透明な傘で人を守る 進化を続ける日本初のビニール傘メーカー
雨とともにある日本の日常
年間降水量が世界平均をはるかに上回る日本では、傘は単なる携帯品ではなく、日常生活の必需品だ。毎年初夏に訪れる梅雨のほか、東京を含む各地では近年、ゲリラ豪雨も頻発している。国内では年間約1億3,000万本の傘が販売されており、その多くは500円前後で売られているビニール傘だ。
ビニール傘といえば、コンビニなどで広く販売されている安価な傘を指すことが多い。そんな巨大市場の中で、国産ビニール傘を作り続けているのが、台東区浅草に本社を置くホワイトローズ株式会社だ。同社では、量産される一般的なビニール傘とは異なり、使い捨てでなく、修理して長く使える丈夫な作りを重視している。
「傘は、空から降ってくるものから人を守るものだと考えています。雨、風、雪、そして近年では紫外線や暑さからも。傘は、人を守ってこそ価値があるのです」。ホワイトローズの10代目社長、須藤宰(つかさ)氏はこう語る。
時代に合わせた進化の歴史
同社は江戸時代の享保6年(1721年)、たばこ商として創業。やがて油紙製の和傘や、布製の洋傘を扱うようになった。
数世紀にわたる歴史の中で一貫してきたのが、素材を新しい方法で利用する姿勢だ。須藤氏の父である9代目社長は、第二次世界大戦後に米国から持ち込まれたビニール製のテーブルクロスと出会った。当時の傘は主に綿布で作られていたため、色落ちしたり、水が染み込んだりするという難点があった。
布地を縫い合わせる代わりに、傘の骨組みに直接ビニールを張るというアイデアは、当時としては斬新だった。ビニール製の傘には防水性があり、色落ちしにくいという利点があった。だが一方で、職人たちが代々受け継いできた縫製技術に支えられていた既存産業の破壊にもつながった。
ビニール素材は、裁縫の代わりに熱溶接が必要だった。そうして作られたビニール傘は、伝統的な傘小売店や百貨店から敬遠された。「製造はできましたが、売ることはできないと言われました」と須藤氏は語る。
同社はそうした状況を打開すべく、都心の路面店を一軒一軒回る地道な営業を展開し、薬局から衣料品店まで、業種を問わず店頭での委託販売を依頼した。すると次第に、ビニール傘は人々に受け入れられていった。
東京からニューヨークへ
大きな転機が訪れたのは、1964年の東京オリンピックだった。来日した米国人バイヤーが同社のビニール傘を気に入り、ニューヨークで売り出したのだ。雨風の多い同市では、ビニール傘の防水性能は大いに役に立った。
それから数年間、同社製のビニール傘は大部分が米国に輸出されていた。しかし、やがて海外メーカーが低価格のビニール傘を生産するようになり、市場は安価な方の輸入品に移行した。
一方の日本では、文化の変化が起きていた。1960年代後半から1970年代にかけ、新興ファッションの小売業者では型破りな素材や服飾品が流行し、従来の傘屋にはなかった透明なビニール傘がブティックや生活用品店に置かれるようになった。かつては斬新すぎると避けられていたビニール傘が、次第に東京の街を象徴するものとなっていった。
透明であることの意味
今日、透明なビニール傘は国内の至る所で見られる。しかし須藤氏にとって、透けて見えるデザインは、単なる見た目の問題ではない。「最初に透明な傘を作ったときは、骨が丸見えの傘など売れないと言われました。でも、視界を確保することは重要なのです」
人が密集した街を歩く際、透明な傘を差せば、接近してくる車や他の歩行者が確認できるようになる。さらに、自分の顔が周囲から見えることも利点だ。互いの顔が見えることで、高齢者や子ども、あるいは体の不自由な人のために道を譲り合うといった、周囲への細やかな配慮が促されると須藤氏は指摘する。
そのため、ホワイトローズの傘は、視界を遮る派手な柄や飾りを避けている。同社にとって、安全性は装飾よりも重要なのだ。
修理を前提とした設計
ビニール傘は使い捨てのイメージが強いが、須藤氏は逆の見方をしている。「傘はいつか壊れますが、修理すれば、なぜ壊れたかがわかります」
同社は、修理サービスと交換部品も提供している。修理のために戻ってきた傘を調べれば、パターンが見えてくる。特定の部分が繰り返し壊れていることがわかれば、次の製品設計時にその部分を補強する。このフィードバックループがなければ、製品の弱点に気付くことはできない。
目標は5年、10年、場合によっては15年と使い続けられる長寿命の製品作りだ。木製の持ち手には、使い込むほどに味が出る素材を選び、愛着を持って使い続けられるようにしている。
このアプローチは、サステナビリティを重視する最近の風潮を追ったものではなく、江戸時代の職人技に根差した精神だ。日本では古くから、段階的に改善を重ね、直せるものは修理し、無駄を省くことが良しとされてきた。
傘の多機能化も
ホワイトローズでは常に、顧客の声を取り入れながら新しい製品を生み出している。透明な折り畳み傘は、構造や素材の問題があり実現が難しかったが、度重なる要望を受けて数年がかりで試行錯誤した結果、開発に成功した。
最近では、屋外の電子機器を太陽光から守るために開発された放射冷却素材を使用して、コンパクトな日傘を他社と共同開発した。この素材により、熱を外側に逃がし、傘の下に熱がこもるのを防ぐことができる。夏の暑さが年々厳しくなる東京では、重宝される機能だ。
浅草に根差したアイデンティティ
伝統工芸の街としても知られる浅草に拠点を置く同社は、卸売業者や職人とのつながりの中で発展してきた。製造業の中心は徐々に都心から離れていったが、そうした交流の文化は今でも大きな影響力を持っているという。
東京は情報やトレンドの発信地であるが、中でも浅草には特別な文化的背景がある。
「浅草から来ましたと言えば、傘を作っている人だとすぐにわかってもらえます」
そうした土着の感覚は、ホワイトローズのものづくりに対する姿勢にも如実に表れている。同社は、製品を単なる商品ではなく、江戸期の感性が現代都市の生活を形づくり続ける、東京の職人文化の物語の一部として位置づけている。こうした取組の後押しや、その価値と魅力を国内外に発信しているのが、東京都が推進する「江戸東京きらりプロジェクト」だ。
利便性を超えて
ホワイトローズの店舗には多くの外国人観光客が訪れるようになった。その多くは、同社製品の耐風性能を検証したネット動画を見た人々だ。傘の文化は国によって異なり、レインコートが主流の国も多いが、須藤氏いわく、丈夫で透明な傘は、風が強く雨の多い地域に適しているという。特にコンパクトな折り畳みタイプは、実用的なお土産として人気だ。
須藤氏の目標は、コンビニで売っている安価な傘を置き換えることではない。日常的な道具であっても、職人技や安全性、そして長期的な思考を体現できるということを示したいと考えている。
突然の雨が珍しくなく、多くの人が行き交うこの街で、透明なビニール傘は何ら特別なものではないように思えるかもしれない。しかし須藤氏の手にかかれば、それは単に便利なだけではなく、人を守り、修理して長く使い続けるために設計された逸品となるのだ。
須藤宰
江戸東京きらりプロジェクト
写真/藤島亮
翻訳/遠藤宗生




