東京2020大会から5年。金メダリスト四十住さくらが次世代につなぐ、スケートボードの未来
家族会議から始まった「日本一への道」
小学6年生の夏、13歳上の兄がスケートボードで遊んでいる姿を見て「お兄ちゃんと滑りたい」という純粋な動機からスケートボードを手にした四十住選手。当時は地元・和歌山県に十分な練習環境はなかったものの、ただ無我夢中でボードに乗り続けた。初めて自分で「好きだ」と思えるものに出会った瞬間だった。
「最初は本当に難しくて、誰かに手をつないでもらったりつかまったりしながら乗っていました。でも、すぐには何もできなかったのに、1週間やり続けたら手を離して普通に乗れるようになったんです。その瞬間が、やっぱりすごく気持ちよくて。習い事は他にもやっていましたが、自分で『やりたい』と思って初めて夢中になったのがスケートボードでした」
しかし、娘がスケートボードにのめり込んでいくことに、両親は猛反対だった。当時は「女の子がするスポーツではない」という空気もあり、怪我の危険もあってあまりイメージが良くなかったからだ。両親としてはとにかく辞めさせたい。そこで、諦めさせるための口実として、あえて厳しい練習メニューを突き付けた。
「『毎日このメニューをクリアできないと上手にはなれないよ』って、わざとすごく厳しい練習メニューを出されて。親としては『もう無理、辞める』って私が諦めるのを狙っていたみたいなんですけど、私にとってはそれが逆効果でした(笑)。毎日同じことをやり続けると、自分でもはっきりわかるくらい目に見えて上達する。できないことができるようになる試練を乗り越えていくのが、逆に楽しくなっちゃったんです」
そして、小学6年生の冬、中学校進学を前にした家族会議で、一つの約束が交わされた。
「『遊びだったら応援できない』と両親に言われて。一人ではできる競技じゃないから、どうしても家族の協力がいるんです。だから、『やるからには日本一を目指すから協力してほしい』と、自分から伝えたんです」
その家族会議を境に、四十住選手の生活は一変する。学校が終わると、母の運転する車で三重や兵庫など県外のパークへ平日の夜も遠征を繰り返した。学校の宿題や塾の勉強をこなし、パークのクローズ時間まで滑り倒して帰宅するのは深夜。そこから母は家の用事をこなし、自身も翌朝6時半から家の前で練習する過酷なスケジュールだった。
「お母さんも仕事や家事がある中で、本当に大変な生活をしてくれていた。お父さんだって遠征費のために、一生懸命働いてくれていました。だからこそ、自分が練習で『帰りたい』なんて弱音を吐くことは絶対に違うと思っていました。家族みんなで戦っていました」
文化祭や修学旅行といった「10代の青春」を全てスケートボードに捧げ、コツコツと目標に向かって努力を積み重ねた結果、競技を本格的に始めてわずか4年で全日本選手権を制覇し、名実ともに日本一へと上り詰めた。
ボードから離れて見つけた、スケートボードの楽しさ
2021年に開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会。コロナ禍による1年の延期期間中、自宅近くのプライベートパークで一回転半の大技「540(ファイブフォーティー)」を徹底的に磨き上げた四十住選手は、スケートボード女子パークで見事に初代金メダリストの栄冠をつかみ取った。
「本当に取れちゃったんだ、という驚きが大きかったです。でも、金メダルを取ってからは一般の方からも声をかけてもらえるようになって、オリンピックの影響力の大きさを後からじわじわと実感しました」
しかし、その歓喜の裏で、メダリストとしての新たな戦いとプレッシャーがのしかかる。20代に入り迎えた女性アスリート特有の体の変化、そしてパリ2024オリンピック選考の真っただ中に負った右足の後十字靭帯断裂という大怪我。その中で挑んだ予選だったが、用意していた新しい技を披露できずに敗退してしまう。
「この3年間、あんなに頑張った意味は何だったんだろうって、一時はすごく落ち込みました。もうしんどくなってパリで使ったボードを人にあげて、2カ月くらい完全にスケートボードから離れたんです」
スケートボードから離れている間、家族に連れられて旅行へ行き、人生で初めてカラオケに足を運ぶなど、これまで知らなかった「普通の20代の生活」に触れた。そうして心が少しずつ解きほぐされていく中、いつもお世話になっているパークのオーナーから「イベントに来てくれないか」と声がかかる。滑るかどうか決めないまま現地へ向かった四十住選手を待っていたのは、純粋な目をした子どもたちだった。
「結果が駄目だった私に対しても、子どもたちが『さくらちゃん、一緒に滑ろう!』って集まってきてくれて。その瞬間に、結果が全てじゃないんだって気づかされました。みんなと滑るのがただ楽しい。スケートボードを好きになった時の初心に帰ることができたんです」
現在は毎日4時間ほど集中して練習を重ねつつ、家族とカラオケに行ったり、友人と食事に行ったりと、競技とプライベートの健全なバランスを保ちながら、前を向いて歩んでいる。
誰かの真似ではなく、自分にしかできない滑りを
東京2020大会以降、日本国内、特に東京を中心としてスケートボードのパークやスクールは増加した。女子のスケーターや、親子で夢を追いかける姿も日常的な風景になりつつある。
海外に比べてスケートボードの歴史が浅い日本から、なぜこれほど多くのメダリストが誕生するのか。その理由を、四十住選手は「日本人の真面目さ」にあると分析する。
「海外の選手はカルチャーをとても大切にしていて、自分が楽しむことや気分を重視する傾向があります。それも素晴らしいことですが、オリンピックのような舞台で勝つことを目標にしたとき、メニューを決めてコツコツと真面目に向き合える日本人の強さが出たのだと思います。ただ、イベントなどで会場を盛り上げる『魅せる技術』は、やっぱり海外の選手が圧倒的にうまい。どちらが良い悪いではなく、それぞれに違った魅力があります」
現在のコンテストシーンにおいて、24歳の四十住選手はすでに最年長に近いベテラン層だ。後輩選手たちとは、良い滑りをしたときは拍手を送り、お互いにリスペクトし合う関係を築いている。ライバルとして切磋琢磨するからこそ、これからのスケートボード界を担う次世代の若いスケーターたちには、誰かの真似ではない「自分だけの伝説」をつくってほしいと願っている。
「『この技をやらないと勝てない』という固定観念に縛られないでほしい。誰も真似できない、自分にしかできないオリジナルの技を開発して、それを世界に広げていってほしいです。大会で勝つことだけを目的にしてしまうと、勝ち続けるのが難しいスポーツだからこそ、一歩引いて『自分だけの伝説をつくる』という視点を持っている方が、スケートボードを何倍も楽しめるはずですから」
東京のアーバンスポーツへの期待
地方の行政が若年層の移住・定住対策やアーバンスポーツ普及の一環として、スケートボードパーク建設に注目する中、東京都は江東区出身の堀米雄斗選手の活躍などもあり、依然として日本のスケートボードカルチャーを牽引し続けている。立川市などにあるパークへ行けば、世界レベルのオリンピアンたちが日常的に一般の子どもたちと混ざって練習しているという恵まれた環境がある。四十住選手もまた、そうした垣根のない空間でスケートボードを楽しんでいると言う。
「パークで滑っている子どもたちと仲良くなって、自分ができない技があったら『どうやって滑ってるの?』と聞いたりもします。次世代の子たちに教えてもらうことも、たくさんあるんです」
そんな東京都、そしてこれからの日本のストリートカルチャーの未来に対して、四十住選手は一人のスケーターとしての切実な期待を寄せる。
「パークだけではなく、街の中でも『ここなら正式に許可を得てスケートボードを滑ってもいい』という場所や、特区のようなスペースがもっと増えてくれたらうれしいです。プロとしてルールを守らなければいけないからこそ、普段は街中で滑りたい気持ちを抱いているアスリートもたくさんいます。東京にそういう正式なスポットができ、カルチャーに対しても開かれた街になっていくことを期待しています」
大きな挫折を経て、一回りも二回りも大きなマインドを手に入れた初代女王は、これからも自らのスタイルを貫きながら、日本のスケートボード界の未来を明るく照らし続ける。