Correspondents' Eye on Tokyo:
フランス人記者を魅了した東京の相撲文化

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 相撲は、古い伝統と歴史を持ちつつも、常に進化を続けるスポーツだ。インバウンド需要が急増する近年は特に、海外からの関心の高まりへの対応が進んでいる。フランス通信社(AFP)東京支局のマチアス・セナ記者は10年以上にわたり、相撲が伝統を守りつつも海外のニーズに適応しようとする様子を目の当たりにし、このユニークなスポーツとそれに関わる人々についてよく知るようになった。
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10年来の相撲ファンであるAFPのマチアス・セナ記者は、東京でこの伝統あるスポーツを取材し続けている。

並ぶ価値のある体験

 セナ氏はパリでジャーナリズムを学び、6年間にわたり記者として働いた後、2012年に日本語学校の学生として来日した。「最初の9カ月は日本語学校に通いながら、フリーランスの仕事を探していました。最終的にはフリーのジャーナリストになりました」。墨田区の喫茶店「CAFE のらくろ」で取材に応じたセナ氏は、相撲グッズが多数飾られたユニークな店内でコーヒーを飲みながらこう語った。日本の国技である相撲との出会いは、日本語学校で学んでいた時のことだったという。

 「来日して半年ほど経った頃、ある友人が、午前6時から並べば安い入場券が買えると教えてくれました。その友人は実際には前夜に到着して、徹夜で並んでいたのではないかと思います」と言ってセナ氏は笑った。ただ、新型コロナウイルスの流行を境に、早朝に並んで入場券を購入することはできなくなったのだという。セナ氏は友人の誘いにのり、相撲を観戦してみることにした。「どんなものか見てみたかったのです。相撲のことは何も知らなかったので、一度見てみようかと」。すると意外にも、相撲は初心者にもやさしいスポーツであることがわかった。

 「相撲の世界はとても複雑。さまざまなルールや儀式があり、数百人の力士が出場し、周りでは数十人の関係者が動き回っています。でも、初めて取組を見る人でも、最初に土俵から出た力士が負けだということがすぐにわかるシンプルさがある」。ルールの明快さに加え、相撲のエンターテインメント性にも魅了された。「すべてのルールを理解していなくても、数秒で終わる取組もあるので、飽きることはありません。相撲には一連の作法があるため、常に見るものがあります。土俵の上での取組だけでなく、その周囲のあらゆるもの、競技に携わる人々の服装までも楽しめます」

相撲文化は街の至る所に

 相撲の歴史は古く、その起源は千年以上前にさかのぼる。もとは農民の間で、その年が豊作かどうかを占う行事として行われていた。相撲に関する最古の記録とされるのは712年の古事記で、2人の神が日本の統治権めぐって力くらべを行ったという神話が書き残されている。相撲は長年の歴史の中で、時に人気が低迷したり、17世紀中頃には社会の風紀を乱すなどの理由から興行が禁止されたりといったこともあったが、そうした苦難を乗り越えて存続してきた。

 セナ氏は、相撲の不変の魅力をこう説明する。「相撲には歴史や宗教的な側面もありますが、古くから常に見せ物、ショーとして親しまれてきたスポーツであり、神々だけではなく、人々が観戦し楽しむものでした。それは今も同じだと思います」。相撲文化の痕跡は、東京の至る所に存在するという。「相撲部屋やわんぱく相撲教室が各所に点在するため、街を歩いていると、天日干しされているまわしを見かけることがあります」

 大相撲発祥の地とされる江東区の富岡八幡宮や、両国国技館や多数の相撲部屋が所在する両国を擁する東京は、相撲の中心地だ。こうした地域は今、魅力的な日本文化である相撲に興味を持つ外国人が多く訪れており、相撲界もそうした観光客の受け入れに向けて変化している。日本橋にある荒汐部屋がその代表例だ。「AFPは昨年、観光コンテンツとしての相撲の魅力を伝える特集記事を出し、その中で荒汐部屋にも触れました」とセナ氏。「荒汐部屋は壁一面がガラス張りになっていて、人々が通りから稽古を見学できます」

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東京には今も相撲文化が生きており、いつも多くの人が観戦を楽しんでいる、とセナ氏は言う。Photo: Adobe Stock

母国フランスとのつながり

 相撲界も、海外からの関心に対応し始めている。相撲への関心は、日本が人気観光地としての地位を確立したここ10年でいっそう高まったものの、国際的な知名度はそれ以前から高かった。セナ氏も、来日前から相撲の存在は知っていたという。「ジャック・シラク元大統領が大の相撲ファンだったので、自分も相撲については知っていました。シラク政権での在日フランス大使館の仕事の一つは、毎日の取組結果を彼に知らせることだったいう話もあるのですよ。彼の相撲好きは、フランス人なら誰でも知っていました」

 シラク氏の相撲愛は非常に強く、1986年には、日本から力士を招き、大相撲初のパリ公演を実現。1995年にも同市で再び公演を開いた。2005年の来日時には、大阪で相撲を観戦。会場を去る際には、観客が総立ちで「シラク!シラク!」と連呼し拍手を送った。2019年の同氏死去のニュースは日本の多くの新聞が1面で伝え、相撲界にも悲しみが広がった。相撲の知名度はフランスにとどまらず、歴史ある日本の国技を体験したい観光客が世界中から訪れている。

時代の変化

 近代以降に新しいメディア形態が登場すると、相撲もそれに合わせ変化を強いられた。「20世紀にラジオ放送が始まった際には、定時に終了できるよう大会全体を調整しなければなりませんでした。テレビ放送が始まったときは、土俵の上の屋根が4本の柱で支えられていましたが、カメラの視界が遮られるので取り払われました」とセナ氏。近代的なスポーツよりも変化への適応が早かったこともある。セナ氏によれば、相撲はサッカーよりもかなり前からビデオ判定を導入していたという。

 最近では、相撲ファンの裾野を広げる取り組みも活発だ。例えば、荒汐部屋には英語のウェブサイトがあり、見学希望者に向けて稽古日程が掲載されている。大相撲の入場券販売ウェブサイトにも英語ページがある。「日本相撲協会には英語のYouTubeチャンネルまであります。国際的な関心の高まりを認識し、受け入れようとしているのです」

 相撲界は、観光客の呼び込み以外でも国際的な関心に応えようとしている。外国人観光客を歓迎する相撲部屋もあれば、両国で力士の賄いとして有名なちゃんこ鍋を提供する店や、元力士の相撲ショーを見ながらランチを楽しめる店もある。好角家の在日外国人であれば、後援会の会員になって、稽古見学などの特典を享受できる。セナ氏も数年前、伊勢ヶ濱部屋の後援会に入会したのだという。

 セナ氏は、世界の相撲への関心の高まりをうれしく思っている。「相撲は、外国人と日本人の距離を縮めてくれます。日本人の相撲ファンに会うと、すぐに打ち解けて話ができます」。文化の違いがあっても、相撲への愛と関心が共通項となって、この伝統あるスポーツを一緒に楽しむことができるのだ。

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「CAFE のらくろ」で、相撲の話で盛り上がるセナ氏とマスター。相撲愛が文化の壁を乗り越えることの証しだ。

 相撲以外の面についても、セナ氏は12年にわたる東京での暮らしを気に入っており、よそへ移るつもりは今のところない。便利で、さまざまな機会がある東京は「非常に暮らしやすい場所」だという。現在住んでいる新宿区の魅力についても、「さまざまな顔があり、繁華街もあれば閑静な地域もあります。交通の便がとてもよく、自転車でも職場に行けます」と語った。「街を歩いて写真を撮ったり、コンサートやフェスティバル、ジャズクラブなどで生演奏を楽しんだりするのも好きです」

 多くの外国人と同様、セナ氏は東京に自分の居場所を見つけた。そして、日本の歴史と伝統に深く根ざした相撲への情熱と敬意をもって、東京の文化を享受している。

マチアス・セナ

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フランス通信社(AFP)東京支局特派員。フランスとカナダ・オンタリオの大学で歴史学、パリの大学院でジャーナリズムを学ぶ。紙・オンライン・ラジオを含むさまざまなメディアで働いたのち、2012年に来日。以来、日本で暮らしながらジャーナリストとして活動している。
取材・文/ローラ・ポラッコ
写真/穐吉洋子
翻訳/遠藤宗生