東京唯一の老舗屏風店3代目が語る伝統と魅力
江戸時代に一般庶民にも大普及
発祥については諸説あるが、文献上は奈良時代に成立した歴史書『日本書紀』に初めて屏風という記述があったとされる。
「中国大陸から伝わり、少なくとも1300年以上の歴史があると考えられています。使われ方は主に三つ。まずは日用品や調度品として、寝る際に風よけのため枕元に置く枕屏風。屏風という名称はそもそも風を屏(ふせ)ぐという言葉に由来するので、まさにその名の通りの使い方です。二つ目は目隠し。当時の家屋には押入れなどない家が多かったようで、布団などを畳んで屏風で隠していました。そして三つ目が間仕切り。今で言うパーテーションです」
しかし戦国時代以降、屏風は異なった用途でさらに普及する。
「日本最大の絵師集団・狩野派などが活躍するようになると、ふすま絵や掛け軸などと同様に屏風にも描かれるようになります。そうした絵師を大名などがお抱えにして大量に描かせる。ふすまだと傷みが避けられませんが屏風は畳めるので重宝されたようです。江戸時代になると、武家社会だけでなく一般庶民の間でもかなり普及したようで、その頃には専門の表具屋も多くできています。もちろん庶民の間に広がったのは狩野派の絵師によるものではなく、もっと手軽な絵柄が多かったとされます」
問われる職人の技量
屏風作りには相当な工程を要する。まず、国内産の杉を使って木枠を作る。杉が使われたのは軽さの点と、他の木材と比べて吸湿性が高く乾燥もしやすいため、四季のある日本の気候に適していたからだという。
「中国では重い芯材を使った枠だったようですが、それだと蝶番(ちょうつがい)も皮のひもや金属にならざるを得ず、かなり重く隙間もできて風よけにならない。日本では独自の工夫で杉を使い、そして実は蝶番も和紙を重ねて貼るため、軽くて隙間もできず、それでいて丈夫という利点がありました」
そして手すきの和紙を下貼りという作業で4回ほど重ね貼りし、本紙と呼ばれる表面の和紙、裏面には布地を貼る。最後に枠の四方に織物でできた反物を貼ってヘリを付け、仕上げに枠の上下左右に垂木を打ち付け、飾り金具をつけて出来上がりだ。
「これらの工程の間により細かい作業がいくつもあり、どれも非常に神経を使います。和紙の下貼りなど木枠にのりを均等に塗るには技術と注意が必要ですし、少しでも和紙にしわが付いてはいけない、乾燥した際の伸び具合も考慮しなければならないなど、やはり職人の技量が問われる作業です」
ヒップホップDJとしての気付き
片岡屏風店の創業は1946年。表具屋の次男だった祖父がひな人形などの節句飾り用の屏風を製作する工房として開業した。
「父が2代目として継いだ後、高度経済成長の終盤にかけて、ホテルや結婚式場からの金屏風の注文が多くなってきたこともあり、節句飾り用の屏風以外の製作も多くするようになりました」
そんな家業の家庭で育った片岡氏も、幼稚園の文集にはすでに屏風屋になると書いていた。
「自分では記憶も自覚もありませんでした。継ぐのは自然の流れという感じで、特に強烈な意識も3代目としてのプレッシャーも感じませんでした」
自覚が芽生えたきっかけとなったのは学生時代の海外留学だった。音楽やファッション、アメリカンカルチャーに興味を持ち、とりわけヒップホップなどブラックミュージックに惹かれた。
「いろいろな国から来ている仲間と出会いましたが、みんな自国の文化に誇りを持ち、語れる。対して自分は伝統文化を担う家に生まれ育ちながら、日本の文化や歴史について何も知らず語れない。そこに強いカルチャーショックを受けました」
それが転機となり、主体的な継承の決意が固まった。ただ、音楽への興味を失ったわけではなく、帰国後は家業の修行と同時にヒップホップDJとしての活動も並行して続けてきた。その中での気付きもある。
「ヒップホップって過去の人気曲が元ネタだったり、それらをサンプリングしてより新しい音楽を作ったりしている。その点は伝統文化、屏風の世界にも通じる気がします。古い伝統を大切に守りつつ、常に新しい感覚を織り込んでいかねばならないと思っています。例えば絵柄についても、漫画やアニメの作品から作ることもあります。やはり今の時代にマッチするようなアバンギャルドな感覚も大事だと思っています」
創業以来、墨田区向島の地で屏風を作り続けてきた店を継ぎ、何よりも実感したのは伝統の息づかいだった。
「浅草が近いこともあり文化と歴史を感じさせる街です。ものづくりを続けてきた職人、店、小さな工場も多い。そういう意味で自分も励みになる地域です」
最近は、売り上げの約3割が海外の顧客で、しかも個人のリピーターが増えているという。
「日本文化が好きで屏風のことを知り、骨董屋で古いものを探していたけれど、今でも作っている専門店を調べるとうちしかなかったからという方が多いですね。帰国後に写真を送ってくれますが、居間の壁にどんと飾っていることもあります。屏風になじみのある日本人にはない発想で、逆にこちらが刺激を受けています。そうした経験ができるのも、やはり東京という街だからでしょうね。世界的にも大都会でありながら長い歴史を持つ屏風のような伝統文化、技術が継承され、それを海外にも発信できる。これも東京ならではでしょう」
片岡孝斗
写真/藤島亮











