藤本壮介設計の新校舎を迎え、新たな日仏文化の発信拠点に
東京都新宿区にある東京日仏学院は1952年、高松宮殿下や当時の首相・吉田茂、デジャン駐日フランス大使参列のもと、華々しく開校した。設計を担ったのは近代建築の巨匠ル・コルビュジエ門下の建築家、坂倉準三。1937年パリ万博日本館の設計で建築部門のグランプリを受賞した坂倉は、帰国後自身の設計事務所を設立し、学院の設計を手がけた。当時日本ではまだ珍しかった鉄鋼とコンクリートによる近代建築を基盤としながら、「シャンピニオンの柱」と呼ばれるコンクリート柱や木製サッシのガラス窓が並ぶファサード、二重螺旋階段などユニークな要素を備えた建物は、長年にわたって多くの文化人を迎えてきた。
2022年9月に館長に就任したペニヤさんは、東京日仏学院の建物を「宝箱」と評する。「50年代からこの場所を訪れた文化人のリストは驚くべきものがあります。語学と文化は切っても切れないものですが、この場所が日本とフランスの文化交流の場として果たしてきた役割は大きな宝です。建築はその宝を守るための宝箱のようなもの。この建物の中に一歩足を踏み入れた瞬間、フランスのスピリットや空気感を感じられるでしょう」。実際、東京日仏学院の設立がきっかけで、学院にほど近い神楽坂エリアはいまや通称「プチ・パリ」と呼ばれている。
新校舎設立にあたって設計を担当したのは、現在国内外で活躍する藤本壮介だ。藤本が提案したのは「フランスの村」というコンセプト。敷地内の豊かな緑を生かしながら、中庭を取り囲むように建つ新校舎は、教室、ホールがテラスや階段によって流動的につながっている。「この新しい建物は、人と人が偶然に出会うように設計されています。藤本氏の建築の特徴は透明さではないでしょうか。すべての部屋には大きなガラス窓が設けられていて、外の自然と会話ができるようになっています。テラスに佇めば、木々のざわめきや鳥のさえずりが聞こえてくる。東京のオアシスのようなこの場所の特性を存分に生かしています」
これまで多くの日本とフランスのアーティストや映画監督、思想家などを迎え、文化交流を行ってきた東京日仏学院だが、今後はさらに文化のコラボレーションやクリエイションに貢献する活動を行いたいとペニヤさん。「今までは展覧会や上映会を中心に文化活動を行ってきましたが、より広く文化機関同士の交流を活性化させたいですね。先日開催した出版イベントでは、約60の日本とフランスの出版社が集い、プロフェッショナルミーティングを行いました。日本文学やマンガはフランスでも人気がありますが、日本の市場でまだ知られていないフランス語圏の出版物を広く紹介するきっかけになりました。また2023年3月にはベルギー、スイス、カナダ、アフリカの国々といったフランス語圏の大使館とコラボレーションしたイベントも予定しています。フランス語という言語を通じて多くの国の文化を東京から広める機会になると思います」
「東京という街はモザイクのように複雑でとても印象的です。中心部には近代的なビルや商業施設があって、周辺の小さな街にはお寺や神社がある。ここ東京日仏学院と同様に、伝統と現代がいつも会話しているように感じます」と語るペニヤさん。これまでの文化活動を象徴する歴史的建造物と、未来の創造的活動の場となる新校舎が共存する東京日仏学院は、より深い文化発信の場となりそうだ。
フレデリック・ペニヤ
写真/藤本賢一