ブラジル文化を東京に届けて50余年

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 サッシペレレは、ブラジルスタイルの料理と酒、生演奏、コミュニティの集いの場として、四谷で半世紀以上にわたり愛されてきた。東京で最も古くからブラジル料理とブラジル音楽の生演奏を楽しめるこの店の魅力あふれる歴史について、オーナーの小野里笑氏に話を聞いた。
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(右から左):サッシペレレのバーカウンターに立つオーナーの小野里笑氏と、ステージを終えたボサノヴァ・ミュージシャンの高橋佳作氏とホブソン・アマラウ氏

活気あふれる老舗に歴史あり

 四ツ谷駅からほど近い緑豊かな通り沿いに、周囲の建物の中でひときわ目を引く、入口の外に小さなブラジル国旗がかかった深緑色のファサードの建物がある。

 狭い階段をたどって地下へと降りると、広々とした空間が現れる。いくつものテーブル、品ぞろえ豊富なバーカウンター、生演奏用のステージがあり、随所に美術品が飾られている。美術品は、額装して壁にかけられた作品もあれば、温かみのあるピーチトーンの壁にじかに描かれた幻想的な熱帯の樹木や動物もある。

 ここサッシペレレの店名は、ブラジル先住民トゥピ・グアラニー族の伝承に登場する伝説の精霊に由来する。

 2代目オーナーの小野氏は「サッシペレレは童話に登場する小さな子どもで、アマゾンの熱帯雨林に住み、いつもいたずらばかりしています」と説明する。

 店名をサッシペレレに決めたのは母の和子氏で、2012年に亡くなった父の敏郎氏はこの店に全身全霊を注いでいたという。

 「父は、ブラジルの料理とお酒と音楽の大ファンでした。それに、日本語でもポルトガル語でも英語でも、人とおしゃべりしたりふざけたりするのが大好きでした」

 小野氏によると、両親は1958年にホテル業を営むため日本からブラジルに渡ったが、肝心のホテルは存在せず、完全にだまされていたことにすぐに気づいたという。「代わりにサンパウロ郊外でナイトクラブを開業することにしましたが、まさに竹に覆われた土地を切り拓くところから始めて、一から築くしかありませんでした」

 クラブが成功すると両親はサンパウロに店を移転し、その後2人の子どもが生まれた。里笑氏と、後に有名なボサノヴァ歌手となる姉のリサ氏である。1972年に日本への帰国を決めると、小野家は四谷の地下物件を取得した。

 「最初の店は通り側の部分だけで、両親はそこでバーを経営していましたが、やがて拡張して奥のレストラン部分ができました」と小野氏は振り返る。「このカウンターや照明器具の一つは、1970年代前半にサッシペレレを開業した当時のものです」

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サッシペレレ2代目オーナーの小野氏。ファミリービジネスの豊かな歴史と、日本とブラジルの架け橋となってきた50余年を振り返る

ブラジルの料理と音楽と情熱を東京の客に届ける

 サッシペレレが正式に開業したのは1974年だが、バーからレストランへの道のりは決して平坦ではなかった。

 「当時はフランス料理がもてはやされていて、料理人の中には、ブラジル料理に対して『そんな低級な料理は扱いたくない』といった態度を取る人もいました」

 ブラジルの料理、酒、音楽を中心とした店を営むという夢を実現しようと、両親は料理の大半を自分たちで作った。例えば、肉やチーズなどの材料を生地で包んで揚げるパステスを自ら手作りした。

 また、ブラジル在住時代に培った古くからの人脈を生かして、サッシペレレで演奏するミュージシャンを招いた。その際、レストランのために東京では手に入りにくい食材を運んでもらうこともあった。

 小野氏によると、サッシペレレは、ブラジルの料理や音楽をもっと知りたいと興味を持つ幅広い客層を東京中から引きつけ、楽しませていたといい、エンターテインメント業界の客も多かった。

 「ここには、本当に変わった人たちが何人も訪れました。父自身が相当型破りな人間でしたから。ひと言で言うと宇宙人です」彼女はそう言って笑い、父は時代のはるか先を行く根っからの夢想家だったと話す。

 さらに、増え続ける常連の中に、ブラジルで暮らした経験のあるビジネスマンや外交官が混じるようになったという。懐かしさから、自然とサッシペレレに足が向くのだ。

 「ブラジルには、懐かしい人や場所を思う気持ちを表すサウダージという言葉があります。日本に帰ってきたとき私はまだ5歳だったので、もうポルトガル語は話せないのですが。姉のリサは当時10歳で、ブラジルを離れてからサウダージの気持ちを抱くような年頃でした」

 その気持ちが、リサ氏が音楽の道へ進む重要なきっかけとなり、まだ高校生だった彼女が歌手、ギタリスト、ソングライターとして歩み始めたのもサッシペレレのステージだったという。現在、リサ氏は世界に認められるボサノヴァ・アーティストとなり、ライブやテレビでパフォーマンスを行うほか、J-WAVEの「SAÚDE! SAUDADE...」などのラジオ番組にも出演している。番組名は、ポルトガル語で健康と乾杯を意味する「SAÚDE!」と、先に触れたサウダージ(SAUDADE)を組み合わせたものだ。

 小野氏は「父も素晴らしいエンターテイナーであり、ソングライターでした。実は、父はいつもリサがライバルだと言っていました」と微笑んだ。

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フェイジョアーダ(黒いんげん豆と肉の煮込みに米を添えた料理)は、サッシペレレではリングイッサ(ソーセージ)やチキンの付け合わせと共に提供され、カシャッサというサトウキビの蒸留酒から作られるカクテル、カイピリーニャと合わせるのに最高の一皿だ

時代とともに変われども魂は変わらず

 小野氏の母は90歳になり、もう店に立つことはないが、この店のメニューを作ったのも母であり、至る所に彼女の足跡が残っている。

 「母はブラジルに暮らした当時、料理も作り方も家庭によってさまざまという中で家庭料理を覚えました。私たちは母のいくつものレシピをメニューに取り入れています。例えば、黒いんげん豆と肉の煮込みに米を添えたフェイジョアーダには何通りものバリエーションがあり、ここではフルーツを使っています」

 他にも、ブラジル料理にあまりなじみのない客のために配慮している点もあり、例えば、いろいろな料理を試せるように量が少なめのメニューも用意しているという。

 今では日本在住のブラジル人、東京の住民、外国人観光客など、多様な客が店を訪れる。サッシペレレのライブパフォーマンスを見るために遠くから訪れる客もいるという。ライブはボサノヴァやサンバのジャンルを中心に、主にブラジルと日本のミュージシャンやダンサーが出演する。

 壁画は、都内にある美術大学のサンバクラブのメンバーによるものだという。

 「学生たちはすでにブラジル文化をよく知っていたので、ほとんど説明の必要はありませんでした。私たちが指定したのは、柱を木に見立ててほしいということだけです」と小野氏は語る。

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サッシペレレの壁画は、都内にある美術大学のサンバクラブに所属する学生がデザインしたもので、熱帯の草木やオオハシなどの緑豊かな風景が広がる

 サッシペレレでは、かつては毎晩ライブを開催していたが、小野氏はビジネスモデルを転換し、週末のランチのみの営業として生演奏を行うほか、不定期に平日のイブニングショーやプライベートイベントを開催している。

 「毎晩ライブを開催するのは、資金的に困難でした。でも、熱心なお客様に支えていただいて、何とかやっていくことができています」

 小野氏は、家族の中で自分だけがポルトガル語を話せないため、自分はこのレストランを経営するのにふさわしい人間だろうかと考えることもあるという。

 「そうした気持ちがよぎることもありますが、東京の人々にぜひブラジル文化を知ってほしいという強い思いに動かされています。これが自分のライフワークだと確信しています」

小野里笑

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ブラジル・サンパウロで日本人の両親のもとに生まれる。東京・四谷のレストランバー、サッシペレレのオーナーとして、料理、酒、音楽、アートなどの文化の探求を通じ、誇りを持って自分の生まれた国を客に紹介する。ボサノヴァ・ミュージシャンである小野リサ氏の妹。

取材・文/キンバリー・ヒューズ
写真/藤島亮
翻訳/伊豆原弓