東京とニューヨーク: 私たちの未来に欠かせない2つの都市
2020年8月24日、ニューヨークの夏が終わり、新型コロナウイルス感染症の流行がピークに達していた頃、コメディアンのジェリー・サインフェルドはニューヨーク・タイムズ紙に『それで、ニューヨークは終わったと思いますか?』と題した論説を寄稿。「ニューヨークのようなクレイジーな場所があってこそ人のリアルな熱量が生まれ」、そして「都市は適応し、変化し、自らを再構築させていくのだ」と綴った。都市は形を変えて生き続ける。
実際、世界中の大都市は、新型コロナウイルス感染症に限らず、気候変動、自然災害、人口変動、ビジネス・インフラ・交通機関における変革など、21世紀を形づくる様々な変化を既に経験してきた。ニューヨークが前世紀にどのような理由で「死」を宣告されてきたかは、今後を占う上での参考になる。そして、他の大都市の中でも特に東京は、今日の未曾有の環境下でのオリンピック・パラリンピック開催という、世界的にも重要な試金石の役割を担っている。
歴史は繰り返される
1918-19年のインフルエンザの流行、ポリオの脅威、HIV-AIDSの惨劇、そして今回のパンデミック、これらすべてがニューヨークの歴史に刻まれており、中でも1975年10月には、アメリカで最も裕福な都市にもかかわらず、危うく破産しかけるような経験すらしている。連邦政府やジェラルド・フォード大統領からの救済を拒否されたニューヨーク市は、1億5000万ドルの不足分を補った市独自の教員退職年金基金のおかげで難を逃れ、翌日のデイリーニュース紙は、「Ford to City: "Drop Dead." 私たちは生き残り、成功した!」と喜びの見出しを載せたのだった。そして、今年20年を迎える9.11(2001年9月11日同時多発テロ)では、全米がニューヨークのために動いた。ニューヨーカーたちは、がれき処理のために全米から重機が届いたことに喜び、同時に亡くなった方々を全国民と共に追悼した。さらにはそれでも終わらず、ニューヨーク中に弔鐘が鳴る2008年の金融危機へと続く。しかし、失われたものが、必ずや再開されること、あるいは別の形で生まれ変わることは、これらニューヨークの過去が物語っている。私たちは、これからも苦楽の足跡を残しながら前進し続ける。
ソフトパワーを生み出すグローバル都市としての東京
東京、ロンドン、パリと同様にニューヨークもまた、多様な創造性が花開き、人々にインスピレーションを与え続けるような芸術文化の世界的な中心地だ。伝統と革新が同居し、それゆえエンターテインメントを求めてやってくる人々が絶えない。しかし、日本であろうと、ヨーロッパであろうと、アメリカであろうと、グローバル都市の「ソフトパワー」は、芸術や、イノベーション、社会などのそれぞれのパーツが、単体ではなく掛け合わさることで、初めて強い力を発揮している。それは、歴史が生んだこれまでの資産であると同時に、未来を形づくる架け橋であり、多様性の根元であり、社会変革をもたらす原動力でもあるのだ。
ここで言う「ソフトパワー」という言葉は、1980年代にハーバード大学の政治学者ジョセフ・ナイ氏が考案したもので、現在では外交政策の文脈で広く使われている。ナイ氏の著書『Soft Power; The Means to Success in World Politics』について、『フォーリン・アフェアーズ』誌は2004年に、「ナイは、成功する国家にはハードパワーとソフトパワーの両方が必要であると主張する。それは、他国に強制する能力と、他国の長期的な態度や嗜好を形作る能力を指している。つまりナイが言いたいことは、米国の安全保障政策の浸透には、戦争に勝つことと同じくらい、他国の人々の心を勝ち取ることが重要だということである」と解説している。
それから約20年が経ち、「ソフトパワー(多様な国や社会を結びつけ、相互理解を促す文化的、知的、社会的な絆)」は、米国の外交政策の重要な要素となっている。最近では、松山英樹選手がマスターズトーナメントで見事優勝したことや、ジョセフ・バイデン米大統領が菅義偉首相を就任以来初の首脳会談の相手としてホワイトハウスに招いたことに見られるように、日米同盟にとっては特に重要な要素となっている。私は国務省での経験から、"経済成長や安定など、共通の目的に基づいた革新的で起業家的なパートナーシップが、安全と繁栄を高める原動力になる"と考えている。言い換えれば、国だけではなく、政治家、ビジネスマン、市民などのリーダーが、それぞれ個別の目的のために築くパートナーシップを通じて、自らの運命を切り開いていくのである。東京のような巨大都市における未来は、そのような個別のイニシアティブにかかっている。
日本社会とニューヨークの架け橋
ジャパン・ソサエティーの理事長である私の仕事は、日米両国の人々、文化、ビジネス、社会を結びつける深いつながり、すなわち「絆」となることだ。50年前に開館し、今では歴史的保存建築とされているニューヨーク本部ビルから私たちは、次の半世紀に向け、物理的な建物に頼るだけでなく、デジタルやイデオロギー面でどのように貢献し、存在意義を見出すかを見据えている。私たちの未来は、東京をはじめとする海外の友人たちとの交流を続けることによってのみ高められると考えている。
ジャパン・ソサエティーは、「ソフトパワー」が定義されるずっと前、1960年代のニューヨークの激動の時代から、日本のアーティストや学生へのフェローシップや助成金を通じて、日米間の芸術の国際交流を支援してきた。その中には、草間彌生、松沢豊(荒野のラジカリズム:グローバル60年代の日本の現代美術家たち展)、棟方志功(即興木彫:川俣正×棟方志功、2021年秋より)など、日米両国の芸術に歴史を刻んだ多くの人々がいる。そして、日本の伝統的なアーティストや現代美術家がニューヨークでメインストリームとなりつつある現在も、ジャパン・ソサエティーは舞台公演や展覧会を通じて、日米の文化交流を築き、発展させている。今後も芸術文化、教育、ビジネス、そして社会領域で活動を続けていく。
新型コロナウイルス感染症によって引き起こされたパンデミックが、ソーシャル・ディスタンシングやワクチン接種の増加によって回復したとしても、私たちの仕事やコミュニケーションに起こった変化は、今後も生活の一部として存在し続けるだろう。リモートワークや、柔軟なスケジュール、時差を超えたコラボレーションなどは、すべてパンデミック以前から存在していたが、かつては想像もできなかったスピードで拡大されている。物理的な国境が旅行者に閉ざされた一方で、バーチャルな国境はむしろ開かれているのだ。
私たちジャパン・ソサエティーは、ニューヨーク以外の場所でも、新しいつながりを見つけ、新しい架け橋となることを目指している。ニューヨークが世界的に重要な舞台であり、金融のプラットフォームであることに変わりはないが、全米に37ある他の日米協会にも多くの可能性が眠っている。新型コロナウイルス感染症後、世界中のどの都市が繁栄し、人口が集中していくかは、最終的にはパートナーシップによって決まると考えている。世界の未来のために、そして日米同盟のために取り組んでいく中で、私は日本社会とニューヨークが共に発展する明るい可能性を感じている。