Tokyo Financial Award:
プライバシー保護とAIのバイアス排除へ合成データを活用

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 シンガポールを拠点とするスタートアップ企業Betterdata Pte. Ltd.は、東京都が主催する「東京金融賞2022(Tokyo Financial Award 2022)」を受賞。合成データの活用を進める革新的なソリューションが評価された。
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ブロックチェーン技術は仮想通貨に不可欠な技術として有名だが、さまざまな分野に応用できる可能性を秘めている。Photo: iStock

 イギリスの数学者でありマーケティングの専門家のクライブ・ハンビーが2006年に「データは新しい石油だ」と宣言したのは有名な話だ。もしもこれが本当なら、データを使える価値あるものにするためには、原油と同じように精製する必要がある。Betterdataでは、合成データを活用することで、この精製プロセスにおいてきわめて重要な2つの要素に対処している。

 Betterdataの共同創業者で、CEOのウザイア・ジャベイド氏は、2018年にEU(欧州連合)の一般データ保護規則(GDPR)の適用が開始されて以降、世界的にデータプライバシーを保護する法律が一方向にのみ向かっていることをまず指摘する。「法律が厳しくなるにつれ、各企業は実データの使用やアクセス、共有から距離を置くようになっていくでしょう」と示唆した。

 そこで活躍するのが合成データだ。AI技術を用いてオリジナルの情報に忠実だが匿名化されたデータセットを生成すれば、各地域・国のプライバシー保護法に準拠した方法でデータを活用することができるのだ。

 データをめぐるもう一つの大きな課題が、バイアスのかかった(偏った)AIモデルが生成されるのをどうやって回避するかということだが、Betterdataはこの問題についてもソリューションを提供している。

 AIの公正さとバイアスについては、幾つもの実例において強調されてきており、ジャベイド氏はその対処が複雑な問題であることを認めている。簡単に説明すると、モデルの訓練を行う際に使ったデータに人間の先入観や不公正が反映されていると、そこから作られたシステムにも同じバイアスが反映されてしまうという問題だ。

 BetterdataAIモデルは、データセットに含まれるジェンダーなど複数の要素について、AIを使ってその偏りを調整できる合成データを生成することで、この問題の対処を支援することができる。 

イノベーションが評価を得る

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東京都の小池百合子知事から賞を受け取るジャベイド氏。

 Betterdataの最先端の商品が東京金融賞の審査員たちの目に留まり、同社は2022年の同賞の金融イノベーション部門で2位を受賞した。

 東京都は2018年に、東京を再びアジアの金融の中心地にし、革新的なソリューションを通して都民の生活を向上させる取り組みの一環として、東京金融賞を創設した。同賞には金融イノベーション部門と並んでESG投資部門があり、ESG(環境・社会・ガバナンス)および国連の持続可能な開発目標(SDGs)に関連する取り組みを実践する事業者(金融事業者を含む)を募集している。

善なるハッキング

 ジャベイド氏とBetterdataの共同創業者で、最高技術責任者(CTO)であるケビン・イー氏はいずれも、セキュリティを向上させる目的で行ういわゆる「エシカルハッキング」の経験を持つ。ジャベイド氏はシンガポール国立大学の博士課程で、仮想通貨プラットフォーム「イーサリアム」のブロックチェーンウォレット(アカウント)のハッキングを行った。

 「彼らの暗号化アルゴリズムを逆行解析して、600を超えるユーザーのウォレットにアクセスすることができました。彼らのプライベートキーを握り、彼らに知られることなく資金の出し入れを行うことも可能でした」とジャベイド氏は説明。だが実際にはもちろんそうはせずに、論文の中でシステムの基礎となるテクノロジーの脆弱性を明らかにしたと強調した。

 この経験からジャベイド氏は、資金やデータ、あるいは暗号を使ってインターネット上で動かされる価値ある全てのものについて考え始め、プライバシーエンジニアリングに対処するより良い方法があるはずだと考えるようになった。そこから彼は、生成系AIモデルについて調べ始めた。ChatGPTのようなプラットフォームの出現により、大きな注目を集めている分野だ。ジャベイド氏はイギリスのアントレプレナー・ファーストという起業家養成プログラムに参加。そこで将来のビジネスパートナーとなるイー氏と出会った。イー氏もまた、偽の指紋を使ってスマートフォンのロックを解除するというエシカルハッキング・プロジェクトを実行した経験があった。

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Betterdataが提供するソリューションは、幅広い分野の事業者に対して非公開で匿名化され、かつ使用にも適したデータを生成することが可能だ。

 2021年に創業されたBetterdataはこれまで、資金調達を行い、アメリカとシンガポールの大学と研究面でパートナーシップを組み、複数の法人顧客を獲得してきた。ジャベイド氏によれば、最も規制が厳しいのは金融と医療関連のデータだが、同社は幅広い分野の事業者と仕事をしていきたいと考えているという。

新たな扉を開く

 アジア太平洋のより幅広い地域に事業を拡大していくことを目指しているジャベイド氏は、東京金融賞を受賞したことはBetterdataにきわめて大きな恩恵をもたらしたと語る。応募した約100の事業者の中から一次審査を通過した15の事業者の一つに入ったことで、同社は3カ月のビジネス支援プログラムに参加する機会を得た。ジャベイド氏は、このプログラムに感銘を受けたという。

 「毎週連絡をくれて経過を確認し、日本の市場に商品を売り込むために考慮すべき重要な点を私たちに教育してくれました」とジャベイド氏は振り返る。「それこそ、私たちが求めるすべてに回答してくれました」

 Betterdataが金融イノベーション部門で2位に選ばれたことを受けて、ジャベイド氏は授賞式に出席するために東京を訪れた。滞在していた約1週間は人脈づくりを行った。複数の企業が、Betterdataの提供するソリューションについて知りたいと時間を割いて会ってくれたことに感動したというジャベイド氏は、東京都からの評価は、Betterdataが門戸を広げる上できわめて重要な役割を果たしたと考えている。

 長期的には東京にオフィスを構えることを目標に掲げている彼らだが、差し当たっては顧客基盤の構築に取り組む。

 そのための最も期待できる方法が、日本のシステム・インテグレーターや幅広いICTサービス事業者、テック分野における大手企業の事実上のゲートキーパー(情報をつなぐ人)との話し合いだ。ジャベイド氏によれば、ここでも東京都と東京金融賞の運営者が後押しをしてくれているという。

 「『こんにちは、シンガポールから来たBetterdataです』とだけ言うのと、『私たちは東京都の賞で2位を獲得しました』まで言うのでは大違いです」とジャベイド氏は語るが、さらにこう続ける。「もちろん、そこから先は私たち次第です」

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Betterdataの共同商業者であるウザイア・ジャベイド氏(左)とケビン・イー氏(右)。
東京金融賞:東京都が実施する東京金融賞は、金融イノベーション部門とESG投資部門で構成される。金融イノベーション部門は、将来有望なソリューションやサービスを提供する事業者に授与される。受賞者には賞金のほかに、それぞれの事業者のニーズに応じて事業拡大のため、あるいは日本市場に進出するための事業支援が提供される。
https://www.finaward.metro.tokyo.lg.jp/
取材・文/ギャビン・ブレア
写真提供/Betterdata
翻訳者/森美歩