Correspondents' Eye on Tokyo:
在京のジャーナリストが魅せられた、一生つながっていたい東京

日本への期待、厳しかった現実
シリパラ氏が初めて日本とその文化に触れたのは、欧米のテレビとラジオを通じてだった。「美少女戦士セーラームーン」の世界に魅了され、アメリカのポップミュージックに日本の影響があることで興味を増した。
「アメリカのポップスターのミッシー・エリオットは、曲にちょっと日本語を入れたりしていました。とてもクールだなと思ったのです」
彼女が8年前に初めて東京に到着したときは驚きの連続だったが特に、ヴィーガン(完全菜食主義)の食べ物の充実ぶりに驚かされた。東京の植物性素材の食文化は年々拡大し、ヴィ―ガンである彼女には幸いなことにはるかに多くの選択肢が与えられるようになった。
「もう今は選択肢が本当にたくさんあります。コンビニやスーパーにはソイチョコレートやソイティーをはじめ大豆を使ったさまざまな製品があります。本当に素晴らしいですね」
彼女にとって最も厳しい現実は、自分の日本語の実践でのレベルを知ることだったかもしれない。大学で日本語を専攻していたが、スピーキングのレベルが十分ではないと思っていた。現地で日本語を磨きたいという気持ちが、東京へやって来る大きな動機にもなった。
「東京に来たばかりのころ、財布をなくしてしまったんです。警察に行っても、どこでどうなくしたのかを説明ができなくて悔しい思いをしました。ところが、日本語ができない外国人にも(警察が)優れた通訳をつけてくれて、その仕事ぶりに感心してしまいました」
以来、彼女は日本語を磨こうと努力を続けている。「今では、何かトラブルがあっても自分で解決できるようになりました」
日本でジャーナリストとして活動するには、言葉が非常に重要だとシリパラ氏は語る。日本語による高度なコミュニケーション能力がないと、成功は難しいという。

コミュニティの一員と思える日々
語学力を身につけたシリパラ氏は、東京都狛江市に引っ越したことでより東京での生活になじむことができたと感じている。狛江での近所の人たちとの関係は、今まで経験したことがないほど密なものだ。「私の友人が多く住んでいて、この地域を紹介してくれたんです」
彼女はアメリカやニュージーランド、イギリス、スリランカなどいくつもの国に住んだことがあるが、コミュニティの存在をこれほど意識したのは狛江が初めてだ。この感覚を私生活でも仕事の上でも大切にしている。
新しい入居者は元入居者から紹介されることが多く、そうした相互のつながりのおかげで、アパートの住人同士が親しくなりやすいのだと彼女は言う。
「近所の人をよく知らないと言う人はとても多いです。でも私は、自分のアパートに暮らしている人をみんな知っています。友達がたくさんいるのです。このコミュニティの存在は、仕事にも役立っています。私が取材した人は、コミュニティの誰かに紹介してもらった人ばかりです」
食材がないときは貸してくれたり、人を紹介してほしいと頼めば快く応じてくれるなど、必要なときにいつも助けてくれるコミュニティは、彼女にとって実に頼りになる存在だ。彼女は周囲の人たちとの何げないやりとりも、とても大切にしている。顔を合わせたときに笑みを交わしたり、ちょっとうなずき合ったりするだけでも、コミュニティの一員だと感じられるという。
もちろん、シリパラ氏を温かく受け入れるコミュニティは、住んでいる地域だけではない。彼女のジャーナリストとしての人脈も、大きな助けになっている。日本外国特派員協会(FCCJ)で話を聞かせてもらったとき、ジャーナリスト仲間との関係について彼女はこう語った。
「FCCJ会長のピーター・エルストロムさんはとても気さくな方です。メディア取材のアイディアにもよく協力してくださって、FCCJのイベントを案内してくれます」
シリパラ氏はFCCJで多くの時間を過ごしている。雑誌や新聞など彼女が「ジャーナリストの道具箱」と呼ぶ資料がそろっており、記者仲間に囲まれているので、仕事がとてもはかどると感じているという。また、同じ業界の人々と最近のトレンドについて意見交換をするのにも適した場所だ。
「ジェイク・エーデルスタインさん(アメリカ人ジャーナリストで犯罪作家)とはとても仲良くさせてもらっています。何か迷ったときはいつも相談しています。彼の作品を読むと、まったく別の視点を知ることができます。彼のことも彼が書いたものを読むのも本当に好きです」

東京をいつか離れても、つながっていたい
日本語を磨き、人脈を広げたシリパラ氏は、これから世界のどこへ行ったとしても東京とつながっていたいと考えている。
「東京とは一生つき合っていきたい」と、彼女は語る。ひとつの場所に長くとどまることはできないかもしれないが、この街とのつながりを失いたくはないのだ。
「いつでも東京に戻ってきたい。長い時間をかけて学んできたので、日本語を忘れずに、覚えていたいのです」
ティサンカ・シリパラ
写真/カサンドラ・ロード
翻訳/森田浩之