Correspondents' Eye on Tokyo:
東京でお手頃に楽しむクラフトビール
来日、震災の経験、ビジネス、そしてクラフトビール
2000年3月に日本に来た当時のレイン氏の主な目的は、恋人(現在の妻)と一緒に彼女の地元である青森で暮らすことだった。そのため英会話スクールの英会話講師に応募する際にも勤務希望地に「青森」と記入したが、実際に配属されたのは青森から約800キロも南に位置する神奈川県藤沢市だった。英会話講師として働いた後は、銀座でサラリーマンとなり、家族と共に都心部に引っ越した。
2011年に東日本大震災が起きた時には、デザイン事務所で働いていた。だが事業は地震で大きな打撃を受け、事務所はたたまざるを得なくなった。
「仕事がすべてなくなり、友人のクリス・カークランド(東京チーポ共同創設者)と協力して何か別のことをすることにしました。彼と出会ったのは、200円でビールが飲める安い居酒屋でした」とレイン氏は言う。当時は東京について必ずしも「安くて楽しい」というイメージを持っていたわけではなかったが、だからこそ「東京チーポ」のウェブサイトを立ち上げたのだと彼は語った。「当時、東京は世界で最も物価が高い都市だというのが一般的なイメージでしたが、私たちの経験はそれとは大きく異なりました。東京には、手頃な価格で楽しむ方法がたくさんあると感じていました。それが東京チーポを始めたきっかけです。私はウェブ開発の経験があったので、サイトを開設して記事を書き始めたところ、すぐに人気が出始めました」
大震災の後に活気づいたのはサイトだけではない。レイン氏がクラフトビールに興味を持ち始めたのもこの頃だった。
「地ビール(地域の醸造所でつくられたビール)も何種類か試しましたが、クラフトビールと地ビールは別ものだと思います。地ビールは、地域のお土産という意味合いがより強い感じがします」とレイン氏は言う。
彼がクラフトビールに夢中になったきっかけは、友人の家で味わったクラフトビールだった。
「アメリカのクラフトビールだったのですが、とても美味しかったのです。それまでは、アメリカのビールをみくびっていました」とレイン氏は言う。その体験からクラフトビールに興味を持つようになった彼は、日本のクラフトビールの世界にも足を踏み入れるようになった。
「東京のさまざまなバーなどに足を運んで、できる限り多くのクラフトビールを試しました。ウェブサイトは飲み歩きをするいい口実にもなり、同時にコンテンツ制作にも役立ちました」
東京のクラフトビールの盛況
クラフトビールに関して、東京はほかの都市を大きくリードしているとレイン氏は感じている。「多くの地方都市では、クラフトビールが飲めるいい店といえば数えるほどですが、東京は2カ月間、毎晩違う店に行ってもまだ全店制覇には遠いほどです」と彼は言う。
こうした店の数は、クラフトビールへの注目が高まるにつれて増えている。以前は都内でクラフトビールが飲めるバーが少なかったため、「東京のクラフトビールバー10店」という記事が意味をなしたが、「今では都内の各地域で、クラフトビールバーのトップ10を挙げる記事が書けます。それだけ爆発的に店が増えました」とレイン氏は語った。
では数あるクラフトビールバーの中から、どのような店を選べばいいのか。レイン氏は、雰囲気と食べ物、店内の装飾が、バー選びの重要なポイントだと説明する。
もちろん、店の専門性とビールの質もクラフトビールを提供する店の成否を分ける。レイン氏は、「その店のオーナーにどれだけの知識があるかは、ビールの品揃えでわかります。経験豊富なオーナーの店は、ちょっとした冒険や楽しみがある傾向にあります」と語った。だがそれが「いきすぎ」になってしまう場合もある。都内のかなりのバーを訪れてきたレイン氏は、これまでにビール通をターゲットとした店にも幾つか出会ったことがあるが、こうした店は少しやりすぎだと感じている。「大切なのはビールの品揃えだけではありません。楽しくて心地いい空間と美味しいビールのバランスを見出すことが必要です」と彼は言う。
さらなる挑戦へ
当然ながら、レイン氏の冒険はクラフトビールバー巡りでは終わらない。コロナ禍でビジネスは大きな打撃を受けたが、ウェブサイトにはまだ大いに成長の可能性があると考えている。彼らは既に複数の国に進出し、「ロンドンチーポ」と「香港チーポ」を立ち上げている。いったん軌道に乗れば、勢いは止まらない。
「東京チーポは、まだまだ成長が可能だと思います。でも世界各地でより多くのウェブサイトを立ち上げるという当初の計画も追求し続けていきたいと考えています」
グレッグ・レイン
写真/カサンドラ・ロード
翻訳/森美歩