが、その中でもアイソム氏は有名なスタジオ小倉工房への就職を目指していた。彼にとっては当然の目標だったが、同スタジオが採用するアーティストは毎年1人のみということもあり、それなりの覚悟が必要だった。「当時の私は、小倉監督の下で働くことをただただ願っていました」

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日本のアニメ業界における多様性をさらに体現するべく、東京に拠点を置くチームとともに働く。

アニメーターとしての野心と起業家としての責任

 2008年から念願の小倉工房で働き始めたアイソム氏は、日本とアメリカの労働環境の違いにすぐに気づいた。

 「日本のアニメ業界は世界の中でも珍しい労働環境と言えます。まず、前提として働く時間が非常に長い。入社初日から翌朝まで仕事をしました。先輩たちは机で寝ていました。その姿を見て、自分も真似するように机で仮眠を取るようになりました」とアイソム氏は当時を振り返った。

 当時としては、非常に珍しい外国人のアニメーターだったアイソム氏は、小倉監督の下で腕を磨くために努力を続けていたが、実力の発揮が常に求められていた。もちろん、小倉工房へ就職することだけが目標ではなく、奮闘する日々が続くことは覚悟のうえだった。

 「アニメ関連のイベントに参加すると、よく警備員と間違われていました。日本では、黒人であることだけで目立ちますが、絶対に特別扱いされたくありませんでした。日本で働く外国人の多くは休暇ごとに本国へ一時帰国したり、旅行したりする印象ですが、私は10年間一度も帰省しませんでした」

 小倉工房への入社5年目の2013年、アイソム氏は小倉監督とアニメプロデューサーの石川光久氏へ正式に辞意を伝えた。その後、アイソム氏は実の弟のダーネル・アイソム氏と幼い頃から構想していた夢を実現させるべく、新たな道に向かって走り出した。起業家である父親のアドバイスを受けながら、2016年にデ・アートシタジオを設立し、兄弟の夢を叶えたのだった。アイソム氏はこの日を機に、起業家とアーティストの二足のわらじを履くことになった。

 事業を軌道に乗せるためには、自身のスキルアップが重要と考えたアイソム氏はこのように話した。「会社を立ち上げること自体、難しいと思います。私はもともとクリエイティブ思考を得意とすることから、経営者とアートディレクターの両方の立場が違うことは頭では理解しつつも、この違いには実際苦慮しています。会社と従業員を常に優先しなくてはいけません。たとえ特定のプロジェクトに注力したいと本心では思っていても、資金の支払いの観点から断念するということも時には求められるのです」

 事業規模を拡大するためには、他の業界と同様にパートナーシップの構築が重要だった。アイソム氏は自身が内向的な性格であることから、大きなプレッシャーを感じたという。彼にとって幸いだったのは、業界内に競合がいないことだった。

 「もちろん、日本には成果を出し続ける有名なスタジオが存在しますが、まずは関係者と友好関係を築くことが何よりも大切と考えていました。小倉工房を離れる決断をした際、小倉監督と石川さんは祝福とともにアドバイスをくださいました。それと同時に、業界内で人脈を広げる後押しをしてくださり、とても感謝しています」

アニメの中の固定観念

 少年漫画『シャーマンキング』の初期のアニメ化作品には、アフリカ系のキャラクターが登場する。チョコラヴ・マクドネルという不適切な名前が付けられており、アフロヘアに誇張された唇、ターバンを巻く姿が描写されていた。このように、有色人種やLGBTQが誤って表現されることはアニメの歴史の中でこれまで数えきれないほどあった。

 そういった昔からの固定観念に基づく表現は、現在も残り続けているという。アイソム氏と彼のチームは、これまで誤って表現されてきた人々のために固定観念を捨て、彼らの本来の姿を描くことに尽力している。

 「アニメーションは実写と異なり、全ての要素が描く対象となります。動くもの、存在するものを何一つ漏らしてはいけません」

 「正しく観察し、正しく表現することは、アーティストとしての責任です。ただ、やはり簡単なことではありません。例えば、トランスジェンダーのキャラクターを描く際、まずは性別とトランスジェンダーについて正しく理解する必要がありますが、もちろん時間がかかる作業です」

 アニメ製作者が無意識のうちに誤った表現をする背景には、世界中のメディアが発信する情報の影響があることは明らかだ。日本では、他国の文化が商業化されることが多々あり、結果として人種や性的演出を強調するために、描写の正確さに欠ける事象は少なくない。例えば、アニメの中での黒人は危険人物か、冷淡か、あるいはコミカルかのいずれかで表現されることが少なくない。

 社内のアーティストがあるプロジェクトを手がけていた際に、悪役の肌色を暗く、ヒーロー役の肌色を明るく設定していた。クライアントからの要望かと尋ねると、「いや、これは悪者なんだ。だから肌色も暗くした」と言われたことがあるという。

 アイソム氏にとっての挑戦は、キャラクターをできるだけ本質的な形で見せることだ。そのために、彼らは誰なのか、どこの国の人なのか、特徴はなにかを考える必要がある。

 「最も避けたいことは、黒人であるという理由だけで、お飾りのマイノリティとして黒人のキャラクターを登場させてしまうことです。形だけの多様性を見せるためだけに黒人キャラクターを登場させるよりは、アジア人や肌が黒くないキャラクターを登場させることを選びます。私たちは、あくまでもストーリーに焦点を当てることに価値を置いています。そうすることで、正確で多様性のあるアニメを制作ができると考えています」

 インタビューの後、アイソム氏が大切にしている山岳風景を描いた水彩画を見せてくれた。絵の仕上げはなんと小倉監督が行ったそうだ。また、彼が大好きなアニメシリーズについて話す時(今「攻殻機動隊 Stand Alone Complex」を再視聴しているという)の笑顔の輝きからも、彼のアニメへの親しみが十分に伝わってくる。

 創作への情熱はデ・アートシタジオのロゴにも表れている。そのロゴのマスコットの着想は「イジロー」という名の過去作品の黒人の日本人アーティストのキャラクターに由来しているという。「創作への妨げから脱し、絶え間ない創作の追求をする」、そのロゴはアイソム氏の魅力的な人生そのものを映し出しているようだ。

 エントランスに置かれたモニターには、アニメーターが遠隔操作でジブリ作品を想起させるような風景画を修正する様子が映し出されており、思わず見とれていると、アイソム氏は師匠の小倉監督からもらった言葉を教えてくれた。「アートは筋肉と同じだ。描けば描くほど、上手になる。自分がやりたいことを見つけたら、練習、練習、練習だ」

取材・文/カミラ・チャンドラ、メトロポリス
撮影・写真提供/マイク・スミス
翻訳/笹原唯

*本記事は、「Metropolis(メトロポリス)」(2021年9月28日公開)の提供記事です。