日本の伝統文化、芸者と料亭の魅力

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 軽やかな締太鼓(しめだいこ)に三味線、和の音色に合わせてしっとりとした舞を披露する芸者。多くの人にとっては、映画などの世界でしか馴染みがないのではないか。
 そんな芸者の魅力について、外国人観光客にも人気の浅草で老舗料亭「都鳥(みやこどり)」を営む三代目若旦那、河村英朗(えいろう)氏に聞いた。
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都鳥の玄関前に立つ河村氏

浅草は開かれた花街

 花街、その歴史は古い。豊臣秀吉が関白だった時代に、京都の北野天満宮東門前に7軒のお茶屋の営業を認めたのが起源とされる。現在も残る上七軒(かみしちけん)という地名の由来になっている。

 のちに江戸でもにぎわうようになり、現在は都内で浅草、新橋、赤坂、神楽坂、向島、芳町(日本橋人形町)が六花街としてその伝統を継承する。

 「発祥である京都はもともとお公家さんの都ですから、伝統的に料亭も芸者衆もはんなり、雅(みやび)な感じ。対して江戸はお武家社会。禅の思想が強く、シンプルというかどこか筋が通ったすっとした粋の文化が尊ばれている気がします」

 京都と江戸という異なる文化圏、客層に育まれてきた花街の違いを河村氏はそう表現する。また、現在の東京六花街にもそれぞれの色合いがあるという。

 「官庁街に近く政治家も多かった新橋、赤坂などは政財界の方々にごひいきにされてきた。対してここ浅草は、東京でも最古の観音寺である浅草寺を中心に最も観光地化された地域だけに、花街や花柳界を街ぐるみで守り育て、さまざまな年齢、業種、役職の方々に愛されてきました。その開かれた雰囲気こそが浅草の魅力です」

 現在の浅草には4軒の料亭が残り、都鳥は1948年創業の老舗。お店の料理を楽しむ料亭の中でも、芸者衆と遊ぶことを主としたお店を待合茶屋という。現在、都鳥は浅草で唯一の待合茶屋の形態をとる料亭だ。

 芸者をしていた母親が2代目の女将となり、長男である河村氏が料亭の中に併設されたバーのマスターをしながら親子二人三脚で都鳥を切り盛りしている。

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都鳥の玄関の左隣には扉があり、中に入るとバーが。河村氏は普段、和装のマスターとしてここに立っている。

お座敷遊びは手を伸ばしにくい?

 芸者とのお座敷遊びは、一見(いちげん)さんお断りや高額というイメージが一般的にあるが、実際はどうなのだろう。

 「確かにお座敷遊びは手を伸ばしにくいと思われがちです。三味線とお囃子に合わせて踊り、唄を披露する芸者衆の芸を楽しんでいただくには、やはり芸者3人をお呼びいただきたい。芸者衆の玉代(料金のこと。花代ともいう)や料理、座敷賃などで10万円くらいとお考えいただければよいでしょうか。もちろん、お料理だったりお客様の人数や芸者衆の人数を変えれば、お一人様あたりの料金はもう少し減らすことはできますし、逆も然りです」

 お座敷は芸者衆の芸を楽しむだけではなくさまざまな遊びがあり、時間も忘れて過ごすことができる。

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お座敷で芸や舞を披露する芸者

体験して楽しむ外国人観光客

 コロナ禍を経て各地で人のにぎわいが戻ってきているが、とりわけ浅草では外国人観光客が増えているという。

 「台東区では外国人観光客のためのツアーガイドを養成していて、うちの座敷にもよく案内してくれます。舞の美しさやお座敷遊びなど、外国人の方は表情や歓声で心から楽しんでいるというリアクションをストレートに表現されるので、芸者衆もより興が乗る感じ。言葉は通じなくとも、身振り手振りで遊び方もわかっていただけています。やはり実際に体験していただくことが一番ですね」

 料亭でのお座敷遊びには、伝統芸能の「粋」を間近で見て聞いて浸れるばかりか、自らも体験できるという魅力があるのだ。

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芸者になるには茶道の稽古も必須になる。

浅草と花柳界をさらに盛り上げたい

 こうした浅草の伝統文化を今後どう継承し、次代につなげるか。河村氏には強い思いがある。

 「東京は文化のコントラストが強い都市で、そこが魅力。巨大なビルが立ち並ぶ地域を少し離れると、たたずんでいるだけで歴史や文化を感じられ、体験して楽しめる浅草のような街があり、花柳界も存在している。文化的な施設が注目されがちですが、浅草の一番の魅力は人。生まれ育った地域の人だけでなく、浅草が好きな方たちみんなが協力して街や文化をさらに盛り上げようとしている。この雰囲気こそが魅力だと思います」

 だからこそ河村氏は、国内に限らず海外の人にも浅草を知ってもらいたい、もっと花柳界を知ってもらいたいと考えている。

 芸者衆も、日頃磨き上げた芸をお座敷以外で披露する場に積極的に出て行っており、浅草芸者などが加入する「東京浅草組合」最大の催し「浅草おどり」をはじめ、春のお花見会や夏のビア座敷、秋の利き酒会など、一見さんが参加できるイベントも少なくない。

 「そして何より、芸者衆の数を増やしたいですね。大正時代の最盛期には1,000人以上いたそうですが、今は20人ほど。芸者を目指したいと思う若い女性にも魅力を感じてもらえる機会をもっと持たねばなりません」

 一般の方にとって、意外にもそれほど遠い存在ではない料亭や花柳界。一度体験してみれば、新たな世界が広がるかもしれない。

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「浅草おどり」で舞を披露する芸者

河村英郎

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1978年、浅草生まれ。祖父は新派の役者、祖母は芸者。母は27年間芸者業を勤めた後に都鳥の女将となる。このような環境下で生まれ育ち、発展・復興のために2013年に花柳界に入る。現在は家業を営むと同時に東京浅草組合の副組合長を務めている。

浅草 料亭 都鳥

http://asakusa-miyakodori.com/
取材・文/吉田修平
写真/藤島亮
芸者の写真提供/河村英朗